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2025.09.25
お知らせ
【1934年】わが国のフットボールが誕生。東京学生連盟発足。最初の公式試合とリーグ戦を開催
【1935年】全米蹴球団の来日。関東5大学へ。関西最初のチーム、関大が創部・初試合
【1936年】競技人口増加。全日本選抜が米国遠征で2試合。初の公式規則書を発行
【1937年】初の関西チーム間の試合開催。東京学生リーグ戦後半を後楽園球場で開催
【1938年】念願の日本協会設立。初の東西選抜試合に観客二万五千人。早くもラジオ中継放送
【1939年】戦時態勢の影響が強くなり、一部独自の競技規則へ
【1940年】東西交流活発化も戦時下の影響強く「鎧球」と改名。慶大初優勝。関西2大学に
【1941年】第二次世界大戦の影響が強まる中、関学大創部。関西学生リーグ始まり、関大が制す
【1942年】繰り上げ卒業など活動環境厳しく。春季リーグ開催。秋は戦前最後の公式戦
【1943年】戦争激化、活動10年目で競技活動中断
【1944年】競技活動、協会活動の全面中断
【1945年】日本フットボール復活。ポール・ラッシュ博士中心に再建活動始まる
【1946年】関西で終戦7か月後、関東でも11月に試合再開。高校タッチフットボールも開始
【1947年】甲子園ボウル誕生、慶大が初代王者に。ライスボウル第1回大会を48年1月に開催決定
【1948年】慶大、甲子園ボウルで2回目の優勝。関東でも高校の活動開始、高校日本一決定戦が始まる
【1949年】関学大が関西リーグ初優勝と全国制覇。幻の全日本選手権計画
【1950年】本格的T体型の出現。関学大、対T体型を研究し2連覇。大阪警視庁が創部
【1951年】T体型の立大、甲子園ボウル初制覇。近代フットボールの幕開け。神戸ボウル誕生
【1952年】立大が連覇。明治神宮外苑競技場返還、記念試合開催
【1953年】T体型普及。関西学院、中学、高校、大学がそれぞれ全国制覇
【1954年】活動20周年記念で協会旗制定、西宮ボウル誕生。全国高校タッチフット大会開始
【1955年】宿命の対決、日大-関学大の始まり。甲子園ボウルで史上初の両校優勝
【1956年】関西、西宮・甲子園・ライスの三大ボウル制覇
【1957年】日大が2回目の全国制覇。戦術面の重要性高まる
【1958年】関学大・日大二強時代。ショットガン初登場
【1959年】日大第一期黄金時代。関東大学リーグが10校、1・2部制へ。社会人クラブ活動開始
【1960年】在日米軍と活発に交流。立大が6年ぶりの王座に
【1961年】関学高、驚異の200連勝。リーグ戦で初のテレビ中継。最後の高校タッチフット王座決定戦
【1962年】関学高連勝記録を市立西宮高がストップ。日大、第二期黄金時代に
【1963年】日大、関学大が圧倒的にリーグ制覇。高校アメリカンフットボールの胎動
【1964年】日本フットボール30周年、全日本ハワイ遠征。関学大、甲子園ボウル8連敗
【1965年】立大、前年最下位から劇的な復活。戦国時代の幕開け。東海地区活動開始
【1966年】甲子園・ライスともに観衆一万人を超す。関西の関学大天下に陰り
【1967年】関学大、11年ぶりの甲子園ボウル単独優勝。加盟校の急増時代を迎える
【1968年】加盟校増加が続き、関西1・2部制へ。明大、21年ぶりの甲子園は大接戦
【1969年】大平正芳氏が会長就任。加盟大学増加が続く
【1970年】関東並列リーグへ。社会人リーグ始動。専門誌『TOUCHDOWN』創刊
【1971年】ユタ州立大の来日で「国際化元年」。社会人が活性化し日本リーグ設立
【1972年】社会人チームの実力が向上。高校タッチフットボール、最後の大会
【1973年】日米交流、来日・渡米とも活発に。高校、全国大会3日間のトーナメントを開催
【1974年】ボブ・ヘイズ氏来日。社会で広く競技活動が報じられる
【1975年】各地区で加盟校急増、全国的普及が開始。ジャパンボウル始まる
【1976年】関学大、リーグ戦連勝記録145で止まり、関西2強時代に。初のNFLプレシーズン試合
【1977年】関学大、「涙の日生球場」から甲子園5連覇。ライスボウル、積雪で初の延期
【1978年】日大、ショットガンで復活。急激な社会の関心増大と普及への警鐘
【1979年】日大、ショットガンで圧倒。ノートルダム大来日。ポール・ラッシュ博士永眠
【1980年】日大、圧倒的攻守で3連覇。加盟校急増続く。関東勢三大ボウル9連勝
【1981年】関東大学リーグ、並列リーグから3部制に。東西社会人王座決定戦開催
【1982年】日大も甲子園5連覇達成。京大が関学大の33連覇止めて初出場
【1983年】ライスボウルが大学-社会人の日本選手権に。「日本フットボール50年」を祝う
【1984年】大学リーグ、劇的試合が続く。甲子園ボウルは日大、関学大両校優勝
【1985年】戦国時代の様相、ピークへ。日大、関東9連覇ならず。レナウン、社会人初の日本一に
【1986年】地区対抗学生王座決定戦開催。早大学院、悲願の高校日本一。京大、2度目の日本一
【1987年】日本社会人選手権や多くのボウルゲームが開始。全体で過去最多の観客数に
【1988年】東京スーパーボウル誕生。アイビーボウルで日米交流戦が復活
【1989年】アサヒビール、クラブチーム初のライスボウル出場
【1990年】日大、史上初のライスボウル3連覇。社会人リーグ、実業団とクラブが統合
【1991年】オンワード、ライスボウルで初優勝。社会人チーム6年ぶりの日本一
【1992年】アサヒビール、クラブチーム初の日本一。戦国ムード一気に高まる
【1993年】秋の公式戦800試合を越える。女子初の公式戦、クイーンボウル開催
【1994年】60周年迎え、各種の祝賀行事開催。立命大、初の学生日本一
【1995年】甲子園ボウル50回記念。京大4度目の日本一。第1回さくらボウル開催
【1996年】「日本アメリカンフットボールの殿堂」がオープン。リクルート、初の日本一
【1997年】鹿島がライスボウル初出場で優勝。東・西の大学王座決定戦を新設
【1998年】国際アメリカンフットボール連盟が発足。ライスボウル、学生-社会人の対戦成績が五分に
【1999年】日本、W杯初代王者に。樋口廣太郎氏が日本協会コミッショナーに就任
【2000年】アサヒ飲料が初の日本一、社会人5連勝
【2001年】関学大、悲願のライスボウル初制覇。海外での国際大会への参加増
【2002年】立命大、初の日本一。大産大付高が高校4連覇
【2003年】日本がW杯連覇。立命大、ライスボウル連覇で大学勢3連勝
【2004年】活動70年の記念行事開催。松下電工、10年ぶりライスボウル制覇
【2005年】日本協会が社団法人に。立命大、甲子園ボウル初黒星
【2006年】接戦続くボウルゲーム。オンワードスカイラークスが2度目の日本一に
【2007年】第3回W杯川崎大会、日本が準優勝。高・大・社すべて関西勢が制覇
【2008年】立命大、5年ぶり3回目の日本一。U19が米国に勝利
【2009年】甲子園ボウル、全日本大学選手権の決勝に。関大が62季ぶりの大学日本一
【2010年】オービック、5年ぶり4度目のライスボウル制覇。日本がドイツに勝利
【2011年】東日本大震災、春季行事や試合など中止に。早大学院と大産大付高、28年ぶり両校優勝
【2012年】高校、大学、社会人の各ボウルゲーム、接戦が続く
【2013年】競技活動80年目。オービックがライスボウル4連覇。中学生選手権始まる
【2014年】関東大学リーグ、TOP8とBIG8に。第1回世界大学選手権で日本が2位
【2015年】熱戦続き、ボウルゲームすべて接戦。第5回世界選手権、日本準優勝
【2016年】甲子園ボウル、関西勢10連勝。佼成学園高、初の高校日本一
【2017年】日大、27年ぶり甲子園ボウル制覇。関西勢の連勝止める
【2018年】危険タックル問題が発生。各組織で活動指針が見直され、クリーンな競技活動を宣言
【2019年】富士通、ライスボウル4連覇。高校選手権が節目の50回大会
【2020年】新型コロナウイルス感染症の下での活動。学生-社会人最後のライスボウル
【2021年】新型コロナ収束せず、対応2年目の活動。ライスボウルが社会人同士の対戦に
【2022年】新型コロナ対応3年目。9年ぶり国内開催の日本代表国際試合
【2023年】新型コロナの対応制限が緩和。関学大、史上初の甲子園ボウル6連覇