日本フットボールの歴史の節目の年となった。1948年の第4回甲子園ボウルから33年連続で出場していた関学大が、ついに関西学生の覇者の座を京大に譲った。一方、4月中旬から5月中旬にかけて、3人の大学生選手が練習や試合中に倒れ、この世を去った。徐々に対応が始められた安全対策に、一段と充実した対策が求められた。
1982.01.01
お知らせ
日大も甲子園5連覇達成。京大が関学大の33連覇止めて初出場
日 付 | 主な出来事 | |
社 会 | 2月7日 | IOC医事委員会、筋肉増強剤のテストステロンを禁止薬物に |
4月1日 | 日本体育協会、公認スポーツドクター制度発足 | |
4月2日 | アルゼンチンと英国でフォークランド紛争勃発 6月14日:紛争終結 | |
フットボール | 9月4日 | 駒沢第二球技場、計時盤設置 |
11月21日 | 関西学生リーグ、京大が関学大を破り関学大のリーグ連覇を33で止める | |
12月5日 | 実業団リーグ、日産がレナウンを破り優勝 | |
12月12日 | 第37回甲子園ボウル、日大5連覇。京大初出場 | |
12月26日 | 第13回高校選手権、関学高-慶応高、高校初のテレビ中継(横浜スタジアム) | |
翌年1月1日 | 最後の学生選抜戦第36回ライスボウル、関東が6連勝。関東24勝、関西12勝で終える |
日本フットボールの歴史の節目の年となった。1948年の第4回甲子園ボウルから33年連続で出場していた関学大が、ついに関西学生の覇者の座を京大に譲った。一方、4月中旬から5月中旬にかけて、3人の大学生選手が練習や試合中に倒れ、この世を去った。徐々に対応が始められた安全対策に、一段と充実した対策が求められた。
[1]主な出来事
●関西秋季リーグ戦で、33年連続甲子園ボウル出場を続けていた関学大がついに王座から降りた。新しく関西の覇者となったのは京大。1976年に関学大の公式戦連勝を145で止めて同率優勝を果たすなど、「打倒関学大」の先陣を切っていたが、チームワークでTB松田明彦(四年、主将)の脚力を生かし、就任9年目の水野彌一監督の情熱に応えた。
●春季、3人の尊い選手がこの世を去った。甲南大の出雲井善旗選手は脳内出血、京大の藤田俊宏選手は硬膜下出血、国学院大の菊地正英選手は脳挫傷といずれも頭部の負傷で、選手の健康管理の徹底への尊い警鐘となった。1978年に続く事故件数でもあり、協会や各組織で緊急の周知や安全対策などが行われた。一般スポーツとして社会に定着したフットボール部活動のあり方を考え直す契機となり、これ以降、各チームや組織でさらにドクター、トレーナーなどの安全体制整備と啓発が始まった。
また6月上旬、関学大の部員による不祥事が発生。関学大は対外試合と合宿を無期限自粛した(結果的に自粛は6月14日~7月30日)。
●春季から波乱含み、そして社会人フットボールの台頭が目覚ましい年となった。関西の「第28回西日本大会」で関学大が2回戦で松下電工に敗れ、準決勝で京大がサイドワインダーズに敗北。大学と社会人の実力接近が如実となった。関東では日大ショットガンの連勝が続いていたが、「第7回パールボウル」では日大が日産に7-3の辛勝。日大が例年になく苦戦し、戦力低下がささやかれた。
[2]競技施設・装具・公式規則
◆公式規則変更
【この年の日本の主な規則変更】
●4Q終了時に同点の場合、互いに15ヤード(1985年に25ヤードに改正)からのシリーズを行うタイ・ブレイク・システムを制定。
●この頃の関東大学1部リーグは、1、3Qはランニング(「ぶっこみ」とも言われた)23分でQ終了、2、4Qは正式計時10分あるいはランニング18分の早い方でラスト2分とし、ラスト2分は正式計時とした。少ない公共会場で限られた利用時間内に一日3試合を実施する苦肉の策だった。従来から利用時間帯や計時関係規則の変更はなかったが、この頃パスプレーが多くなってきたこと、チームが時間管理の重要性を認識して時間を止めるプレーを行うようになったことから、全体の正式計時では、試合開始から終了までの全体時間が長くなってきたための処置だった。
●ラスト4分の告知がラスト2分に変更された。
●守備側のパス・インターフェランスは、パスがキャッチ可能だった場合に限定された。キャッチ可能でない場合は、パーソナル・ファウルとなった。
[3]春季試合
◆春のボウルゲーム
●第28回西日本大会
「第28回西日本大会」では関学大と京大がトーナメントの序盤戦で台頭してきた社会人チームに相次いで敗退(松下電工14-2関学、サイドワインダーズ24-17京大)。決勝は松下電工とサイドワインダーズが対戦し松下電工が6-0の守備戦を制した。西日本大会はこれまで、学生と社会人を大きく分けたトーナメントとし、決勝で学生と社会人が対戦する仕組みだったが、この年から関西学生リーグと社会人1部リーグ所属チームをシードし、学生、社会人混在のトーナメント方式に変更した。
●第28回西宮ボウル
「第28回西宮ボウル」は日産の日大OBを含んでオール日大としたチームを編成した全関東が、松下電工、ブラックイーグルスなど社会人主体の全関西に49-0と大会史上、最大得点差で完勝した。
「西宮ボウル」は1954年の第1回大会から関東、関西の学生、OB社会人のチーム編成で開催されてきたが、「ライスボウル」が全日本選手権に変わることを受け、翌83年の「第29回西宮ボウル」から東西の学生選抜戦となるため、この年の大会が最後の学生、OBの混成チームの試合となった。通算成績は関東の15勝、関西の12勝、それに1分で、ひとまず社会人を含めた全関東-全関西の対戦を終えた。
●第7回パールボウル
「第7回パールボウル」は7月1日、後楽園球場で第1試合の全早大17-13全オンワードに続き、前年と同じ日産と日大の対戦で開催された。
日大有利の予想だったが、日産の健闘で白熱した試合となった。1Q、日大は自陣27ヤードからの攻撃でQB横瀬輝男(四年)がランとパスを織り交ぜてドライブし、7プレー連続のパス成功などで敵陣1ヤードまで進め、最後はウイングT体型から横瀬のスニークでTD。
しかし、その後日大のパントレシーブのミスを日産T高木豊がリカバーし、敵陣39ヤードからの攻撃で最後はDB森田清が31ヤードFGを決めて3点を返した。日産はその後の日大の攻撃をLB浜田栄二、MG成田完の守備陣が抑えたが、2Q以降両チーム得点なく、7-3で日大が辛くも勝利した。日産・木村洋監督の指導が実を結んだ大学チームへの挑戦だった。
[4]秋季試合
◆秋季試合(学生)
■関東(学生)
●1~3部の直列リーグ制となって2年目の関東大学リーグは、入れ替え戦の効果が出て前年度より拮抗した試合が多くなった。1~3部全体の約4割の試合を駒沢第二球技場、駒沢補助競技場、大井陸上競技場で開催し、6割が各大学グラウンドでの開催と、観客への対応を重視した試合会場の利用形態となった。関東1部の1位はAブロックが日大、Bブロックが日体大と前年度と同じ結果となった。
法大は、日大戦にあまりパスを使用せず、QB松田泰範(四年)、FB白石直之(二年)、HB大川春信(二年)のランプレーで日大に挑戦したが、7-52で大敗。明大はRB森進(四年)、RB守本匡克(四年)の脚力で2TDを挙げたが、ランの松岡秀樹(二年)、パスの横瀬輝男(三年)と二人のQBを使い分ける日大ショットガン攻撃に対抗策がなく、14-52と大敗。慶大がQB柴田善信(三年)の活躍で27-21と明大を破って浮上した。日大が1位、2位に3勝2敗の法大、明大、慶大となった。
Bブロックの日体大は立大、早大、中大には勝利したものの、この年1部入りを果たした専大のウィッシュボーン攻撃に8-8と引き分け、少数精鋭の桜美林大戦では桜美林大のQB山田喜信(三年)からSE山中一伸(二年)へのパスと守備の健闘に7-14の敗戦を喫した。日体大は専大と同率の1位となったが、前年度成績で辛うじて関東大学選手権に出場する苦しい戦いだった。
●第13回関東大学選手権
11月21日の「第13回関東大学選手権・パルサーボウル」は日大-日体大の3年連続の顔合わせとなり、前半は日体大が守備ラインを随時交代させるラッシュ作戦で善戦した。日大はQB松岡秀樹(二年)のランでリズムを取り戻し、松岡がSB大下武義(四年)、TE戸田光則(三年)へのミドル、ショートパスで逆転。後半は縦横の攻めで58-17と大差の勝利で22回目の甲子園出場を決めた。後半、日体大の快足TB東松宏昌(四年)の60ヤードTDが光った。
■関西(学生)
●関西秋季リーグは西宮球技場、神戸中央球技場、西京極球技場で開催した。
京大が圧倒的な力で連勝を続けた。特にTB松田明彦(四年、主将)の6試合で1,271ヤード(1試合平均211ヤード。前年に続く1,000ヤード越え)、28TDという驚異的な快走が光った。関学大は滝悠喜夫新監督体制がスタート。QB小野宏(三年)、FB浜田篤則(四年、主将)、TB安藤邦彦(三年)のラン攻撃を核に、そつない戦術で安定した戦いぶりだった。
両校全勝で迎えた最終節、長居陸上競技場は20,000人の観客で埋まった。先発22人中四年生わずか4人と若い京大は、重量ラインが押し勝ち、開始3分に和田晋典(二年)の32ヤードFGで先制。TB松田明彦(四年、主将)への警戒の裏をかくFB麻昌一(四年)やQB大社充(三年)のランで前進、2Qには大社からWR海津泰久(三年)へのパス、大社のスクランブルの2TDで先行した。
後半、京大は関学大の反撃をQB小野宏(三年)からWR山口哲史(四年)への1TDパスに抑え、17-7で勝利した。関学大は先制されて連覇への意識が緊張につながり、京大ゴールライン前の攻撃を3度逃して34年ぶりの無冠となった。
3位以下は星のつぶし合いとなり、4勝3敗の大体大と近大が3位。創部4年目、関西学生リーグ1年目の岡山大が遠隔地のハンディを乗り越え、大体大と関大に勝利して6位となり、話題を集めた。一方、1935年に関西で初めてアメリカンフットボール部を創設した関大は、近年不振が続いていたが、ついにリーグ戦で全敗し、2部との入れ替え戦でも大市大に9-21で破れ、2部リーグに降格した。
■各地区(学生)
【北海道】 北大が4戦全勝で優勝。2位が札幌大と旭川大、以下北海学園大、小樽商大となった。
【東北】 東北大が5戦全勝で優勝。以下東北学院大、日大工学部、北里大水産学部、仙台大となった。
【東海】 中京大が名古屋大との全勝対決に26-7で快勝し、優勝した。2位は名古屋大。以下愛知学院大、南山大、名古屋学院大、愛知大となった。
【北陸】 金沢大がリーグ戦参加2年目にして4戦全勝で優勝した。以下金沢医大、金沢工大、福井大、金沢経大となった。
【中四国】 愛媛大、広島大、広島修道大がともに4勝1敗で3者優勝となった。以下広島経済大、山口大、島根大となった。
【九州】 西南学院大が4戦全勝で優勝した。以下九大、福岡大、九産大、久留米大となった。
◆秋季試合(社会人)
●東日本実業団リーグは後楽園球場と各企業のグラウンドを使用し、関東社会人リーグは主として幾徳工大(現神奈川工科大)グラウンドを使用して開催。関西社会人リーグは西宮球技場などを使用した。
■秋季試合 関東(社会人)
●年々充実してきた社会人。東日本実業団は丸紅が参加して9チームで開催。前年までの並列2ブロック制を廃止し、総当たり戦とはならなかったものの1リーグ制とした。優勝争いは伝統あるレナウンと新鋭日産との予想で、日産は最終戦でレナウンに29-0と快勝した。2位は躍進のオンワードで、以下レナウン、警視庁、丸紅、三井物産、朝日生命、東京ラングラーズ、エイブルとなった。
クラブチーム主体の関東社会人リーグはシルバースターが日大、日体大からの新人が加わりチームを補強。大量得点で他を圧倒し5戦全勝の優勝を果たした。2位以下はシルバーオックス、東京グリーン・ホークス、ウェーブス、東京シャークス、横浜ハーバースの順だった。
■秋季試合 関西(社会人)
●関東の社会人とは異なり、実業団とクラブチームがともにリーグを組む関西社会人リーグAブロック(1部相当)は、松下電工が最終戦でブラックイーグルスとの接戦を13-7で制し、全勝で3連覇を飾った。2位はブラックイーグルスで、以下NACL、ギャレックススイーパーズ、全建開発、サイドワインダーズ、シルバータイガースとなった。
[5]秋季試合(ボウルゲーム)
◆第37回甲子園ボウル
●日大と初出場の京大という顔合わせとなった「第37回甲子園ボウル」は、寒風の吹く12月12日に開催された。国立大学の甲子園ボウル出場が、新聞各紙で大きく報道された。
スタンドは史上2番目となる32,000人の大観衆で埋まり、13時20分に日大のキックオフで試合が開始された。立ち上がりから日大はショットガン体型からパスを連発し、1Q2分、5プレー目にQB横瀬輝男(三年)からSB大下武義(四年)への17ヤードのパスで先制TDを挙げた。
京大は重量ラインを中心とするライン攻撃で反撃。1Q9分、京大は日大ゴール前での味方のファンブルをRT大西一照(三年)がエンドゾーンでリカバーしてTDを返した。しかし、日大はその後も横瀬輝男(三年)、松岡秀樹(二年)の両QBがSB大下武義(四年)、RB湯沢三千男(四年)、TE戸田光則(三年)らへ63回で44回成功とパスを縦横に通した。また、攻守にスタメン出場したT熊切栄一(四年)、DE阿部章則(三年)、RE茂木孝夫(三年)、R長谷川弘(四年、主将)、SF小宮義郎(三年)が軸となった守備の健闘もあり、65-28と大差で5年連続16度目の王座に就いた。日大の65得点は、その後も記録として残る甲子園ボウル最多得点である。
1958年に日大がショットガン体型を始めて25年目、四半世紀の歴史を重ねて研ぎ澄まされてきたパスの威力が、大会史上最多得点となった。京大は敗れたものの、RB松田明彦(四年、主将)が巧みな走法で312ヤード、2TDと活躍。ミルズ杯は松田が敗戦チームから始めて受賞した。
◆第2回東西社会人王座決定戦
●「第2回東西社会人王座決定戦」は前年同様、実業団の辞退で日産が参加せず、対戦カードも前年と同じとなり、シルバースターが松下電工を28-20で破って2連覇を果たした。シルバースターは1Q、QB大高秀二からWR秋山克未への67ヤードTDパスで先制。その後の松下電工のあと1ヤードでTDとなる攻撃をシルバースターの守備陣、LE浦島昌二、LT橋本啓司、RT槙野均が防ぐ展開。
シルバースターはQB大高秀二のパスが松下電工守備ラインに叩かれたが、そのボールをC天野博がキャッチして11ヤードを走ってTDを挙げ、14-0とした。松下電工も3TDを挙げ、20-21と1点差に迫る緊迫した展開に。しかし4Q、シルバースターは松下電工のパントをR山本勝一がレシーブすると、65ヤードのパントリターンTDを挙げ、28-20で振り切った。
◆第36回ライスボウル
●「第36回ライスボウル」は翌1983年1月16日、国立競技場に25,000人の観客を集め、この年で最後となる東西学生選抜戦として開催され、華々しいTDの応酬となった。
1Q、関東は日大ショットガンユニットが着々と前進し、最後はK戸田光則(日大三年)が36ヤードのFGを決め先制。しかし、直後のキックオフで、自陣5ヤードでレシーブした関西の小野宏(関学大三年)が関東陣32ヤードまでリターン。QBでもある小野は、徐々に関東陣に攻め入り、最後は自らのスニークで逆転のTDを挙げた。
2Q1分、関西のQB小野は再びキックオフから97ヤードのリターンTDを挙げ、さらにQB大社充(京大三年)から梅津泰久(京大三年)の40ヤードTDパスで、前半は関西が28-17とリードして後半に折り返した。
4Q2分、関東はQB松岡秀樹(日大二年)からE戸田光則(日大三年)への12ヤードTDパス、4分には松岡の7ヤードTDラン、10分に再び松岡の1ヤードTDランと3つのTDを挙げ、追い上げる関西を1TDに止めて37-34で競り合いを制した。
有終の美を飾った「第36回ライスボウル」、通算成績は関東の24勝12敗で終わった。1948年の第1回から開催されてきた東西大学選抜戦は、84年から初夏開催の「西宮ボウル」が引き継ぐことになり、「ライスボウル」は翌年から日本フットボール50年を記念し、念願の学生と社会人のチャンピオンチームによる全日本選手権となった。
◆その他のボウルゲーム
●東西社会人のオールスター戦になって2年目の「第32回神戸ボウル」は翌1983年1月9日、神戸中央競技場で開催。オールスター戦にふさわしい華やかなビッグプレーの応酬で、ハイスコアの試合となった。全関西のQB西村英男(松下電工)、QB池野邦彦(湖北ファイニーズ)のTDパスなどでリードを保った関西が、関東の追い上げをしのぎ、38-31で逃げ切り勝利した。
[6]高校フットボールの活動
●高校2校が加盟し、全国で100校となった。しかしながら部員不足で大会不参加や休部のチームも多くあり、3年間という短期間の在学でほとんどの新入部員が初体験という組織スポーツのフットボールを高校部活動で継続していくこと、維持していくことの難しさがあった。
◆春季大会(高校)
●「春季第8回関東高校選手権大会」は東京、神奈川の地区大会優勝、準優勝の4チームのトーナメントで開催。1回戦(準決勝)で日大高(神奈川2位)を32-6で下した日大櫻丘高(東京1位)と、麻布高(東京2位)を30-6で下した慶応高(神奈川1位)が決勝で対戦し、慶応高が30-14で勝利し、優勝した。
「春季第12回関西高校選手権大会」は各府県代表の8チームが参加して開催。準決勝で関西大倉高(大阪2位)を21-0で下した関学高(兵庫1位)と、市立西宮高(兵庫2位)を37-6で下した府立池田高(大阪1位)が決勝で対戦し、関学高が20-19の大接戦で府立池田高を破って優勝した。
◆秋季大会(高校)
■関東地区(高校)
●「全国大会関東地区」決勝は11月17日、都立西高グラウンドで慶応高と日大櫻丘高が対戦した。雨で泥というグラウンドはあいにくの状態でボールが滑り、ライン、バックスとも足を取られて両チームともに思ったような試合展開ができない状況となった。慶応高は2Q、40ヤードの独走TDで先制すると、さらに4Qに95ヤードの独走TDで14-0とし、そのまま勝利した。ショットガン体型の日大櫻丘高は、雨で攻撃がつながらなかった。
■関西地区(高校)
●「全国大会関西地区」決勝は11月23日、神戸中央球技場で関学高と関西大倉高が対戦。1Qは両チーム無得点で進み、2Qに関学高が連続して3TDを挙げて21-0と大きくリード。関学高は3Qにも3TDを挙げ、49-14で勝利した。関西大倉高はラインとバックスに好選手をそろえ、大阪府大会を圧倒的な勝利で勝ち進んだチームで、「関学高危うし」の予想もあったが、関学高はそれを見事にはねのけた。
◆第13回全国高校選手権
●「第13回全国高校選手権」決勝は12月26日、初使用となる横浜スタジアムで雨の中、大型チームの関学高と慶応高の対戦で開催された。関学高はQB芝川龍平(三年)が巧みにショットガン攻撃を駆使し、2Qまでにランプレーで3TDを挙げ大きくリード。一方的な試合になるかと思われたが、慶応高守備陣がそこから踏ん張り、またFB藤波伯彰(三年)の2TDで反撃したが、最後は関学高が21-12で逃げ切り、2年ぶり9度目の優勝を果たした。
[7]海外・国際関連の活動
◆外国チーム間の試合(日本国内開催)
●「第6回ミラージュボウル」は11月28日、国立競技場に強豪クレムソン大が登場。2度目の来日となったウェイクフォレスト大が対戦し、クレムソン大が21-17で接戦を制した。ハーフタイムショーには、「タイガーバンド」と呼ばれるグランブリング大のマーチングバンドが出演した。
●「第8回ジャパンボウル」は翌1983年1月23日、横浜スタジアムに30,000人の観客を集めて開催された。西軍がRBジョン・タッグル(カリフォルニア大)の2TDランを生かし、30-21で西軍が4連勝した。ハーフタイムは日体大の集団行動「エッサッサ」が3回連続の出演。両軍69選手は試合後、成田空港に直行しそのまま帰国した。MVPは南メソジスト大のRBエリック・ディカーソンが受賞した。
★当時の関係者の言葉(日本協会50年史掲載)
●甲子園ボウルの想い出
「タイムアップの瞬間がすべて。4年間の苦しい練習などがその瞬間に回想され、それがすべて喜びに変わるのです。勝利よりも、軌跡に対する満足感でいっぱいでした」(日大1983年卒 FS・主将 長谷川弘)
「甲子園初出場もさることながら、藤田俊宏選手の死が一番印象深い出来事です。甲子園は素晴しいグラウンドで持てる力は出せたが、日大のスピードにはかなわなかった」(京大1983年卒 RB・主将 松田明彦)