競技活動30年目を迎えた。これを記念し、後楽園競輪場で全関東学生(日大、立大、明大、慶大がチーム単位で参加)が米海軍厚木と記念試合を行った。そして、1946年からタッチフットボール活動をしていた高校がアメリカンフットボールを採用した年だった。
1963.01.01
お知らせ
日大、関学大が圧倒的にリーグ制覇。高校アメリカンフットボールの胎動
日 付 | 主な出来事 | |
社 会 | ・ 2月18日
・ 3月22日 ・ 6月5日 ・ 6月26日 ・ 7月16日 ・11月22日 ・11月23日 |
・バリ島のアグン山噴火、世界的な気温低下
・ビートルズ、初のアルバム発売 ・関西電力の黒部川第四発電所、黒四ダム完成 ・ケネディ米大統領、西ベルリン訪問、演説 ・日本初の高速道路、名神高速道路の栗東-尼崎が開通 ・ケネディ米大統領、ダラスで暗殺 ・初の日米間の衛星中継実験に成功 |
フットボール | ・ 2月14日
・ 9月23日 ・秋: ・翌年2月14日 |
・慶応高・早大学院、アメリカンフットボールとして米ナイルキニック高と対戦
・日本フットボール開始30周年記念試合、全関東学生-在日米海軍厚木 ・関西学生リーグ、西宮球技場工事により各校グラウンドで開催 ・高校ターキーボウル、東京高校選抜-在日米高校選抜、アメリカンフットボールで開催 |
競技活動30年目を迎えた。これを記念し、後楽園競輪場で全関東学生(日大、立大、明大、慶大がチーム単位で参加)が米海軍厚木と記念試合を行った。そして、1946年からタッチフットボール活動をしていた高校がアメリカンフットボールを採用した年だった。
[1]主な出来事
●甲子園ボウルで前年まで6連敗を喫した関学大は、この年のチームモットーを”七転八起”と決めた。しかし、血気盛んな篠竹幹夫監督率いる日大は鉄のごとき団結力と激烈な勝利への執着心で関東を圧勝。甲子園ボウルでも前年に引き続いて試合終了6分前に逆転し、3年連続7度目の優勝を遂げ、関学大の悲願をはねのけた。日大は1957~59年の第1次黄金時代に続く第2次黄金時代を謳歌した。
●小川徳治氏が日本協会理事長(第7代)に就任し、1965年まで務めた。小川氏は69年から2年間、再び日本協会理事長に就任した。
[2]競技施設・装具・公式規則など
◆防具・装具
●当時、ショルダー(米国製)が20,000円ほどだった。1ドル360円で、大卒初任給がまだ20,000円台半ばの頃だった。
◆公式規則変更など
【参考】この年のNCAAの主な規則変更
●T体型のQBがパスの有資格レシーバーであることを公式規則に明記した(1963年に公式規則解説書に規定されたが、公式規則書には記載されていなかったものを明記)。
●第4ダウンおよびBチームが攻撃権を得たときを除き、ゲームクロックが止まっているときの交代プレーヤーの人数に制限はなく、ゲームクロックが動いている場合は2人までとなった。第4ダウンおよびBチームが攻撃権を得た場合は、ゲームクロックの状態に関わらず2人となった。
[3]春季試合など
◆春季試合など(学生)
●関東では日大が圧勝し、関西では関学大の西日本大会優勝という例年通りの展開となった。日大はアンバランスT体型からのランとクイックパント体型からのパス、6-2-2-1体型からのチャージング守備を磨き上げ、甲子園ボウルの前哨戦で関学大を30-6で破り、「第10回西宮ボウル」でも関学大一色の関西との雨中戦を12-6で制し、甲子園ボウル3連覇への態勢を固めた。
●春の東西交流戦は関東勢が6勝3敗2分で勝ち越した。しかし、定期戦の関大-法大、関学大-明大、立大-同大、甲南大-学習院大は地元関西勢が奮闘し、3勝1敗だった。
◆春のボウルゲームなど
●第9回西日本大会
「第9回西日本大会」はOB4チーム、学生5チームが参加して4月7日に開幕。関学大と甲南大が前年に続いて決勝で対戦し、関学大は前半苦しみながらもランプレー主体で50-0と完勝し、8回目の優勝を遂げた。関学大は合宿中に主力QB梅田一夫(二年)が負傷し、HB美田和茂(三年)が代行する苦肉の策だったが、西の王者の面目を保った。
●第10回西宮ボウル
1934年の日本フットボール活動開始20周年を記念して第1回を開催した「西宮ボウル」は第10回を迎え、5月21日に開催された。全関東が日大一色で先発メンバーを組み、関学大主体の全関西と対戦。日大-関学大の交流戦に続く甲子園ボウル前哨戦の感があった。雨中の泥濘戦となった試合は、ライン力で勝る全関東が2TDを守り切り、12-6で辛勝。対戦成績を関東の6勝4敗とした。
●第13回神戸ボウル
「神戸ボウル」は第13回を迎え、全神戸-全市立西宮高の対戦で開催された。前年、関学高の連勝を止めた市立西宮高が、高校としては珍しいOBを含めた出場となった。
[4]秋季試合
◆秋季試合(学生)
■関東(学生)
●関東学生秋季リーグは9月14日に日大下高井戸グラウンドで開会式を行い、続く日大-法大でスタートした。その後は主会場を後楽園競輪場に移した。
日大は60人の大量部員で層が厚く、卓越した戦力で慶大、明大、立大に失点しながらも無難にリーグ戦を乗り切り優勝。2位は今季から野﨑和夫新監督の下でオプションプレーを駆使する明大が立大と慶大を倒して15年ぶりに浮上。QB下坂典正(三年)、HB梨本博(四年)、太田正雄(三年)、FB宮内紀昭(四年)の粘り強いランに、T堀中巖(四年)を中心とするラインの忠実な動きが光った。
スプリットT体型を新採用した慶大は、日大戦の3Q中盤に16-22と6点差に迫る善戦を見せたが、最終戦でHB長松幹昌(三年)の巧走が目立つ法大に完敗して負け越し。3位に立大、慶大、法大が並ぶ波乱のシーズンだった。1部2部入替戦では、防衛大が早大に68-6で圧勝して1部昇格。早大は1部復帰2年で再び降格した
■関西(学生)
●9月22日に開幕。本拠地西宮球技場が名神高速道路建設工事のため1966年まで使用不能となり、関学大、立命大(上賀茂)、甲南大、京大の各校グラウンドで行われた。
優勝候補は関学大だったが、負傷者が続出して同大には36-12と苦戦。最終戦では甲南大に1Qは1TDを挙げただけだったが、その後着々と加点し、56-0で勝利して15年連続の全勝優勝を果たした。
2位争いを抜け出したのは前年に続いて甲南大だった。長手功監督の下、E前田忠彦(四年)、G田口守人(四年)、QB天野隆史(三年)、HB牧野武(四年)を中心に安定して4勝1敗。以下は星のつぶし合いとなり、同志社大が2勝2敗1分で3位、京大が2勝3敗の4位で続き、5位が1勝3敗1分の関大、6位は5敗の立命大となった。
[5]秋季試合(ボウルゲーム)
◆第18回甲子園ボウル
●12月8日の「第18回甲子園ボウル」は小雨の中、日大と関学大の8回目の対戦。関学大の悲願達成を応援する地元観客でスタンドが埋まり、1Qは両軍ともに緊張からかミスが連発する展開だった。
それでも、押し気味の日大はこの年より主軸に据えたQB横溝裕利(三年)のパスが生き、2Q初めにFB阿部敏彰(四年、主将)の中央突破で先制すると、横溝がE中村明広(三年)に鮮やかなミドルパスを決めて14-0とした。関学大は負傷のQB梅田一夫(二年)を交代出場させて反撃開始。前半終了直前に梅田のキープでTDを挙げた。
関学大は3Q、HB宮本曠敬(二年)が中央を突破して独走し、75ヤードのTDを記録。4Qに入るや、巧みな展開でラン攻撃を成功させ、HB大滝善四郎(四年)のオープンプレーでついに18-14と逆転した。防戦一方となった日大は、ここで切り礼のショートパント体型に切り換え、残り6分にQB横溝がE中村に50ヤードのパスを決めて逆転。さらに再逆転を狙う関学大QB勝田鐐二(四年)のパスをDB渡辺次男(四年)がインターセプトし、FB阿部が追加のTDを挙げて勝負を決めた。日大は30-18で勝利。この試合、関学大が王者に肉薄したが、日大の驚異的な気力の前に涙を飲んだ。
◆第17回ライスボウル
●元日恒例となった1964年の「第17回ライスボウル」は、最後の使用となった後楽園競輪場で開催。日本のフットボールを支援したエドウィン・O・ライシャワー在日米国大使夫妻を迎えた。過去6年の敗戦の雪辱を期す関西は、試合開始からライン戦で主導権を握り、前半を12-6とリード。後半も関東のパスプレーによる反撃を抑えて12-6のまま試合終了となり、7年ぶり3度目の勝利を挙げた。
試合開始早々、関西のQB勝田遼二(関学大四年)がFB美田和茂(関学大三年)に投じたパスを関東のB鈴木諭(日大四年)がインターセプトから30ヤード走り、敵陣5ヤードに進んだ。しかし、関西はT伊藤忠男(関学大四年)、G小笠原秀宜(関学大三年)、G矢田泰次(関学大三年)ら守備陣が健闘。関東はラインプレーで突破できず、TDへの活路をパスに求めたが、そのパスを横から飛び出した関西DB美田がインターセプトし、サイドライン際を95ヤード独走して先制のTDを挙げた。試合開始2分の出来事だった。
関西はさらにライン陣のチャージが効果的で、ランプレーを重ねて4回のシリーズ更新からHB宮本曠敬(関学大二年)が左オープンを20ヤード走ってTDし、12-0とリード。関東は2Q13分、FB阿部敏彰(日大四年)がエンドゾーン内のLH梨本博(明大四年)にミドルパスを決めて1TD差に迫った。
後半も関東が反撃したが、関西は伊藤忠男(関学大四年)、小笠原秀宜(関学大三年)らのラインを中心とする守備陣が必死に守り切り、12-6で7年ぶりの勝利で対戦成績を関西の3勝14敗とした。関東は混成ラインに日大、明大バック陣の編成で臨んだが、及ばなかった。
[6]高校タッチフットボールの活動
◆高校選手権大会
●全国高校タッチフットボール大会は、宿命の対決となった関学高と市立西宮高の決勝となり、市立西宮高が12-0で2連覇を果たした。
[7]海外・国際関連の活動
◆日本チームの活動(国内開催)
●例年行われていた関東学生と在日米海軍の「ターキーボウル」は中止となったが、高校に防具を着けたアメリカンフットボール競技の普及を進めていた正則高の伴正憲監督の努力で、2月14日の横浜ビーチフィールドでの「第1回高校ターキーボウル」の開催にこぎつけた。
当時、関東では慶応高、早大学院などで数年前から採用していたアメリカンフットボールへの関心が高まっていた。対戦は関東高校(正則高、慶応高、早大学院、法政二高)と米軍横須賀ハイスクール(YO-HI)でYO-HIが55-0で勝利したが、高校にアメリカンフットボールを普及する大きな引き金になった。この「高校ターキーボウル」は数回開催された。
●「第4回菊ボウル」は12月1日に開催され、在日米空軍(立川)マローダーズが37-6で関東学生選抜に勝利し、4連勝を飾った。関東学生選抜は1Qが防衛大、2Qが法大、3Qが慶大、4Qが立大が対戦するユニット方式で臨んだ。関東学生の得点は3Qに慶大がQB長崎英太郎(四年)からE湯川武(四年)へのロングパスでゴール前に迫り、最後はHB後藤完夫(三年)がエンドゾーンに飛び込んだものだった。