日本のアメリカンフットボールの頂点を決定するライスボウル。
その戦いの中で最も輝いたプレイヤーに与えられる最高の栄誉が、ポール・ラッシュ杯です。
1934年、立教大学教授として立教大学アメリカンフットボール部の部長に就任。同時にポール・ラッシュ氏とともに明治大学の創部を支援。同年の東京学生連盟結成時に理事に就任。連盟創設期に防具の国産化を推進するとともに、連盟の総務担当として競技場の交渉や手配、連盟の経理を担当し、実務的な連盟活動の推進者として貢献した。同時に立教大学の部を育成。戦後、63年から2年間と69年から2年間の二度にわたり日本協会理事長を務めた。