関東では強豪・日大が前年に続き甲子園ボウルに進めず、関西では圧倒的強さを誇ってきた関学大が、関西学生リーグで京大に敗れ、同リーグの連勝記録が145でストップするなど、大学フットボールにとって大きな転換となる年となり、拡大の時代に入った。日大と関学大が頂点を独占していた時代は終わり、本格的な戦国時代を迎えた。競技水準の向上や加盟校の増加は、米国建国200年祭記念のフットボール催事に後押しされ、加速していった。
1976.01.01
お知らせ
関学大、リーグ戦連勝記録145で止まり、関西2強時代に。初のNFLプレシーズン試合
日 付 | 主な出来事 | |
社 会 | 2月4日 | 米上院でロッキード事件発覚 7月27日:田中角栄前首相逮捕 |
3月1日 | 後楽園球場、日本初の人工芝に | |
7月1日 | 南北ベトナム統一、ベトナム社会主義共和国成立 | |
7月4日 | 米国独立宣言200周年 | |
8月26日 | エボラ出血熱、世界初の患者発生 | |
フットボール | 3月7日 | 後楽園人工芝化記念グリーンボウル、全東日本-全西日本 |
4月 | 東日本実業団アメリカンフットボール連盟設立、東日本実業団リーグ発足 | |
5月22日 | 九州学生選抜、韓国遠征。九州学生選抜-韓国学生選抜(ソウル運動公園) | |
5月23日 | 第1回オイスターボウル(広島県営陸上競技場) | |
6月16日 | 第1回パールボウル、日大-東京ヴァンガーズ(後楽園球場) | |
8月1日 | キディ・フットボール教室、第1回パス・キックコンテスト開催(よみうりランド) | |
8月11日 | アメリカンフットボール・フェア開幕(科学技術館) | |
8月16日 | NFLスターボウル、サンディエゴーセントルイス(後楽園球場) | |
秋 | 関東大学リーグ、10校による医科歯科リーグ創設 | |
秋 | 東北学生連盟、第1回リーグ戦開催 | |
11月13日 | 京大、関学大のリーグ戦連勝記録を145で止め、関学大と同率の初優勝 | |
11月~12月 | 高校選手権を6校増やし14校によるトーナメント戦へ | |
12月 | コーネル大軽量級チーム来日(関東、東海で試合) | |
翌年1月15日 | 沖縄ボウル、関西学生選抜-在沖米軍(沖縄市営競技場) |
関東では強豪・日大が前年に続き甲子園ボウルに進めず、関西では圧倒的強さを誇ってきた関学大が、関西学生リーグで京大に敗れ、同リーグの連勝記録が145でストップするなど、大学フットボールにとって大きな転換となる年となり、拡大の時代に入った。日大と関学大が頂点を独占していた時代は終わり、本格的な戦国時代を迎えた。競技水準の向上や加盟校の増加は、米国建国200年祭記念のフットボール催事に後押しされ、加速していった。
[1]主な出来事
●秋季シーズンインと前後して、米国200年祭記念の「スターボウル」が8月16日に後楽園球場で開催された。日本最初の米国プロフットボールNFL公式プレシーズン試合でセントルイス・カージナルスとサンディエゴ・チャージャーズが対戦。多くの日本人観客にとって初めて見るNFLの試合だった。
●日本協会では一般への普及を目的に、4月29日から5月5日と8月10日から17日の2期間にわたって東京都千代田区の科学技術館(北の丸公園内)で「アメリカンフットボール・フェア」を開催した。
会場はパネル、デザイン、フィルム、ファッション、デモンストレーション、物品販売の6ゾーンに分かれ、フットボールの紹介や写真パネル展示、防具・装具紹介、ビデオ放映、屋上でのパス・キック体験など参加できるフットボール展とした。ゴールデンウィークや夏休み期間ということもあり、若年層を中心に大変にぎわった。
●8月1日、日本協会キディリーグ事務局主催による「第1回パス・キックコンテスト」が東京都稲城市のよみうりランドで開催された。関西でも開催されてきた小中学生対象のフットボール普及活動の催しで、当日は気温30度を超す炎天下に400人を超す小中学生が集まり、フットボールの基本を体験した。当日はゲストとして篠竹幹夫日大監督、ザ・デストロイヤー氏(プロレスラー)も参加し、最後はフラッグフットボールを楽しんだ。
[2]競技施設・装具・公式規則
◆競技施設
●春に後楽園球場のフィールドが全面的に人工芝に改装され、多目的球場誕生を記念して「グリーンボウル」を開催した。3月7日に東日本選抜と西日本選抜が対戦。日本縦断フットボール普及記念試合としての位置付けもあり、北海道から札幌大のRB松川均とRB上山洸一、九州から福岡大のRB一木昭宏とT中山真一の各選手も参加。25,000人の観客を集め、東日本が33-0で完勝した。当初心配された人工芝による転倒時の衝撃やスリップ時のやけどの心配は、特に問題なかった。土や雨が降ると泥や田んぼ状態のグラウンドから天然芝(既にボウルゲームでは使用)、そして人工芝と競技環境が変わる最初の年であった。
◆防具・装具
●この頃の米国製防具の販売価格は、次の通りであった(あるショップの広告から)。
用 具 | 価 格 |
NOC-SAE公認マーク付きヘルメット | 9,800円 |
エチレングリコール入りヘルメット | 16,000円 |
ショルダー・ナイロンカバー軽量用 | 10,000~11,500円 |
同・中量用 | 14,500~16,000円 |
ジャージ7分袖 | 3,000円 |
練習用パンツ | 3,400円 |
参考:当時の大卒初任給94,300円(厚生省調べ) |
◆公式規則変更
【この年の日本の主な規則変更】
●ヒップパッドとサイガードが着用必須となった。
●パス・インターフェランスは、正当なフォワードパスがニュートラル・ゾーンを越えたときのみ起きる反則となった。従来は、ニュートラル・ゾーンを越えないパスでも反則だった。
[3]春季試合
◆春季試合(学生)
●実力伯仲を証明するような波乱の連続となった。関学大は西日本大会で京大とNACLを破り3年連続18回目の優勝。しかし日体大と京大に敗れた日大に17-24で敗れた。関学大は明大との定期戦に21-7と勝って春を締めくくったが、予断は許されない状況だった。
◆春季試合(社会人)
●協会から独立して活動をしていた東京ヴァンガーズなど実業団3チームが関東社会人協会に復帰し、8チームによる東日本実業団連盟を結成。4月中旬より春季大会を開催した。参加チームは以下の通り。
警視庁(第9機動隊)、レナウン、東京トヨペット、三井物産、東京ヴァンガーズ、東京ラングラーズ、東京タック、朝日生命
関東社会人協会では第1回東日本実業団春季トーナメントを開催。決勝は東京ヴァンガーズが警視庁を26-0で破って優勝した。1964年に社内有志によって活動を開始した東京ヴァンガーズが、設立以来チームを率いた長嶺伸亮監督を中心に記念すべき実業団連盟のスタートを優勝で飾った。
東京ヴァンガーズは人工芝化を記念して開催された後楽園球場での「パールボウル」に実業団代表として出場した。
◆春のボウルゲーム
●第22回西日本大会
「第22回西日本大会」は準決勝の社会人ブロックではNACLが松下電工を15-8で破り、大学ブロックでは関学大が京産大を56-0で下し、それぞれ決勝に進んだ。決勝の関学大-NACLは接戦となったが、関学大はLB吉井公一(四年)、DT池内和彦(三年)、LB萩原広達(三年)の守備陣の活躍でNACLに28-14で勝利し、3年連続18度目の優勝を飾った。
●第22回西宮ボウル
「第22回西宮ボウル」は5月22日、カクテル光線に照らされた西宮球場で開催。全関東はランプレーを、全関西はパスプレーを主体に試合を展開した。全関東はRB桐野達也(日大OB)、坂田長史(シルバースター)、井口庄司(明大四年)らの活躍で、37-7の大差で全関西から4年ぶりの勝利を挙げ、対戦成績を関東の9勝12敗1分とした。全関東は3月に開催されたグリーンボウルなどで合同練習を豊富に行っていた。
●第1回パールボウル
東日本実業団アメリカンフットボール連盟設立ならびに後楽園球場の人工芝化を記念して「パールボウル」が新たに開催された。第1回大会は後楽園球場のナイターで6月16日(水)に実業団春の覇者・東京ヴァンガーズと関東の大学の雄・日大の対戦で19時に開始された。この試合は、実業団チームと学生チームの初の公式試合だった。以降、パールボウルは関東の初夏のナイター試合のイベントとして定着した。
試合は、25,000人の観客の下で、2Qに東京ヴァンガーズがR臼田仁のインターセプトで攻撃権を得て徐々に前進。最後はFB川口久のランでパールボウル初のTDを挙げた。しかし、ヴァンガーズに疲労が見え始めた前半終了間際、日大はFB川畑勝司(一年)が中央を突いて同点。4QにはRB岩沢正人(四年)のTDで突き放し、日大が21-6で第1回大会の勝者となった。
[4]秋季試合
◆秋季試合(学生)
■関東(学生)
●関東大学秋季リーグ戦は例年通り、駒沢第二球技場、駒沢補助競技場を中心に、大学のグラウンドを使用して開催された。駒沢第二、駒沢補助とも土のグラウンドで、当日が雨の場合は使用不可となり、急きょ予備として確保している各大学のグラウンドに当日移動、あるいは翌日移動となる使用形態だった。雨天の場合はチームはもちろん、連盟関係者や審判員、当番校、観客も予備会場に移動しなければならず、運営が大変だった。「移動」の決定の通知や連絡、一般観客への公表は、携帯電話もソーシャルメディアもない時代とあって工夫を凝らして実施した。駒沢第二、駒沢補助では一日3試合、各大学のグラウンドで一日2試合が原則だった。
これまで独自に活動してきた医科・歯科大学のリーグが、関東協会に加盟した。この年は準加盟の扱いだったが一挙に10校、さらに神奈川大、宇都宮大、帝京大も準加盟し、リーグ全体の試合数も増加した。医科・歯科大学は6年の在学期間のため、他の四年制大学とは異なり、甲子園ボウル出場への道の関東大学選手権の出場資格の対象ではなかった。
この年に関東大学連盟に加盟した医科歯科リーグの最初の10校は以下の通り。この10大学は2ブロック編成で医科歯科リーグを実施した。
東京慈恵会医科大、東邦大、帝京大医学部、鶴見大、聖マリアンナ医科大、北里大医学部、日本歯科大、城西歯科大、獨協医科大、埼玉医科大
リーグ戦は関東、関西とも劇的な展開となった。関東では東京七大学リーグ戦で慶大が日大から18年ぶりに勝利。HB白石相彰(四年)の独走TDを、E岡本順治(四年、主将)、G柿沼光信(四年)ら重量ラインが雨中戦を守り切った。
しかし、慶大はいずれも接戦だったが明大、法大、早大に敗れて4位、結局、慶大戦の1敗を守った日大が1位となった。その他のリーグ1位校の日体大、青学大、国際商科大、国学院大に推薦の東海大、千葉商大、明大を加えた8校で関東大学選手権を開催した。
●第7回関東大学選手権
準決勝で若手の中澤一成監督に率いられた関東八大学リーグ同率1位の東海大が、G岡部信雄(四年、主将)、QB今章伸(三年)、FB武井健一(四年)の活躍で、軽量ラインをLB尾立和則(四年、主将)、HB岩沢正人(四年)が後押しした日大を13-3で破った。日大は関東八大学リーグ勢に2年連続の敗退。決勝は明大がダブルウイングTなどからマルチプル攻撃を展開し、東海大を42-21で破り、関東2連覇を果たして甲子園ボウル出場を決めた。
■関西(学生)
●関西学生リーグは、前年から各地の競技場を使用し始めたが、この年も西宮球技場、西京極球技場に加えて万博陸上競技場、神戸中央球技場、西宮球場を使用して開催した。波乱の年、そしてその後の関西フットボール界の新たな転換期となる年だった。
関大は梶義弘新監督の下にT義政孝夫(四年)を中心とする85キロライン、中富信三(三年)、長谷部憲司(三年)、祁答院庸規(三年)のRBを擁し、京大を20-16の接戦で破ったのが第一の波乱。そしてリーグ戦最終日、京大がついに関学大に21-0と完勝し、関学大のリーグ戦連勝記録を145で止め、創部30年目に初優勝(同率)を遂げた。京大はG川端僚二(四年)、斉藤茂(二年)、小泉宏之(四年)、岡本勝夫(三年)らの強力ライン、FB倉光恭三(四年)、TB津島光(三年)、LB高木俊彦(四年、主将)、LB松崎裕(四年)、I体型の理想的QBに成長した宅田裕彦(三年)ら、充実したチーム力だった。
関学大と京大が6勝1敗の同率優勝となったため、甲子園出場を懸けた関学大-京大の出場校決定戦は11月21日、万博記念陸上競技場に15,000人の大観衆を集めて行われた。関学大は2Q、敵陣31ヤードから相手のDBを一気に抜き去ったWR志浦康之(二年)へのQB西村英男(四年)からのパスが通り、先制のTD。さらに4Q、相手のファンブルから得たチャンスにRB村田安弘(四年)が相手エンドゾーンに飛び込み13-0と点差を広げた。守ってはG池内和彦(三年)とT伊藤文治郎(四年、主将)がチームエリアのコーチと毎回守備を確認し、京大を無得点に抑えてそのまま13-0で勝利。リーグ戦の雪辱を果たすとともに甲子園ボウル出場を決めた。
■各地区(学生)
【北海道】 5校で開催し、札幌大が優勝した。
【東北】 東北学生アメリカンフットボール連盟が結成された。9月から最初のリーグ戦を開催。参加は日大工学部(郡山)、東北学院大、東北工大、北里大畜産学部の4校(準加盟、仙台大)で、日大工学部が優勝。
【東海】 愛知学院大が優勝した。
【中四国】 中国地方で初の学生チーム、広島経済大が創部した。
◆秋季試合(社会人)
■秋季試合 関東(社会人)
●第1回東日本実業団リーグ戦は9月19日から三井物産グラウンドなどで開催。Aブロック1位のレナウンとBブロック1位の東京ヴァンガーズの優勝決定戦は、11月14日に米軍立川基地で行われた。東京ヴァンガーズの2人のQB寺泉恭一、白鳥立美がRB高田洋一、川口久を自在に走らせて30-0で勝利。第1回大会の優勝を飾った。
●社会人は関東は新発足の東日本実業団リーグと関東社会人リーグの2リーグ、関西は日本リーグ(関西地区)で活動した。東日本実業団では元全日本級の選手をそろえた東京ヴァンガーズ、関東社会人は常勝シルバースター、関西社会人ではサイドワインダーズが2連勝で優勝した。
[5]秋季試合(ボウルゲーム)
◆第31回甲子園ボウル
●2年連続で明大と関学大の顔合わせとなった「第31回甲子園ボウル」は、30,000人の大観衆を集めて12月12日に開催された。関学大が圧勝と予想されたが、知将・野﨑和夫監督率いる少数精鋭の明大が多彩な攻撃を展開し、大接戦となった。
序盤は互いに3回、相手に攻撃権を渡すパントで一進一退の展開の後、関学大のパスレシーブ後に明大DB小坂谷卓也(三年)の激しいタックルからのファンブルを明大がリカバー。明大はパスとランを交えて進み、最後はB堀切伸一(一年)の1ヤードランで先制した。
その後、G横越善嗣(四年、主将)、LT西山武道(三年)のライン、QB水田信彌(二年)、RB石割大樹(三年)、WR郷田謙一(四年)の明大と、QB西村英男(四年)、RB越中啓至(二年)、村田安弘(四年)、T伊藤文治郎(四年、主将)、WR志浦康之(二年)の関学大の攻め合い。わずかに疲労の色を見せた明大に対し、関学大は3Qに西村の18ヤードランで逆転。その後も追加点を挙げ、粘る明大を振り切って29-22で4連覇を飾った。
明大は前年の甲子園ボウルに比べ、選手が2人増加して23人。ラインは攻守フル出場で、第2回、第23回に続いて3度目の1TD差の敗戦で涙を飲んだ。ミルズ杯は関学大FB村田安弘(四年)が受賞。日本フットボール界に近代戦法を導入した武田建監督が、この試合を最後に伊角富三氏に監督の座を譲った。
1956年から始まった甲子園ボウルのテレビ中継。これまでテレビカメラは野球の外野席から撮影をしていたが、この頃から野球のマウンドの位置にカメラを設置して放映した。このカメラにより、従来は観客のいないガラガラの観客席ばかりがプレーの背景として放映されていたが、この年から満員の外野席の映像を送ることができた。野球のマウンドは、相撲の土俵のように神聖な場所であり、それを保護するため、カメラ用鉄枠やぐらの設置などで関係者が努力した成果だった。
◆第30回ライスボウル
●第30回を迎えた「ライスボウル」は翌1977年1月9日、国立競技場で開催された。関東(篠竹幹夫監督)は各チームからの選抜で、関西(武田建監督)は4年連続大学王者の関学大から21人、京大から15人でチームを編成した。
開始早々、関西は自陣15ヤードでQB宅田裕彦(京大三年)がWR志浦康之(関学大三年)にロングパスを決め、キャッチ後に関東のタックルをかわした志浦が62ヤードのロングゲイン。その後、宅田が自ら走ってTD。試合開始から8プレー目、2分36秒だった。
さらに関西は8分にもRB津島光(京大三年)が二つ目のTDでリードを広げる。関東もその後、走るQB水田信彌(明大二年)を中心に反撃に転じるが、関西のライン陣がスクリメージを割って入り、なかなか前進できなかった。しかし、前半残り5分、自陣30ヤードからの攻撃でRB郷田謙一(明大四年)、E佐野英一(法大四年)へのプレーアクションパスで敵陣に迫り、最後は水田が自ら左オープンのキープで15ヤードを疾走してTD。前半は関西が14-7とリードして折り返した。
3Q、関西はQB西村英男(関学大四年)からWR志浦康之(関学大三年)への52ヤードのロングパスで21-7と差を広げ、そのまま勝利した。関東は、このライスボウルの前に開催されたコーネル大戦2試合を含み、全関東学生として約1か月間の合同練習をしてきたが、関西に勝利することはできなかった。
[6]高校フットボールの活動
●関東地区は36校の参加で、春秋通じて約80試合を開催。アメリカンフットボール化によるチームの準備も充実してきた。ただし、強豪校と新規参加校との実力差は大きく、今後の課題であった。チーム数の増加は関西も同様で、東西の今後の高校フットボールの普及や発展が見込まれる中で、(1)怪我の防止対策(2)指導者の確保(3)公式規則の徹底(4)審判員の養成(5)グラウンドの確保―が高校フットボールの課題として挙げられた。
◆春季大会(高校)
●「春季第6回関西高校選手権大会」はトーナメントで開催され、決勝で関学高が決勝初出場の関西大倉高を22-0で破って優勝した。
◆第7回全国高校選手権
●「第7回全国高校選手権」は出場校を14校に拡大して開催。各地区で2回戦までを行い、準決勝からは12月25、26の両日、4年ぶりとなる駒沢第二球技場で開催した。これまで8チームが集う3日間連続の開催だったが、準決勝、決勝の2試合を2日間の連続の開催とした。
準決勝で東海大付高を28-0で破った関学高と、関西大倉高を20-0で下した早大学院が決勝で対戦。寒風が肌を刺すグラウンドで初の決勝進出となった早大学院が1Q3分、50ヤードのTDランで先制。王座奪回を悲願とする関学高は効果的なマン・イン・モーションで1Q8分にTDで追い付き、その後も押し気味に試合を展開。関学高が27-6で勝利し、2年ぶり6回目の優勝を果たした。
[7]海外・国際関連の活動
◆日本チームの活動(国内開催)
●12月に米国から初めて軽量級のチーム、米国アイビーリーグの名門コーネル大が来日した。3年ぶりの日米交流だった。アイビーリーグに所属するコーネル大には体重160ポンド(約72キロ)までの選手で構成する軽量級チームがあり、同チームはこの軽量級の部門で全米チャンピオンとなった強豪だった。これまでの米国大学チームを招いた試合では、体格差が歴然でそれがプレーに大きな影響があったことから、今回のコーネル大軽量級チームの来日となった。
コーネル大とは12月25日に国立競技場で、1月3日には名古屋瑞穂競技場で全日本学生選抜(関東)が対戦した。第1戦に0-9と惜敗した全日本は、第2戦に岩沢正人(日大四年)の2TDと日本で初のキック専任スペシャリストとなったK柿本富寛(日大一年)のFGで17-16と、米国大学から初勝利を挙げた。この頃から、キックによる得点や自陣からの陣地挽回などから、キックやキッカーの重要性が広く認識されるようになった。
◆外国チーム間の試合(日本国内開催)
●8月16日、後楽園球場でわが国で初めての、NFLにとっても初の米国外でのNFLの試合(プレシーズンゲーム)が、サンディエゴ・チャージャーズとセントルイス・カージナルスの対戦で開催された。小雨交じりの天気だったが、38,000人の観客が本場の米国プロの対戦を観戦した。56年前の1920年に設立されたNFLにとって初めての日本での開催。カクテル光線で緑鮮やかなナイターの後楽園球場。チェーンクルー、計時員として協力した日本アメリカンフットボール協会関係者も、カレッジとは違うNFLの試合ルールを事前に学び、試合運営を滞りなく支援した。試合はカージナルスが20-10で勝利した。
●9月24日、後楽園球場で「第1回パイオニアボウル」のグランブリング州立大(NCAA1部校)-モルガン州立大(NCAA1A校)が開催された。米国外初のNCAAフットボールの公式戦で、総勢320人の来日には全米ナンバーワンと言われるマーチングバンド175人も帯同し、華麗かつ豪華なドリルを披露した。
●「第2回ジャパンボウル」はハイズマン賞のトニー・ドーセット、リッキー・ベル、ジョー・ロスなどの人気選手が来日。国立競技場に58,000人の観客を集めて、1月16日に開催された。日本からは2年連続となるG横越善嗣(明大四年)に加え、初出場のE郷田謙一(明大四年)、岩沢正人(日大四年)、E岡本順治(四年)、HB山本勉(日休大四年)、RB武井健一(東海大四年)が参加した。
★当時の関係者の言葉(日本協会50年史掲載)
●シーズンの想い出
「リーグ戦で初めて京大に敗れ、史上初のプレーオフまでの一週間の異様なプレッシャーは、忘れられない」 (関学大1977年卒 T・主将 伊藤文治郎)