関東地区では社会人チーム(大学OBチーム)の活動が既に始まっていたが、この年2チームが新たに加わり4チームとなった。また数年前からの在日米軍チームとの交流も活発になってきた。その関東では、リーグ戦の日程を調整し、大学、社会人、米軍が一体となった日程で秋のシーズンを開催した。また日本経済の復興とともに米国製防具類の輸入や販売が広く行われるようになった。しかし、1ドル360円の時代であり、まだまだ高価であった。
1960.01.01
お知らせ
在日米軍と活発に交流。立大が6年ぶりの王座に
日 付 | 主な出来事 | |
社 会 | ・ 1月19日
・ 5月22日 ・ 6月23日 ・ 9月10日 ・ 9月14日 ・ 9月18日 ・ |
・日米安全保障条約(新安保条約)調印
・チリ地震、日本でも津波の被害 ・安保闘争激化の後、日米新安保条約発効 ・NHK・民放、カラーテレビ本放送開始 ・石油輸出国機構(OPEC)結成 ・第1回パラリンピック、ローマで開催 ・米国プロフットボール新リーグ、AFL(American Football League)誕生 |
フットボール | ・秋
・12月4日 |
・関東大学リーグ、13チームとなり、3部制に
・甲子園ボウル、甲子園球場の改装により西宮球場で開催 |
関東地区では社会人チーム(大学OBチーム)の活動が既に始まっていたが、この年2チームが新たに加わり4チームとなった。また数年前からの在日米軍チームとの交流も活発になってきた。その関東では、リーグ戦の日程を調整し、大学、社会人、米軍が一体となった日程で秋のシーズンを開催した。また日本経済の復興とともに米国製防具類の輸入や販売が広く行われるようになった。しかし、1ドル360円の時代であり、まだまだ高価であった。
[1]主な出来事
●関東学生リーグに青山学院大、成城大、東京経済大が加盟。関東学生リーグは1部(6校)、2部(4校)、3部(3校)編成の計13校となり、関西の6校と合わせて日本協会加盟は19校となった。
●戦後空席だった日本協会会長に小松隆氏が就任し、1962年まで3年間務めた。初代の浅野良三氏(在任1938-42年)に続く2代目で戦後初の会長だった。
[2]競技施設・装具・公式規則など
◆防具・装具
●日本で初めてのフットボール専門プロショップ「富士丸」(代表:遠藤旭氏)が東京・九段下に誕生。多くのチームが売掛で防具類を入手するなどお世話になった。
◆公式規則変更など
【参考】この年のNCAAの主な規則変更
●フィールド内のプレーヤーに情報を伝達する方法は、フィールドに入る交代選手を介してのみとなった。
●ゲームクロックの動作状態に関わらず、いつでも1人の選手の交代ができるようになった。交代のタイミングは現在と同じになったが、まだ交代人数の制限はあった。
[3]春季活動
◆春のボウルゲームなど
●第6回西日本大会
「第6回西日本大会」決勝は4月24日に行われ、関学大OBが多い全神戸が関学大を18-14で破った。
●第7回西宮ボウル
春季恒例の「第7回西宮ボウル」は3,000人の観客を集めて5月21日に行われ、日大、慶大、立大の現役とOB混成の全関東が関学大の現役、OBからなる全関西を14-12で破り、対戦成績を3勝4敗に詰めた。
[4]関東・秋のリーグ戦
●明大が1部に復活した関東学生リーグは9月17日、国立競技場で開幕。ほかに小石川運動場と日大下高井戸グラウンドを使用した。
日、慶、立の三強で覇権が争われたが、攻守ともにラインとバックスの均衡がとれた立大が抜け出した。G神子勝(四年)、G土田千秋(四年)、T有本勝(四年)、T高林尚志(三年)の重量ラインにHB石田弘毅(四年)、HB柴田茂(二年)、HB菅沼文質(二年)、FB松本昭(四年)と豊富なバックス陣を擁し、QB園田成和(三年)がE飯田稔(三年)やE光信義雄(三年)に絶妙なショート、ミドルパスを通した。立大は第一関門であるQB鈴木康三郎(四年)とE鳥取譲治(四年)のパスコンビがいた慶大を14-8で破り、第4節に同じく全勝の日大と日大下高井戸グラウンドで対戦した。
日大は前年度の先発メンバーから7人を卒業で失ったが、切り札のHB織戸保四郎(四年)が健在で、この日も1Qに織戸の中央突破でTDを挙げて先制。立大がQB園田成和(三年)からE飯田稔(三年)へのパスで追い付くと、日大は2Qに織戸がE片山正和(四年)にTDパスを決めて勝ち越し。立大は2Q終了直前に園田が飯田にまたもTDパスを決めて2点差に迫った。
立大は後半もHB石田弘毅(四年)の独走で攻め込み、園田成和(三年)からE光信義雄(三年)へのショートパスで18-14と逆転。さらに、ショートパスをキャッチした石田が30ヤードを独走してTDし、24-14とリードした。日大は必死に反撃したが、HB織戸保四郎が1TDを挙げたにとどまり、立大が6年ぶりに日大を破り、同率優勝を含めて6回目のリーグ優勝を決めた。名門・早大は入れ替え戦で日体大に敗れ、2部に転落した。
●大学リーグのほか、関東連盟には社会人4チームに米海軍(横須賀)、米空軍(立川)も加わり、各リーグ内の公式戦以外に大学-米軍、社会人-米軍、1部校JV(若手チーム)-新加盟校など、特色のある試合がシーズン中に組まれ、関東連盟全体でこれまでにない50試合を開催した。これらの試合とは別に、米軍との「ターキーボウル」と新設された「菊ボウル」が国立競技場で開催された。その他の試合も国立競技場が使用されたが、米軍基地内での試合も多く、試合後の基地内での交流が進んだ。関東地区における社会人チームの組織的活動の始まりであった。
[5]関西・秋のリーグ戦
●関西学生リーグは全試合を西宮球技場で行った。関学大は春季の西日本大会決勝で関学大OB主体の全神戸に14-18と敗北し、明大に辛勝、日大には敗北し、不調を伝えられていたが、それでも図抜けていた。10月初旬に開幕したリーグ戦では5試合で得点326、失点0。5年連続でリーグ戦無失点を記録した。得点源はQB勝田鐐二(二年)とQB米田正勝(四年)からの長短のパスだった。2位には甲南大が躍進。E前田忠彦(一年)らの活躍で関大、同大に完勝したが、関学大には0-54と完敗した。3位は同大で、以下関大、京大、立命大となった。
[6]社会人
●前年度に協会に加盟し、活動を開始した不死倶楽部、ラムズに続き、慶大OBによる東京クラブ、立大OBのセントポール・クラブも協会に加盟し、社会人は計4チームとなった。この年も社会人チームは関東アメリカンフットボール連盟に所属し、秋の公式戦も同連盟内のスケジュールで管理され、社会人同士の試合に加えて社会人と米軍(海または空)、さらに各大学と米軍(海または空)、1部校2軍-2部校など20試合近くが行われた。1部校2軍-2部校は現在見られないが、関東大学秋季リーグの公式スケジュールに組み入れられて行われた。
[7]第15回甲子園ボウル
●12月4日の「第15回甲子園ボウル」は甲子園球場が改装工事で使用できないため、西宮球場で「毎日ボウル」として開催。6年ぶりに立大(中澤貞夫監督)と関学大(米田満監督)の顔合わせとなった。
試合開始早々、立大ラインが多彩なプレーで関学大ラインを圧倒。FB松本昭(四年)のランを積み重ね、HB菅沼文質(二年)の中央突破で先行した。立大は2Qにも速いランプレーで関学大ゴール前に迫り、HB柴田茂(二年)のダイブで2つ目のTD。関学大は交代で入ったQB勝田鐐二(二年)がRH菅原一郎(四年)に40ヤードのパスを決めて1TDを返した。
4点差に追い上げられた立大は後半、負傷で先発を外れていたエースランナーHB石田弘毅(四年)が左オーブンで40ヤードの快走を見せると、QB園田成和(三年)からE光信義雄(三年)へのショートパスでTDを挙げて20-8とリード。関学大はQB勝田鐐二(二年)からFB倉智春吉(三年)への鮮やかな50ヤードパスでTDを返したが、立大は園田が光信、LE飯田稔(三年)へ2つのTDパスを決め、35-16で立大が8年ぶり3度目の王座に就いた。シリーズ更新は立大の14回に対して関学大は4回のみ。立大はRG神子勝(四年、主将)、G土田千秋(四年)、RT有本勝(四年)、LT高林尚志(三年)らラインが力を出した。
[8]第14回ライスボウル
●1961年元日の「第14回ライスボウル」は例年通り新春スポーツのトップを切って開催された。快晴ながら雪解けで泥濘状態の国立競技場に15,000人の観客を集め、世田谷高校吹奏楽部の国歌演奏で開会。関学大勢中心の関西と立、日、慶の三強で固めた関東の対戦で、関西にはこの年躍進した甲南大からE村田公(四年)、HB上畑安広(四年)、T井上敏弘(三年)ら5選手が出場した。試合は前年の一方的展開と異なり、前半から拮抗する展開となった。
1Q、関東が再三の好機を逸し無得点。関西はこの立ち上がりのピンチを必死のディフェンスでしのぎ、自信を得た展開となった。2Q7分、関東はHB織戸保四郎(日大四年)の40ヤードランで先制TDを挙げ、前半を8-0で折り返した。
3Q早々、関西はQB勝田鐐二(関学大二年)からE西村恭二(関学大三年)へのロングパスのTDで2点差に迫ったが、関東はHB石田弘毅(立大四年)が敵陣40ヤードから2ヤードまでのロングランで反撃し、続くプレーでQB園田成和(立大三年)が中央を突破してTDを挙げ、関西を引き離した。関西は4Q、HB菅原一郎(関学大四年)が右エンドランで25ヤード走ってTDを挙げたが、関東はHB北竹章治(慶大二年)が駄目押しのTDを挙げ、22-12で4連勝を果たした。この試合の主審は在日米軍審判部の委員長で、日本の審判組織を支援していたヘンリー・アナスタシス氏が務めた。
[9]高校タッチフットボールの活動
◆東西王座決定戦・全国高校大会
●高校タッチフットボールでは、関学高が東西王座決定戦で都立戸山高を32-0、全国大会決勝でも市立西宮高を20-0で下して無敗記録を178に伸ばした。
[10]海外・国際関連の活動
◆日本チームの活動(国内開催)
●大学リーグ終了後、第4回を迎えた「ターキーボウル」が国立競技場で開催され、在日米海軍横須賀シーホークスが8-0で前年の雪辱を果たし、通算成績を3勝1敗とした。試合終了後は東京ワシントンハイツの明治クラブに両軍、両国関係者を招いて「TURKEY BOWL BANQUET」がフルコースのディナーで催され、両国の親善を深めた。
日本の名産にちなんで名付けられた「菊ボウル」(12月17日、後楽園競輪場、米在日空軍34-20関東学生)も開催。一般公開のこれらのボウルゲーム以外にも、日米交流戦が米軍基地内で活発に行われるようになった。
●米軍との対戦はこれまで現役学生が多かったが、12月18日に米軍横須賀基地のBerkey Fieldで米海軍横須賀基地のシーホークスと日大・関学大のOBからなるAlumni Clubが対戦した。以降、社会人チームと米軍チームとの対戦が多くなってきた。関東では秋季リーグ戦の日程の中に米軍との交流試合が何試合か行われるほどとなった。