アメリカンフットボールの「第1回ワールドカップ(W杯)」が6月から7月にかけてイタリア・パレルモで6か国が参加して開催された。米国とカナダは不参加だったが、阿部敏彰ヘッドコーチ率いる日本は1次リーグでスウェーデンと豪州に快勝。決勝ではメキシコと0-0でタイブレーク方式の延長戦に突入し、日本がTDを挙げて記念すべき第1回大会で劇的な優勝を飾った。
1999.01.01
お知らせ
日本、W杯初代王者に。樋口廣太郎氏が日本協会コミッショナーに就任
日 付 | 主な出来事 | |
社 会 | 1月1日 | EU、単一通貨ユーロ導入 |
3月24日 | コソボ紛争制裁のため、NATO軍がユーゴスラビアを空爆 | |
9月21日 | 台湾大地震発生(M7.6) | |
12月20日 | マカオ、ポルトガルから中国に返還 | |
フットボール | 2月21日 | 第1回5人制フラッグフットボール選手権冬季大会(川崎球場) |
4月17日 | NFLヨーロッパ開幕、日本人4選手参加 | |
4月24日 | 第24回パールボウル・トーナメント、Xリーグ2部にも参加枠拡大 | |
5月16日 | ワールドカップ壮行試合、全日本-全在日米軍(横浜スタジアム) | |
6~7月 | イタリア・パレルモで第1回ワールドカップ開催。日本優勝 | |
6月27日 | アメリカンフットボールフェスティバル99開催(西宮)、7月3日:とどろきアリーナ | |
8月15日 | 第1回フラッグフットボール日本選手権夏季大会開催(横浜国際総合競技場) | |
9~11月 | Xレディースリーグ(女子フラッグフットボール)開催(駒沢陸上など) | |
9~11月 | 少年少女ジュニアフットボールスクール開催(西宮スタジアム) | |
翌年1月1日 | 樋口廣太郎氏、日本協会コミッショナーに就任 | |
翌年1月3日 | 第53回ライスボウル、アサヒビール、関学大を下し3回目の優勝 |
アメリカンフットボールの「第1回ワールドカップ(W杯)」が6月から7月にかけてイタリア・パレルモで6か国が参加して開催された。米国とカナダは不参加だったが、阿部敏彰ヘッドコーチ率いる日本は1次リーグでスウェーデンと豪州に快勝。決勝ではメキシコと0-0でタイブレーク方式の延長戦に突入し、日本がTDを挙げて記念すべき第1回大会で劇的な優勝を飾った。
[1]主な出来事
●1997年に日本協会医事委員会主催として始まった「アメリカンフットボール医・科学研究会」が、この年から日本協会主催となり、第4回が2000年1月10日に東京・銀座のリクルート本社ビルで開催された。内容は以下の通り。
(1)第1回ワールドカップ随行報告
(2)チャンピオンチームのトレーナーとしての報告
(3)ドーピングについて
(4)スポーツと栄養
(5)トレーニングと食べもの
(6)頭部外傷のフォローアップ報告
全国各地から集まったドクター、トレーナー、指導者、マネジャーら約120人が最後まで熱心に聴講した。
●春、実業団チームの先駆者・レナウンと1998年の王者・リクルートがクラブチームとして再スタートすることとなった。シーズン後には関西の雄・マイカルがクラブチームとして活動することとなった。経済状況の悪化によるものだった。
●年が明けた2000年1月1日、日本協会の初代コミッショナーにアサヒビール名誉会長の樋口廣太郎氏が就任した。同社の企業経営や活動のかたわら数々の公職を歴任した樋口氏は、フットボールは芸術性と文化性を兼ね備えた究極のスポーツと考え、1988年にアサヒビール・シルバースターのオーナーに就任。コミッショナー就任後は競技の普及に関する関係者との調整や、活動の推進を精力的に行った。
●鈴木卓治氏が日本協会理事長(第14代)に就任し、2002年まで務めた。
[2]競技施設・装具・公式規則
◆競技施設
●1991年から関東の学生、社会人で使用されてきた川崎球場は、この年をもって閉鎖されることとなった。耐震性に問題があったためで、解体して球技専用競技場として生まれ変わることとなった。
◆公式規則
【この年の日本の主な規則変更】
●攻撃側はハドルを解く際に、12人以上いてはならないことになった。
●インテンショナル・グラウンディングの罰則はパスを投げた地点でロス・オブ・ダウンのみとなった。従来は、さらに5ヤードの罰退を伴った。
[3]春季試合
◆春のボウルゲーム
●第45回西日本選手権
「第45回西日本社会人選手権決勝・グリーンボウル」は初夏の日差しまぶしい西宮スタジアムで、マイカルと湖北が対戦した。マイカルは2Q、QB夏目亙からWR東野修一へのロングパスで好機をつかみ、RB波武名生則のTDランで先制。湖北も守備陣がその後踏ん張ったが、マイカルは4Q早々にLB吉田武司がインターセプトし、そこからの攻撃で夏目がWR竹田勉に20ヤードのTDパスを決めて加点。さらにK山口豊が2つのFGを決め、20-0で2年ぶりの優勝を遂げた。
●第45回西宮ボウル
「第45回西宮ボウル」は6月26日、豪雨の西宮スタジアムで開催。3Q、関西は高校以来4年ぶりにコンビを組んだ府立箕面高出身のQB有馬隼人(関学大四年)とTB平手聡(近大四年)の活躍で逆転に成功し、14-13で勝利した。社会人も参加した時代も含めた通算成績は関西の19勝25敗1分。
●第13回ヨコハマボウル
「第13回ヨコハマボウル」は5月30日、快晴の横浜スタジアムに19,000人の観客を集めて開催された。
・第1試合の立命大-日大は、平均身長186センチ、体重115キロと学生界屈指の攻撃ラインを誇る立命大がパワーで押し切り、31-21で念願の日大戦初勝利を挙げた。日大は1Q、QB桂雄史郎(四年)からSB伊能秀典(三年)の14ヤードTDパスでリードしたが、立命大は2QにRB礒谷幸始(一年)、RB高橋昌宏(三年)、QB川嵜滋央(四年)の3TDで逆転し、守備陣が日大の反撃を抑えて勝利した。
・第2試合の法大-京大は1Q6分、京大がRB畑佑樹(二年)の5ヤードTDランで先制したが、法大は2QにUB白木周作(二年)の1ヤードTDラン、QB木目田康太(四年)からWR荒井学(三年)への24ヤードTDパスなどで逆転。4Qの京大の猛反撃をかわし、30-22で勝利した。
なお、この日、同会場で行われた関学大と明大の定期戦は、関学大が28-0で勝利した。
●第24回パールボウル
「第24回パールボウル」は6月7日、東京ドームで鹿島と日産が対戦。1Q4分、鹿島が新人QB笹野直紀の1ヤードTDランで先制すると、2Qに日産がSE田中隆一の5ヤードTDランで同点に。しかし、鹿島は2Qにセーフティーでリードすると、3QにはRB児玉峰彦とRB関澤剛二が計3TDを挙げて日産を突き放し、31-7で2連覇を遂げた。関澤は12回のランで114ヤード、2TD、パス捕球2回、56ヤードと活躍し、MVPに輝いた。
[4]秋季試合
■関東(学生)
●関東大学リーグ1部は、主会場を川崎球場と大井第二球技場として開催。夢の島競技場(東京都江東区)、西武ドーム、横浜国際総合競技場を初めて使用するなど、多くのグラウンドを使用した。2部は駒沢第二球技場や大井第二球技場、各大学グラウンドを使用した。
Aブロックは法大がスピードあふれるオプション攻撃を展開。序盤は守備陣がやや不安定だったが、徐々に確実さを増し、ブロック全勝で1位となった。2位は中大が食い込み、初のプレーオフ進出。明大と早大が3勝3敗で並び、直接対決の結果で明大が3位、早大が4位となった。明大のRB瀬畑圭介(四年)はラン獲得距離1,260ヤードの大記録を打ち立てた。関東学院大は2勝を挙げ、日体大とともに5位となったが、日体大に敗れていたため、最下位の桜美林大とともに2部との入れ替え戦に回った。入れ替え戦で関東学院大は神奈川大を20-7で、桜美林大は山梨学院大を27-16で破り、ともに残留した。
Bブロックは日大が全勝で1位となり、帝京大が接戦で東大と専大を破って2位となった。慶大は立大に勝利したものの、1勝5敗で6位。全敗で7位の立大とともに入れ替え戦に回った。入れ替え戦で慶大は防衛大に17-18で、立大は筑波大に12-17で敗れ、ともに2部降格となった。慶大が2部となるのは、1935年の創部以来初めてだった。
●第30回関東大学選手権
準決勝の法大-帝京大は、前年法大が苦しめられた相手とあって注目された。帝京大が92ヤードのTDパスで先行したが、その直後のキックオフで法大のR薄衣由素(三年)が93ヤードのリターンTD。法大はその後もLB平本義人(三年)がインターセプトするなど、計6つのインターセプトを奪って34-7で勝利した。
日大-中大は1Q8分、日大がQB桂雄史郎(四年)からSE川上絢也(四年)への11ヤードTDパスで先行。その後、中大に逆転されたが、2Q終了間際に桂が1ヤードを押し込んでTDし、前半を日大が14-9とリードして折り返した。日大は3Qに2TDを挙げてリードを広げ、中大の反撃を抑えて28-22で逃げ切った。
決勝は12月5日、川崎球場に16,500人の観客を集めて開催。日大は前半、FL十文字伸介(四年)からB杉浦良一への8ヤードTDパスなど3連続TDで前半終了間際で20-0と大きくリードした。法大は2Q終了間際、QB木目田康太(四年)の6ヤードTDランで反撃開始。後半にはUB堀田修平(四年)の7、49、56ヤードの3つのTDランで逆転して28-20で勝利。法大が6年連続で甲子園ボウル出場を決めた。
■関西(学生)
●関西学生リーグDiv.1は9月3日、鶴見緑地競技場でのナイターの近大-関大で開幕。以降は西宮スタジアムを主会場に宝ヶ池競技場、尼崎陸上競技場などを使用した。
●前年3位に終わり、春も創部以来初めて甲南大に敗れ、立命大にも完敗した関学大が、開幕から着実に勝利を重ねて2年ぶりの優勝を全勝で飾った。広い守備範囲を誇るDL石田力哉(二年)が中心の守備は、リーグ戦を通じて相手に13点しか許さず、攻撃もQB有馬隼人(四年)のパスが効果的で、安定した得点力を発揮した。
関学大は4連勝で長年のライバル・京大と対戦。守備陣は京大の獲得を141ヤードに抑え、攻撃ではQB有馬隼人が2本のTDパスを決め、24-0で18年ぶりの完封勝利を挙げた。
圧倒的な守備力を誇ってリーグ2連覇を狙った立命大と関学大はともに全勝で対戦。立命大が有利との前評判だったが、11月7日に西宮スタジアムで開催された試合は関学大が開始3プレー目でLG宮下俊介(三年)の好ブロックを生かしたRB井岡淳(四年)の88ヤードTDランで先制。関学大はさらにK山路新太郎(三年)の32ヤードFG、QB岡村幸太郎(三年)の13ヤードTDランで前半を17-0とリードした。後半、立命大は必死に追い掛けるが、関学大のDE玉本潤一(四年)、LB榎原俊樹(四年)、NG石田力哉(二年)、DE弘中大士(二年)の守備陣が立命大の攻撃を抑え、関学大が27-7で勝利した。関学大は最終の近大戦も24-0で勝利し、41回目の甲子園ボウル出場を決めた。
■各地区(学生)
【北海道】 10月16日に全日程が終了。北大が札幌大との全勝対決で前半リードを許したが、後半に大量点を挙げて39-8で完勝。5連覇を果たした。
【東北】 10月31日、岩手大が東北学生リーグを引っ張ってきた東北大を9-7で破り、初優勝を遂げた。岩手大は2年前は全敗で5位、前年は2勝3敗の同率4位からの大躍進で北日本学生王座決定戦に進んだ。
【東海】 11月6日、全勝の名城大と近年躍進著しい1敗の信州大が対戦。名城大が33-0で完勝し、優勝した。名城大は関西学生リーグDiv.2Bの阪大との入れ替え戦出場決定戦に進んだ。
【北陸】 10月31日、金沢大と福井工大の全勝対決は、48人の部員を抱える金沢大が49-13で快勝し、関西学生リーグのDiv.2Aの同大との入れ替え戦出場決定戦に進んだ。
【中四国】 1部リーグは5校で開催。広島大が全勝優勝し、以下愛媛大、山口大、松山大、高知大となった。四国の3チームが1部で戦った。
【九州】 6校で1部リーグを開催。九大が全勝優勝、2位が久留米大で以下福岡大、西南学院大、第一経済大、九産大となった。
●「第3回北日本学生王座決定戦第・14回パインボウル」は11月7日、厚別公園競技場で北大と新星・岩手大の対戦で開催。開始早々、北大のファンブルを岩手大が押さえ、K/G山本陽介(四年、主将)の25ヤードFGで先制。北大は2Q、FGで追い付くと、RB米田敦夫(四年)、RB木村了(三年)がロングゲインを連発して2TDを挙げ、以降も順調に得点を重ねて51-3で圧勝した。
●「第3回南日本王座決定戦・第15回平和台ボウル」は11月14日、博多の森陸上競技場で九大と広島大が対戦。九大は2Q終盤、エースRB坂下基(三年)の70ヤード独走TDで先制。さらに後半開始のキックオフを平郡弘章(四年)が95ヤードのリターンTDし、さらに今村隆太(四年)がパントリターンTDを挙げ、守備ではロスタックルを連発したLB羽野岳彦(三年)らの活躍で40-0と完勝した。
●1997年に始まった東西の学生王座決定戦は、東が「シトロンボウル」、西が「ウエスタンボウル」の名称となった。
・「第3回東日本学生王座決定戦・シトロンボウル」は12月12日、仙台スタジアムで行われ、関東準優勝の日大が北大に70-13で前年に続いて勝利した。
・「第3回西日本学生王座決定戦・ウエスタンボウル」は12月12日、博多の森陸上競技場で行われ、関西2位の立命大が攻・守・蹴に九大を圧倒し、78-0で勝利した。
●北海道連盟は、札幌雪まつりの最終日となる翌2000年2月23日、札幌大グラウンドで本邦初の「雪中フラッグフットボール大会・第1回ホワイトボウル」を開催した。関係者が数日前から整備したグラウンドに前日、無情にも雪が降り注いだが、道産子の再度の奮闘で圧雪作業も大会開始前に完了。100人を超える参加者で無事終了し、試合後はジンギスカンと豚汁で大会を締めた。
◆秋季試合(社会人)
●Xリーグイーストとセントラルは東京ドームを平日4日間使用し、ほかに川崎球場、横浜スタジアム、駒沢陸上競技場を使用した。ウエストは西宮スタジアムと西宮球技場、長居球技場を使用した。
■秋季試合 関東(社会人)
●イーストは前年不本意な成績でFINAL6出場を逃したオンワードが、デービッド・パウロズニック氏をヘッドコーチに迎え、新たなスタートを切った。王者・リクルート戦ではRB杉澤浩二を中心にパワーがさく裂し、守備陣も得点力のあるリクルートを抑えて20-14で勝利し、その後も勝ちを重ねて全勝で1位となった。リクルートは4勝1敗でFINAL6に出場した。
●セントラルは2年連続FINAL6に出場している鹿島が、負傷者多数にもかかわらず、危なげなく5戦全勝で1位となった。近年、力を付けてきた富士通が好調で、アサヒビール戦は4Qまでリードし、初のFINAL6出場かと思われたが、14-18の逆転負けで3位となった。勝利したアサヒビールがFINAL6に出場した。
●12月18日、大井第二球技場で「第9回クイーンボウル」が開催され、クラブ・レディコング(1990年創部)と関西興銀(86年創部の世界初の女子チーム)が対戦した。1Qにレディコングが2TDを挙げてリードし、その後も優勢に進めて26-14で勝利。対戦成績を5勝3敗1分とした。
■秋季試合 関西(社会人)
●ウエストは最後までFINAL6出場チームが決まらない混戦となった。最終節では前年1位のアサヒ飲料と松下電工、マイカル、湖北に進出のチャンスがあったが、アサヒ飲料が松下電工に35-13で勝利して1位となり、マイカルが湖北を28-6で破ってFINAL6に進出した。プレーオフの常連、松下電工は出場権を逃した。
■プレーオフ(社会人)
●FINAL6の1回戦は、アサヒビールが攻守ともに絶好調でオンワードに付け入る隙を与えず、23-13で勝利。リクルートはマイカルを2Qで突き放して37-7で勝利し、ともに準決勝に進んだ。
準決勝2試合は、ともに最後まで勝敗が分からない接戦となった。
・アサヒビールとアサヒ飲料の「兄弟対決」は、強力守備のアサヒ飲料が敵陣でのQBサックでセーフティーを挙げて2点を先制するが、アサヒビールが3QにファンブルリカバーからTDして逆転。アサヒビールが20-15で勝利した。
・鹿島とリクルートは、前半終了間際のFGでリードした鹿島が、後半に入っても相手のミスを確実に点に結び付け、20-13で勝利した。
[5]秋季試合(ボウルゲーム)
◆第54回甲子園ボウル
●「第54回甲子園ボウル」は12月19日、甲子園球場に30,000人の観客を集め、関学大と法大が対戦した。
法大は1Q8分、K井川宅朗(三年)の37ヤードFGで先制。関学大は直後の9分、RB猪狩真吾(四年)の55ヤードTDランですぐに逆転すると、その後も法大のパントをブロックしたDB福田幸蔵(三年)の26ヤードのリターンTDなど前半で3TDを挙げ、31-6と大きくリードした。
3Q3分、関学大はQB有馬隼人(四年)からSE田富雄祐(四年)への21ヤードTDパス、4Q早々にRB井岡淳(四年)の62ヤードTDラン、同7分にDE玉本潤一(四年)のインターセプトリターンTDなど3TDを挙げた。守備陣もDL石田力哉(二年)らの活躍で、法大の反撃をRB堀田修平(四年)の1TDのみに抑え、52-13で勝利した。
関学大は「挑戦者」をキーワードとし、1年間この日に向けて準備をしてきた努力が実って2年ぶりの優勝。日大と並んでいた甲子園ボウル最多優勝を21とし、単独トップとなった。関西勢は1分を挟み8連勝。ミルズ杯は関学大のQB有馬隼人(四年)が受賞した。
◆第13回日本社会人選手権・東京スーパーボウル
●「第13回日本社会人選手権・東京スーパーボウル」は12月15日、東京ドームに24,000人の観客を集め、アサヒビールと鹿島が対戦。鹿島(金氏眞監督)とアサヒビール(阿部敏彰監督)はともにセントラルディビジョンの所属で、リーグ戦では鹿島が圧勝していた。
2Q、鹿島が自陣奥深い場所でのインターセプトで攻撃権を得ると、最後はRB堀口靖が2ヤードTDランを挙げて先制。3Qにアサヒビールが逆転し、さらに4Qで鹿島が再逆転と、両者の死闘が続いた。アサヒビールは残り2分から、QB金岡禧友が立て続けにパスを決めて敵陣に入り、残り20秒でWR梶山龍誠に再々逆転となる6ヤードTDパスを決め、18-16の劇的な逆転勝利を収めた。MVPは金岡が受賞した。
◆第53回ライスボウル
●「第53回ライスボウル」は翌2000年1月3日、東京ドームに32,000人の観客を集め、アサヒビールと関学大が対戦した。
1Q8分、アサヒビールはゴール前1ヤードからRB吉岡崇が飛び込んで先制。さらにRB斉藤龍一とRB中村友がそれぞれランでTDを挙げ、パスもQB金岡禧友が15回投げて11回成功、157ヤードを獲得し、計33点を挙げた。一方、前年の関西学生3位から学生王者に復活した4回目出場の関学大は、アサヒビールに先制された後、パス主体の攻撃に切り換え、QB有馬隼人(四年)が2Qと3Qにそれぞれ79ヤード、3ヤードのTDパスで反撃したが、アサヒビールが33-17で勝利した。関学大は後半、ほぼ互角の戦いを見せたが、前半の失点が痛かった。
アサヒビールは6年ぶりの日本一。先発メンバーでは4人しかいない前回の優勝経験者の一人、DE佐々木康元主将が若い選手をまとめ、強力ラインを武器に社会人最多となる3回目の優勝を果たした。MVPのポール・ラッシュ杯はアサヒビールのRB中村友が受賞した。
◆その他のボウルゲーム
●翌2000年1月9日、川崎球場で東西大学四年生のオールスター戦「第17回カレッジボウル」が5,000人の観客を集めて行われ関西が17-13で勝利した。1985年から関東・関西の1部校の四年生を対象にした大会は、これが最後となった。対戦成績は関東の12勝、関西の5勝だった。
第1回から第3回は「カレッジ・シックボウル」、第5回から第11回は「カレッジ・東ソーボウル」として行われ、その後は後援企業のない「カレッジボウル」として開催された。学生生活最後の試合として、各選手の思い出に残るボウルゲームであり、卒業後も選手同士の交流が続いた。
●関東、関西の2部、3部相当のそれぞれの選抜戦、「東西大学ジュニア・オールスター戦」が第10回を迎え、12月29日に晴天の川崎球場で開催された。3部相当の関東エリアリーグ1部選抜-関西学生リーグDiv.3は関東が17-14で勝利し、2部相当の関東大学2部選抜-関西学生リーグDiv.2は関東が20-14で勝利した。MVPは2部がRB鎌田英樹(青学大四年)、3部がTE角野史郎(駒大四年)だった。
[6]高校フットボールの活動
◆春季大会(高校)
●「第25回春季関東高校選手権」は準決勝で三島高(静岡1位)を14-13の接戦で破った中大付高(東京1位)と、早大学院(東京3位)を35-33のこれも接戦で破った駒場学園高(東京2位)が決勝で対戦し、爆発的な得点力を誇る駒場学園高が34-7で勝利し、優勝した。
●「第29回春季関西高校選手権」は準決勝で大産大付高(大阪1位)を3-0で破った関西大倉高(大阪3位)と、府立豊中高(大阪2位)を17-14で破った関学高(兵庫1位)が決勝で対戦し、関学高が15-0で勝って優勝した。
◆秋季大会(高校)
■関東地区(高校)
●「全国高校選手権関東大会」決勝は11月21日、駒沢第二球技場で駒場学園高と中大付高の間で行われ、21-21で4Qへ。駒場学園高がTDを挙げてリードしたが、中大付高は残り1秒で同点とし、全国高校選手権関東大会初のタイブレーク方式の延長戦に突入した。先攻の駒場学園高がTDを挙げて守り切り、18年ぶり4回目の全国大会決勝に進んだ。全国大会初出場の清水国際(静岡代表)は1回戦で立教高(SIC=埼玉・茨城・千葉=2位)に36-29で勝利して2回戦に進み、駒場学園高と対戦したが、14-42で敗れた。
■関西地区(高校)
●「全国高校選手権関西大会」決勝は11月23日、厚い雲が垂れ込めた西宮球技場で大産大付高と関学高が対戦。大産大付高が着実に得点を挙げ、前半を24-7で折り返すと、後半も3TDを挙げ、総獲得距離415ヤードの圧倒的攻撃力で45-13と勝利した。
◆第30回全国高校選手権決勝・クリスマスボウル
●「第30回クリスマスボウル」は12月26日、好天の川崎球場で大産大付高と駒場学園高が対戦。駒場学園高は1Q、インターセプトから得た攻撃権をTDに結び付けて先制。大産大付高は直後にTB岸野公彦(二年)が32ヤードの独走TDを挙げ、以降もQB高田鉄男(三年)の好采配など攻・守・蹴で機動力あふれるプレーを展開し、64-6で5年ぶり2回目の優勝を果たした。
[7]フットボール・ファミリーの活動
◆タッチフットボール
●「女子タッチフットボール全日本王座決定戦・第5回さくらボウル」は翌2000年1月3日、東京ドームで行われ、学生代表の神戸大ルークスが一般代表の東京グレートアローズを28-27で破り、初優勝した。神戸大は6点を追う終了21秒前にQB東本幸子(三年)のTDパスが決まり、劇的な勝利となった。MVPには東本が選ばれた。
◆フラッグフットボール
●NFLがフラッグフットボールの国際基準のルールを策定。8月に東京ドームで日本国内チーム対象の初の全国大会を開催した。NFLは以降も世界的なフラッグフットボールの普及に取り組んだ。
[8]海外・国際関連の活動
◆日本チームの活動(海外開催)
●NFLヨーロッパとなって2年目、日本から4人の選手が参加した。日本からの参加は4年目で、3年連続となるLB河口正史(立命大OB、アムステルダム・アドミラルズ)、2年連続のRB中村多聞(アサヒ飲料、ライン・ファイヤー)、初めてのRB堀口靖(鹿島、スコティッシュ・クレイモアーズ)とQB辻治人(マイカル、ライン・ファイヤー)。QBの参加は初めてだった。河口はバルセロナ戦で6タックル、中村はベルリン戦で48ヤードランと活躍した。河口はシーズン終了後、オールNFLヨーロッパに選出された。
●記念すべき「第1回ワールドカップ(W杯)」は前年設立された国際アメリカンフットボール連盟(FIFA)が主催する大会として、6月から7月にかけてイタリア・シチリア島のパレルモで開催された。
前年9月に開催が決定し、日本も参加することで準備を進めてきたが、この年3月に北大西洋条約機構(NATO)がユーゴスラビアへの空爆を開始。開催地のイタリアから米軍の戦闘機が参戦していることもあり、4月に米国は出場を断念。日本も参加を断念することを一度は決定し、5月に選手にも伝えて「解散式」まで行った。しかしその後、選手、チーム、ファンなど関係者からの出場要望が高まり、5月末に出場することに方針を変更。以降、阿部敏彰日本代表監督を中心に慌ただしく準備を進めた。
カナダの準備が整わず、出場国はメキシコ、イタリア、フィンランド、スウェーデン、豪州、日本の6か国となった。予選相当のブロック戦は、日本はスウェーデン、豪州と同組で、もう一方はメキシコ、フィンランド、地元イタリアとなった。すべての試合がパレルモのパウロ・ボルサリーノ・ベロドローム(競輪場)で開催された。
日本の初戦は6月28日のスウェーデン戦。キックオフは20時。日本は敵陣20ヤード陣からの第3シリーズで、RB樫野伸輔(松下電工)の19ヤードTDランで先制。さらに2Q、相手ゴール前13ヤードからRB中村友(アサヒビール)のTDラン、3QにはQB松本義幸(リクルート)からWR板井征人(鹿島)への58ヤードTDパスで21-0と大きくリードした。3Qにスウェーデンに2TDを返されたが、4QにK中筋圭吾(鹿島)が19ヤードのFGを決め、24-14で初戦を飾った。
2戦目は7月1日の豪州戦。この試合もRB樫野伸輔(松下電工)が43ヤードの先制TDを挙げ、続いてTE安部奈知(リクルート)のTDランで1Q終了時に14点のリード。その後、QB須永恭通(オンワード)からWR渡部軌大(オンワード)への35ヤード、QB中澤大輔(富士通)からWR板井征人(鹿島)への25ヤードのそれぞれTDパスで、前半だけで30-0と圧倒した。守備陣も主将DE佐々木康元(アサヒビール)、DT池之上貴裕(リクルート)、LB遠藤紀彦(リクルート)、それにスウェーデン戦に続いてインターセプトで攻撃権を奪ったSF市川敏伸(マイカル)の活躍で相手に得点を与えず、日本が54-0で勝利し、ブロック1位となった。
決勝戦は両ブロック1位の対戦で、日本は7月4日20時からメキシコと対戦。中2日の試合が続いて日本の負傷者も多くなり、疲労がたまっていたが、選手たちは最後の力を振り絞った。
開始早々、DT池之上貴裕(リクルート)がメキシコのQBにプレッシャーを掛けてファンブルを誘い、それをDT木村敬(鹿島)がリカバー。敵陣24ヤードで攻撃権を得たが、3回のランも2ヤードしか進まず、最後はFGが外れて先制の機会を逃した。
以降は守備戦となり、メキシコは3Q、自陣25ヤードラインからの攻撃で、日本の中央に大穴を開けてそこをメキシコRBが駆け抜け、TDかと思われたが、LB水戸部光博(すかいらーく)、LB河口正史(立命大OB)が必死に追い掛け、ゴール前30ヤードで辛うじて止めた。日本は大きな危機を乗り越え、そのまま4Qを0-0で終了した。
タイブレーク方式の延長戦に入り、先攻の日本は、まずRB樫野伸輔(松下電工)のアイソレーションで6ヤード前進。次にQB須永恭通(オンワード)からWR堀江信貴(リクルート)へのスクリーンパスでゴール前9ヤードに迫ってダウンを更新。次の第1ダウンでRB中村友(アサヒビール)が左オフタックルで4ヤードゲイン。次の第2ダウン、ゴールまで5ヤードのプレーで、左オフタックルのフェイクから須永がFB安部奈知(リクルート)にパスを投げ、やや低かったボールを安部がすくい上げてそのままエンドゾーンに倒れ込み、貴重なTDを挙げた。その裏のメキシコの攻撃で、2プレー目のパスをメキシコWRがチップし、浮いたボールをSF市川敏伸(マイカル)がキャッチ。そして落ちついてニーダウンして試合終了となり、日本がW杯初代王者となった。
2位はメキシコで、以下スウェーデン、イタリア、豪州、フィンランドとなった。
日本はチームを率いた阿部敏彰監督(アサヒビール)をはじめ高野元秀(鹿島)、大橋誠(リクルート)、寺口剛(松下電工)、藤田智(アサヒ飲料)、角進吾(アサヒビール)、大山茂(富士通)のコーチ陣の優れた戦略や戦術、敵情分析による「準備のスポーツ、アメリカンフットボール」を実現した功績が大きかった。
この大会の担当審判員は、コーディネーターCarl Paganelli氏の下で審判員がスウェーデン、フィンランド、日本から各2人、オーストリア、イタリア、韓国、ドイツ、英国から各1人の計11人で、日本からは伊藤義樹、喜入博の両氏が参加した。各試合には審判員7人と計時担当2人が必要で、試合翌日の午前にビデオによる審判員の評価と指導などが行われた。