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INFORMATION ニュース

1968.01.01

1968年(昭和43年) 活動35年目

お知らせ

加盟校増加が続き、関西1・2部制へ。明大、21年ぶりに甲子園へ。大接戦の甲子園ボウル

  日 付 主な出来事
社  会 ・ 1月29日

・ 1月30日

・ 2月26日

・ 4月4日

・ 6月26日

・12月10日

・12月22日

・1968~69年

・東大医学部無期限スト突入、東大闘争始まる

・ベトナム戦争、南ベトナムのゲリラが蜂起、テト攻勢開始

・成田空港開港阻止デモ隊と警官隊が衝突

・米黒人運動指導者キング牧師暗殺

・小笠原諸島、日本復帰

・東京・府中で3億円強奪事件

・中国、文化大革命の指示

・大学紛争拡大

フットボール ・ 3月30日

・ 6月3日

・秋

・12月15日

・12月29日

・日本フットボール35年記念試合、全明大-全立大(駒沢第二)

・西宮ボウル、大学紛争の影響で、全関東は日大OBのみのチーム編成

・関東大学リーグ、2部を4ブロック制に。関西学生リーグ、1・2部制へ

・第23回甲子園ボウル、明大21年ぶり出場。接戦を関学大が制す(甲子園球場)

・全国高校タッチフット決勝、初の関東勢対戦。日大櫻丘高が法政二高を破る(西宮球技場)

・少年チーム、立川ジェッツ設立

 

日本の一般ファンに徐々にフットボールが浸透し始めた。加盟校の増加は続き、関東は中央大、東洋大、一橋大の3校が新たに加入して計24校。3部制から2部制に切り替え、1部リーグを8校、2部は16校を4ブロックに分けてリーグ戦を実施した。関西も追手門学院大、大阪大、桃山学院大、大阪芸術大、姫路工業大と5校が新加入。1部7校、2部5校の2部制に編成替えした。加盟校急増期を迎えて活動が活発してきた一方、大学紛争が激化し、関東、関西とも少なからず競技活動に影響があった年だった。

[1]主な出来事

●この頃から、新聞(一般紙)のNFLのスーパーボウルの記事が、結果のスコアだけでなく試合の解説付きで掲載されるようになり、またNCAAのボウルゲームの結果も簡単に紹介されるようになった。日本の一般ファンに米国のNFL、カレッジフットボールの情報が徐々に入り始めてきた。

●過去数年は日大が独走し、わずかに立大が割り込むだけであった関東では古豪明大が復活。旋風を巻き起した。1962年に野﨑和夫監督が就任して以来、上位陣の常連だったが、終戦直後の47年以来21年間無冠であった。野﨑監督の精神力重視の指導は合宿生活による協調性で磨かれ、個性豊かな選手とチームワークを作りあげた。

 

[2]競技施設・装具・公式規則

◆防具・装具

●プレーヤーが装着するものではないが、この頃からビデオ映写機が個人で利用できるようになり、「戦術・準備のスポーツ、フットボール」でも活用され始めた。まだ高価で機器も相当な重量があり、操作も大変だったが、これまでの写真とは比べられない効果を上げ、OB会の支援などもあり、徐々にチームに普及していった。この頃増えてきた女子マネジャーが重たい機器を担ぎ、スタンドから撮影する光景が増えてきた。同時に、米国でのカレッジ・プロの試合の録画記録が家庭や合宿所などで見ることができるようになり、「情報のスポーツ、フットボール」の面白さがさらに高まった。

 

◆公式規則変更

●ライン上には攻撃側は少なくとも7人のプレーヤーが必要で、そのうち少なくとも5人は50~79の番号であることとなった。

【参考】この年のNCAAの主な規則変更

●前年認められたチームタイムアウトの間に1人のプレーヤーがサイドライン際で1人のコーチと会話することができるという変更が、さらにコーチは1人だけでなく、何人でもよくなった。
●チームタイムアウトの長さが、スナップまで2分が1分半になった。
●Aチームが第1ダウンを獲得したときには、計時は停止され、レフリーのレディフォープレーで計時再開となった。

 

[3]春季試合

◆春季試合(学生)

●前年度の覇者関学大は主力選手9人が卒業、監督も徳永義雄氏から鳥内昭人氏(1950年卒)に交代。関東の大学3校と交流戦を行ったが、関東大学リーグ2部の青学大に完勝したものの、日大には14-6の辛勝で、明大には0-22と完敗。関学大はチーム力が不安定との評価となったが、一方でこの結果は関東の秋季の順位を予言したものとなった。

 

◆春のボウルゲーム

●第14回西日本大会

「西宮ボウル」と並ぶ春季の関西の二大試合のひとつ、「第14回西日本大会」決勝は、前年度の1、2位である関学大-関大だったが、関大がT島中光博(四年)、G塩見佳郎(四年)のラインとQB笠谷幹夫(三年)から川岸元(四年)、田中修吉(四年、主将)へのパスで対抗。関学大は多彩な攻撃の調整期とあって14-0と大苦戦したが、12回目の優勝を遂げた。

●第14回西宮ボウル

大学紛争の激化の影響で練習が制約を受け、6月3日に行われた「第14回西宮ボウル」の全関東は日大卒業選手の単独参加となった。学生選手を含む全関西はQB広瀬慶次郎(関学大二年)のパスが効果的に決まり、関東の練習不足もあって28-14で3連勝。対戦成績を7勝7敗の五分とした。

 

[4]秋季試合

◆秋季試合(学生)

■関東(学生)

●関東秋季リーグは、この頃すっかり主要会場として定着した駒沢競技場で開催。従来の3部制から2部制とし、1部8校、2部は4校を1ブロックする4ブロックで、準加盟3校は1ブロックで行った。

1部は前半まで上位の日大、立大、明大が無敗で折り返したが、特に明大がタイミングのよいオプション攻撃を鮮やかに展開。後半の日大、立大戦に備えてOBの寄付や部員のアルバイトで用意したビデオを練習場に持ち込み、歴史ある合宿所で視聴し、各自の欠点を修正。QB桜田良平(三年)を軸に村山亮二(三年)、岩間準一(四年)、迫田知仁(三年)のバックス陣のオプションプレーが縦横無尽にフィールドを席巻し、それをラインのE山本長秀(四年、主将)、C茂出木茂春(四年)が支え、第5節で日大を22-14と破り、優勝を決定付けた。

学生運動の影響で困難な部活動が続いた日大は、バックスは充実していたがラインに粘りがなく、法大にも敗れて13年ぶりのリーグ戦2敗。法大はG金井明彦(四年、主将)を中心とするラインが充実し、5勝2敗で日大と同率2位。一時2部落ちして低迷していた明大の優勝は、1947年の戦後リーグ戦の再開2年目以来、21年ぶりだった。

 

■関西(学生)

●関西リーグは前年同様、西宮球技場、関学大グラウンド、京大グラウンドで開催。常勝関学大がQB広瀬慶次郎(二年)の好采配、FB棚田九州男(三年)の力走、HB三重野大輔(二年)、E竹田彰夫(四年)の好レシーブ、LG荒井正(四年、主将)、RG山本竜治(四年)、RT井上晃(四年)の強力なラインで毎試合大量得点を重ねて完全優勝。リーグ戦88連勝とともに関西20連覇を果たした。2位には同大がT家門克至(三年)などの活躍で1958年以来10年ぶりに躍進。以下は関大、京大で、5位は1勝5敗の立命大、甲南大、近大となった。

 

[5]秋季試合(ボウルゲーム)

◆第23回甲子園ボウル

●12月15日の「第23回甲子園ボウル」は、過去21回春季定期戦で対戦しながら、甲子園では初めて実現した関学大-明大の新鮮な顔合わせとなった。関東代表はここ17年間、日大か立大だったが、1948年の第2回大会以降、甲子園ボウルから遠去かっていた明大が、部員数29人で21年ぶり2回目の出場ということで話題となった。試合は、史上に残る名勝負となった。

快晴の甲子園球場で14時にキックオフ。ともに攻撃型のチームとあって、試合は二転三転する激戦となった。関学大はプロI体型からオープンアップしたパス攻撃が主力。試合開始45秒でショートパスから独走したE野木伸二(二年)が先制すると、さらにQB広瀬慶次郎(二年)からE安部井湧助(三年)のパスであっさり16-0とリード。明大も直後からQB桜田良平(三年)、HB岩間準一(四年)、FB迫田知仁(三年)、FL村山亮二(三年)が絶妙なオプションプレーの連係を見せ、4TDを挙げて逆転した。前半は明大が28-24でリードして折り返した。

3Qは互いに1TDずつの応酬。明大が6点リードで迎えた4Q13分、関学大はE野木伸二(二年)へのパスで明大ゴールラインへ迫ると、HB松村敬(二年)が1ヤードの中央突破の逆転TDを挙げた。明大はその後、タイムアップ寸前にFL村山、LE内山善章(二年)へのロングパスを成功させ、逆転を目指したが、ゴールラインまであと4ヤード届かず、38-36で試合終了。両チーム合わせて74点、6回も主導権が入れ変わる乱戦となったが、的確な選手起用ができる選手層の厚さで関学大が2年連続9度目の全国制覇を成し遂げた。

 

◆第22回ライスボウル

●翌1969年、1月15日の成人の日に開催日が定着した「ライスボウル」の第22回大会は、13,000人の観客を集めて開催。東軍監督は野﨑和夫明大監督、関西監督は武田建関学大コーチが率いた。関西の4連覇を食い止めようと、関東は12月上旬から出場選手を集め、明大八幡山グラウンドで練習を積み、試合に臨んだ。法大ラインと明大バックスを組み合わせた関東が、京大HB大岡泰二(四年)、T西田行宏(四年)に関学大勢を加えた関西と対戦。関西が4連勝を遂げるかに注目が集まった。

試合は、パスプレーで攻めると思われていた関西が、大型HBの大岡泰二(京大四年)を走らせるオーソドックスな戦法を採用したのに対し、獨協大チアリーダーの応援を受けた関東はパスで攻撃を展開と、予想とはそれぞれ反対の攻撃で始まった。

先制は関東。1Q、そのパスプレーが効果的に機能し、6分にQB桜田良平(三年)からRH岩間準一(四年)の明大コンビで先制TD。さらにDB北川忠雄(明大二年)のインターセプトからの攻撃で、桜田からLE石崎孟(立大四年)へのミドルパスでTDを追加し、14-0とリードした。

しかし、関西は2Q、関東のパスプレー警戒の守備の裏をかいて中央が手薄になった隙をFB棚田九州男(関学大三年)が抜け出してTD。さらに、低いチャージで関西ラインが健闘し、4Q13分にはHB大岡泰二(京大四年)の右エンドランでのTDで関東に迫り、土壇場で試合は盛り上がったが、そこで試合終了。関東が16-12で逃げ切り、4年ぶり通算16勝目を挙げた。

 

[6]高校タッチフットボールの活動

●この頃から関東では、タッチフットボールからアメリカンフットボールに切り替える高校が増えてきた。関東では、秋に初めてのアメリカンフットボールのトーナメントの大会が開催された。参加校は、従来からアメリカンフットボールをしていた早大学院、慶応高、正則高、法政二高、聖学院高、東京電機大高に新たに日大櫻丘高、都立西高が加わり開催した。全国大会開催が始まる2年前だった。高校各部の防具は、自己でそろえる以外に、大学で使用しなくなったものを譲り受けることも多かった。

 

◆第15回全国高校大会

●12月に開催された「第15回高校タッチフットボール全国大会」決勝は、2回戦で関学高を下した法政二高と日大櫻丘高の史上初の関東勢対決となり、日大櫻丘高が18-12で初優勝を遂げた。法政二高はこの後に開催された「第22回ライスボウル」の招待のアメリカンフットボール試合では18-8で関学高を下した。

 

[7]フットボール・ファミリーの活動

◆小・中学生フットボール

●小学生用アメリカンフットボール防具が調達できたことから、「立川市リトルリーグ協会」の物井保夫氏、米軍横田基地のマーフィー氏らが9歳から12歳の小学生フットボールチーム、「立川ジェッツ」を設立し、部員25人で活動を開始した。また同じ東京都立川市を中心に11、12歳の小学生チーム、「コルツ」が結成された。立川で試合を行うとともに、関東地区の大学、社会人のゲームでエキシビション試合を行い、観客から大きな声援を受けた。

 

[8]海外・国際関連の活動

◆日本チームの活動(国内開催)

●「第2回シルクボウル」は、12月8日に駒沢陸上競技場で開催。点の取り合いとなり、在日米海軍厚木フライヤーズが69-58で関東学生選抜を下した。