1月、東大安田講堂での学生立てこもり事件が発生したが、それ以降、各地の学園紛争は徐々に沈静化していった。この年も加盟校の増加は続き、関東、関西の試合数も増加した。それに伴い、連盟等運営の強化、経費の増加、グラウンドの確保、審判員の充実等、各組織はその対応が必要で、これまでの有志による活動から、組織の強化を図っていく時期となった。
1969.01.01
お知らせ
大平正芳氏が会長就任。加盟大学増加が続く
日 付 | 主な出来事 | |
社 会 | 1月18~19日 | 安田講堂事件。以降、学園紛争沈静化へ |
5月26日 | 東名高速道路全区間開通 | |
6月8日 | 南ベトナム解放民族戦線、南ベトナム共和国臨時革命政府を樹立 | |
6月10日 | 日本のGNP(国民総生産)が世界第2位へ | |
7月20日 | アポロ11号、人類初めての月面着陸 | |
8月27日 | 松竹映画「男はつらいよ」第1作公開 | |
10月15日 | 全米でベトナム戦争反対デモ | |
人工芝、日本で初めての商品化 | ||
フットボール | 6月10日 | 第1回日大-法大定期戦(駒沢第二) |
秋 | 関東、関西とも新規加盟校続き、日本協会加盟大学は46校に | |
秋 | 関西学生リーグ、2部を2ブロック制に | |
12月1日 | 大平正芳氏、日本協会会長に就任 |
1月、東大安田講堂での学生立てこもり事件が発生したが、それ以降、各地の学園紛争は徐々に沈静化していった。この年も加盟校の増加は続き、関東、関西の試合数も増加した。それに伴い、連盟等運営の強化、経費の増加、グラウンドの確保、審判員の充実等、各組織はその対応が必要で、これまでの有志による活動から、組織の強化を図っていく時期となった。
[1]主な出来事
●日本でのフットボール競技活動35周年を迎え、それを記念して3月29日、ルーツ校の明大と立大が、それぞれのOBを交えた全明大-全立大を駒沢第二球技場で開催。あいにくの雨でグラウンドは田んぼ状態となり、互いのチームの選手を見分けるのはヘルメットの色だけであった。全明大が1Q、C茂出木茂春(OB)、G金子保雄(OB)が押すラインプレーで着実に立大陣に迫り先制のTDを挙げるなどし、19-8で明大が勝利した。当時は公式規則の変更が多かった時代。古いルールで育ったOB選手に、審判員が教えながら試合をした。
●日本フットボール誕生35周年を迎えた12月1日、5年間空席となっていた日本協会会長に大平正芳氏(当時通産大臣)が就任した。大平会長は試合会場にも足を運び、日常活動でもフットボールの普及に努めた。また、同時に日本協会理事長(第9代)に1934年の日本のアメリカンフットボールの始動から協会活動に貢献した小川徳治氏が就任した。小川氏は、63~65年に続き2回目の理事長就任だった。
●新規加盟は続き、関東では大東文化大、明星大、亜細亜大、国際商科大(現東京国際大)の4校が正式加盟して28校となった。また関西では京都産業大、関西外語大、大阪経済大、大阪学院大、神戸学院大、大阪産業大の6校が加入し、関西学生リーグは一挙に18校に増加したため、2部を2つのブロックにする編成とした。加盟校の増加に伴い各組織は、リーグ編成、試合会場手配、試合開催、技術力向上の施策など、多忙な毎日であった。日本協会加盟校は合計46校へと増加した。
●5月28日、法大武蔵小杉グラウンドで、NFLのサンフランシスコ・フォーティナイナーズのヘッドコーチ、ディック・ノーラン氏をはじめとする同チームのコーチ陣によるクリニックが開催され、関東の約20の大学の監督、主将らが受講した。これは、在日米海軍と関東大学連盟が共催したもので、NFLのプロコーチ陣による初めてのクリニックだった。
[2]競技施設・装具・公式規則
◆公式規則変更
【参考】この年のNCAAの主な規則変更
●得点の後、ボールを持っているプレーヤーは直ちに審判員にボールを返さなければならないこととなった。
[3]春季試合
◆春季試合(学生)
●関東では春季に東京六大学(明大、立大、早大、慶大、法大、東大)が独自にリーグ戦形式のオープン戦を開始。3勝を挙げた明大が最高勝数だった。
●日大-法大が第1回となる定期戦を駒沢第二球技場で開催。日大が56-6で勝利し、前年リーグ戦の雪辱を遂げた。日大は大学紛争の影響で、この年の新入部員は4人のみだった。
●関学大は例年通り日大、明大、慶大と定期戦を実施。慶大に26-0と勝利したが、他の2試合は26-26、6-6と引き分け、混乱の秋季を予想させた。
◆春のボウルゲーム
●第15回西日本大会
関西の「第15回西日本大会」決勝には、着実に地力をつけてきた京大がQB金氏眞(三年)の指揮の下に進出。関学大と対戦したが、16-40で敗れた。関学大は15度目の優勝だった。
●第15回西宮ボウル
「第15回西宮ボウル」は、雨上りの悪条件ながら10,000人の観客を集め、恒例のナイトゲームとして6月3日に開催された。関東は前年優勝の明大、関西は関学大の現役とOBが中心の編成。関西はQB広瀬慶次郎(関学大三年)のパスとFB大岡泰二(京大OB)の豪快な突進で、オプションで反撃する関東を抑えて44-6で快勝し、8勝目を挙げた。
[4]秋季試合
■関東(学生)
●関東秋季リーグは、駒沢第二球技場を主会場に9月15日開幕した。リーグ編成は以下の通り。
・1部:日大、明大、法大、慶大、立大、早大、防衛大、東大
・2部Aブロック:日体大、国学院大、学習院大、明星大、関東学院大
・2部Bブロック:青山学院大、専修大、東海大、拓殖大、国際商科大
・2部Cブロック:成城大、東京経済大、成蹊大、東洋大、亜細亜大
・2部Dブロック:明治学院大、中央大、獨協大、一橋大、大東文化大
1部リーグは前年覇者の明大、巻き返しを期す日大、強力なラインで上位に割り込む勢いの法大の争いで、優勝決定戦は最終節の明大-日大となった。駒沢陸上競技場で開催されたこの試合は2,000人の観客を集めた。明大は1Q、FB池田正徳(一年)のTDで先制したが、日大も二年QB佐曽利正良がアンバランスT、ショートパント体型を駆使してすぐに反撃。佐曽利のランにフリーフリッカーなどの奇策も織り込み3TDを挙げ、ラインが明大を圧倒して22-12で2年ぶり12回目のリーグ優勝を果たした。優勝を争うにふさわしい緊迫したゲームだった。
リーグ戦の結果は優勝の日大以下明大、法大、慶大、立大、早大、防衛大、最下位は東大となった。2部リーグでは4ブロック優勝校によるトーナメント戦の末、決勝で青学大が日体大を34-0で破って優勝。1部最下位の東大との入れ替え戦にも勝ったが、翌1970年に新たなリーグ編成となったことから、”幻の1部昇格”となった。
■関西(学生)
●関西は1部7校、2部10校で秋季リーグ戦を実施した。編成は以下の通り。
・1部:関学大、同大、関大、京大、甲南大、近大、立命大
・2部Aグループ:桃山学院大、追手門学院大、京都産業大、阪大、大阪芸術大、姫路工業大
・2部Bグループ:大阪経済大、大阪学院大、神戸学院大、大阪産業大
1部リーグの試合は西宮球技場に加えて新たに西京極球技場を使用した。ランプレーの関大、T家門克至(四年)らが中心の同大、京大の三者が関学大の連覇阻止を狙ったが、いずれも完敗した。
優勝した関学大はワイドオープンの攻撃による得点力もさることながら、各校力を付けてきたリーグ戦6試合で、失点は京大、近大にそれぞれ1TDを許したのみの守備力が光った。関学大はまた、部活動の運営や練習をさらにシステム化していた。2位は5勝2敗の同大、関大、京大となった。5位は1勝5敗の甲南大、近大、立命大の3校と、実力が接近したチームが多くなった。
[5]秋季試合(ボウルゲーム)
◆第24回甲子園ボウル
●12回目の対決となった関学大-日大の「第24回甲子園ボウル」は、15,000人の観客を集めて12月14日に開催。強力なラインが若いQB佐曽利正良(二年)を引っ張る日大と、多彩な攻守を持つ関学大という好対照の顔合わせだった。
関学大が得意のパスで先制した。ミドルパスを連続成功させると、QB広瀬慶次郎(三年)からFL松村敬(三年)へのパスで先制のTD。FB棚田九州男(四年、主将)のTFPのランも成功したが、それ以降は圧倒的に日大ペースとなった。日大はG山本良一(四年、主将)、T古川武法(三年)らのラインが押し、2QにQB佐曽利の中央突破、FB板哲夫(四年)のオープンプレーでTD。TFPもHB法師人進(四年)のランが成功し18-8と逆転した。さらに3Q、HB荒木秀夫(四年)の中央突破でのTDで差を広げた。
関学大もツープラトン制で攻めるが、日大のRG山本、MG湯村文寛(二年)を中心とする強力な守備陣の前に、4Qの棚田のTDランだけに終わった。逆に日大は、FB板に80ヤードのキックオフリターンTDが出て30-14の快勝。10度目の王座に帰り咲いた。日大の75キロを越える大型守備ラインが関学大のQB広瀬のパスを封じ込めたこと、これまでオールラウンドのプレーヤーが攻守兼任でプレーしていたが、一部のポジションを攻守専任で分けたことが勝因だった。これで両校の甲子園ボウルでの対戦成績は、日大の9勝2敗1分けとなった。
◆第23回ライスボウル
●翌1970年1月15日の「第23回ライスボウル」は、国立競技場に観客20,000人を集めて開催された。戦前の予想は、メンバー豊富な関東の2連勝濃厚というものだったが、この頃関西のお家芸となっていたパスプレーの陽動作戦に、関東はかき回された。
関東は開始第1プレーで奇策ロンリーセンターからFB板哲夫(日大四年)がロングスナップを受けると、左オープンを突いて50ヤード前進。最後は桜田良平(四年)からE内山善章(三年)への明大勢によるTDパスで先制した。しかし、関西は得意のパスプレーを展開。2Q終了間際にQB広瀬慶次郎(関学大三年)からE安部井湧助(関学大四年)へのTDパスで差を詰め、前半は関東が8-6と2点リードで終了した。
後半、互いの守備陣が相手の得点を許さず、接戦のまま4Qに突入。関東がQB桜田良平(明大四年)のパスを織り交ぜた攻撃で敵陣15ヤードに迫ったが、ここで桜田が負傷退場となり、得点に結び付けられなかった。一方、関西は4分、HB三重野大輔(関学大三年)の中央突破で逆転し、TFPもHB松村敬(関学大三年)へのパスが決まって14-8と逆転。その後、日大メンバーで攻める関東に得点を許さず、対戦成績を7勝16敗とした。
[6]高校タッチフットボールの活動
◆第16回全国高校大会
●「ライスボウル」の第1試合として開催された「第3回アメリカンフットボール東西高校王座決定戦」は、法政二高が関学高を28-8で下し、初優勝した。
●「第16回全国高校タッチフットボール全国大会」決勝は法政二高が強力なラインで関学高を20-0で破った。
[7]海外・国際関連の活動
◆日本チームの活動(国内開催)
●在日米軍との交流は続き、春の桜の季節の試合として、4月20日「第1回さくらボウル」が在日米陸軍横田レイダーズと関東学生選抜の試合として駒沢第二球技場で開催され、レイダーズが53-8で圧勝した。レイダーズのラインの平均体重は99.7キロ(関東学生選抜は71.6キロ)。同チームは極東米軍内のチャンピオンで、相当な実力があった。
●11月30日、例年日本チーム間の試合で開催されている「京都ボウル」(西京極陸上競技場)が第4回を迎え、在日米海軍厚木フライヤーズと全関西選抜が対戦。在日米海軍が28-0で勝利した。また日大、法大OBの多い社会人チーム、イエローシャークスは同日、駒沢第二球技場で在日米空軍立川マローダーズと対戦し、6-20で敗れた。
●12月7日に駒沢陸上競技場で開催された「第3回シルクボウル」は在日米海軍厚木フライヤーズが36-21で関東学生選抜に勝利した。なお、試合前に米軍基地との交流を目的として誕生した立川リトルリーグのフットボール部が登場。”ミルクボウル”と呼ばれる小学生アメリカンフットボール戦を披露し、喝采を浴びた。
★当時の関係者の言葉(日本協会50年史掲載)
●甲子園ボウルの想い出
「エンドゾーンのインターフェアによりゴールライン1ヤードからの関学大攻撃を最終的には約20ヤードのロスに抑えた。リーグ戦では、佐曽利の肩負傷によりパスプレーは3回だけで一試合をこなしたことも忘れられない」(日大1970年卒・G・主将 山本良一)
「リーグ戦では学園紛争で練習に影響が出た。甲子園ボウルは、二度ゴール前からの攻撃を止められたこと。自らキャリアとなったハーフタイム直前の同点機は忘れられない」(関学大1970年卒 FB・主将 棚田九洲男)