実力伯仲と言われた大学リーグは、東西とも接戦を展開。これまでの勢力図が大きく変わった。社会人も実力を向上させ、「ライスボウル」で初勝利。予断を許さない、戦国時代到来のシーズンだった。これまで組織や試合の参加形態が地区によって異なっていた社会人フットボールが、日本社会人協会として整理され、活動を開始した。社会的関心の高まりとともに、フットボールの試合のテレビ中継や放映も増えてきた。
1985.01.01
お知らせ
戦国時代の様相、ピークへ。日大、関東9連覇ならず。レナウン、社会人初の日本一に
日 付 | 主な出来事 | |
社 会 | 3月17日 | 国際科学技術博覧会(つくば’85)開幕 |
4月1日 | NTT、日本たばこ、民営化でスタート | |
8月12日 | 日本航空機、御巣鷹山墜落事故 | |
9月19日 | メキシコ地震(M8.1) | |
9月22日 | 米ニューヨークでG5がプラザ合意 | |
フットボール | 7月5日 | 第10回パールボウル、東日本実業団の決勝に。最初の対戦はレナウン-日産(後楽園) |
8月1日 | 日本社会人アメリカンフットボール協会設立 | |
8月25日 | 日本社会人リーグ、松下電工-朝日生命で開幕(西宮球技場) | |
秋 | 関東協会、テレビ、ラジオで広報番組提供 | |
10月12日 | 大井ふ頭に大井球技場完成、関東大学リーグ使用開始 | |
12月22日 | 関学大、オレゴン州立大と対戦。戦後初の単独米本土大学戦 | |
12月18日~ | アメリカンフットボール・フェア、銀座三菱電機ビルで開催 | |
翌年1月3日 | 第39回ライスボウル、レナウン、関学大を下し初優勝。社会人チームの初勝利 |
実力伯仲と言われた大学リーグは、東西とも接戦を展開。これまでの勢力図が大きく変わった。社会人も実力を向上させ、「ライスボウル」で初勝利。予断を許さない、戦国時代到来のシーズンだった。これまで組織や試合の参加形態が地区によって異なっていた社会人フットボールが、日本社会人協会として整理され、活動を開始した。社会的関心の高まりとともに、フットボールの試合のテレビ中継や放映も増えてきた。
[1]主な出来事
●これまで既存の学生組織や地域組織の中で活動してきた社会人フットボールが、8月1日に全国を統一した組織、「日本社会人アメリカンフットボール協会(理事長:金澤好夫氏)」となり、記念すべき年となった。
社会人チームの活動は主に関東、関西だが、従来、関東地区は独立した東日本社会人協会があり、その中で企業チームが参加する東日本実業団連盟、クラブチームが参加する関東社会人連盟が活動していた。また、関西地区は学生も加盟している関西協会に所属。さらに関東、関西以外の地区のチームは、それぞれの地区の連盟に所属していた。
それを、関東・関西の2地区所属の社会人チームを「日本社会人アメリカンフットボール協会」所属とし、日本社会人1部リーグ(7チーム:レナウン、松下電工、日産、オンワード、三和銀行、警視庁、朝日生命)、同2部リーグ(9チーム)、関東社会人リーグ(6チーム)、関西社会人リーグAブロック(6チーム)、同Bブロック(4チーム)に所属する形態とした。その記念すべき最初の試合は8月25日、西宮球技場での松下電工-朝日生命で、松下電工が27-12で勝利した。
●秋季に関東協会がマスメディアを使い、積極的にPRを展開した。初心者観戦コーナーを設けるなど、普及に前向きに取り組んできた関東協会では、秋季からマスメディアと組んだ広報宣伝活動を開始。テレビ神奈川で「フットボール ’85」(毎週水曜21時から50分間)、ラジオ日本で「青春のアメフット」(毎週日曜17時45分から15分間)の番組を協会が提供し、広く一般にフットボールの魅力を紹介することとなった。その成果もあり、シーズン終盤の各試合の会場は、軒並み満員の状態となった。
●この頃、ボウルゲームはもとより国内外のレギュラーシーズンの試合が定期番組として盛んにテレビで放映された。NFLの公式戦は月1回、TBS系列の深夜放送で、米カレッジフットボールは毎週1回、サンテレビとテレビ神奈川で、関西学生リーグは注目カードを読売テレビ系列で、テレビ神奈川では関東地区の大学と社会人の注目試合をシーズン中10数試合、夜の時間帯にファンに提供した。
●日本テレビ系列で深夜、NFLの試合の放映が本格的に始まった。レギュラーシーズンは9月17日から12月のシーズン終了まで17回、1時間半から2時間の枠で放映。プレーオフを翌1986年1月4日から同22日まで7回、同22日のスーパーボウルは衛星中継で米国プロの熱戦を伝えた。また、同29日にハワイで開催されたプロボウルも放映され、スーパーボウルの録画再放映を含めて計26回放映された。
●8月31日、関東の大学チームの監督が参加して「日本アメリカンフットボール・コーチ協会」が発足した。会長に篠竹幹夫日大監督、副会長にウィーリー・杉原玉川大監督が就任し、チーム間横断の共通の課題として安全対策の研究やコーチクリニックの開催などの活動内容を検討し、日本の各界への参加・拡大を呼び掛けることとした。この関東地区のチームが提唱したコーチ協会の活動は各地区に拡大し、3年後の1988年ごろまで続いた。
●4月23日、同大と関西協会は、米国クレアモント大ヘッドコーチのジョン・ジッダ氏と同守備コーチのマイク・メイナード氏を招へい。同大会館で関西各チームの80人の参加者を集め、本格的なクリニックを開催した。講義は「パッシング・オフェンス」、「LBを中心としたディフェンス」などが中心で、予定の3時間を超える熱の入ったクリニックとなった。
[2]競技施設・装具・公式規則
◆公式規則変更
●タイ・ブレイク・システムの開始は15ヤードから25ヤードになった。
●手を開いたブロックを、リトリート・ブロック以外のブロックにも適用した。同時に、リトリート・ブロックの定義、用語を削除した。
[3]春季試合
●春季から実力伯仲の傾向が現れた。前年に大学王座を分け合った日大が関学大に敗れ、関学大は京大に3点差の惜敗で、明大には0-56という記録的大敗を喫した。全勝は関東で明大、関西では「第31回西日本大会」で8年ぶり2度目の優勝を果たした京大の2校のみという状況で、春の各校の実力はまさに横一線と見られた。
◆春のボウルゲーム
●第31回西日本大会
「第31回西日本大会」は、学生ブロックの2回戦で京大が関学大に試合終了1秒前のFGの成功で20-17の劇的な勝利を挙げ、社会人ブロックから勝ち上がったNACLと5月26日に対戦した。京大は1Q、QB東海辰弥(二年)がリードするウィッシュボーンからの攻撃でFB深堀理一郎(四年)のダイブなどで前進。最後はRB大島均(三年)が中央を突いて先制のTDを挙げた。続くキックオフでもセーフティーを挙げ、9-0とリード。NACLも追いすがるが4Q、京大のRB藤本和明(四年)がNACLのキックオフのボールを、ブロッカーのブロックを生かして80ヤード独走のTD。守ってはDB近森健三(三年)の2つのパスインターセプトなどで23-7で勝利し、春の西日本王者となった。
●第31回西宮ボウル
「第31回西宮ボウル」は5月30日、西宮球場で高校招待試合に続いて開催。試合開始早々、全関西のファンブルを敵陣15ヤードでリカバーした全関東は、3プレー目でQB横溝修生(日大四年)がショットガン体型から中央に切れ込んでTD。その後も1Qに3つのTDを奪い、28-0と大きくリード。QB渡辺弘幸(明大二年)、SF貝塚桂次(日大四年)、OT佐藤佑章(日大四年)の活躍で52-7と圧勝した。これで全関東は10連勝となった。
●第10回パールボウル
「パールボウル」は従来の実業団と関東学生のチーム間の対戦から、東日本実業団の春のトーナメントの決勝戦となった。10年前、9チームだった東日本の実業団は次の15チームとなった。
三井物産、レナウン、警視庁、朝日生命、ラングラー、日産、日本電気、日立、IBM、三菱銀行、三和銀行、オンワード、伊藤忠、丸紅、住友商事
「第10回パールボウル」は7月5日、小雨煙る後楽園球場の準決勝で三和銀行を破った日産と、同じくオンワードを破ったレナウンの対戦となった。試合はレナウンがこれまでの日大OBの2人のQB、鈴木隆之、松岡秀樹に加え、この春大量の補強を行いチーム力が増し、1Qに3TDを挙げるなど終始日産を圧倒し、63-7で大勝した。
[4]秋季試合
■関東(学生)
●関東大学リーグは、1部の試合は多くは駒沢第二球技場、駒沢補助競技場を使用し、4日ほど大井陸上競技場で開催した。同一日、同一会場で社会人チーム間の試合とともに使用する場合も多くなった。
Aブロックは明大が第2戦で慶大に完敗。しかし、明大はこれでチームがまとまり、以後連勝した。QB松岡秀樹の抜けた穴を埋め切れない日大は、難関と見られた慶大戦をQB横溝修生(四年)と一年の山田喜弘を組ませた変形ショットガンを採用して乗り切り、最終戦に全勝で明大と対戦した。日大がQB横溝修生とWR飯伏敏文(四年)のコンビで先制TD、2点トライを成功させる激しい闘志を見せたが、明大は若手QB渡辺弘幸(二年)の好判断とRB吉村祐二(三年)の快走で逆転。終盤には全員ブロックで、ランプレーを展開する日大を抑えて34-22で17年ぶりにリーグ戦で日大を破り、同率ながらも日大を倒した明大がブロック優勝を決めた。日大の関東大学選手権連続出場は9でストップ。阿部重一監督の熱心な指導が実った立大が3位。以下、優勝戦線の一角と見られた慶大、法大、そして中大となった。
Bブロックでは、4年連続優勝の日体大が4位へ転落。代わって中澤一成監督率いる東海大が安定した攻守で第4戦の日体大を破り、第5節を待たずに9年ぶりに関東大学選手権決勝進出を決めた。QB河野厚也(四年)、RB吉田雅宗(三年)、RB田通明(三年)が組んだビアT攻撃が威力を発揮した。2位は東海大と同率ながら直接対決で敗れた専大。早大は最終戦で東海大を破ったものの、日体大との引き分けが響いて3位。以下日体大、桜美林大、東経大と続いた。
関東大学リーグは翌年から、これまでのブロック6校から7校に移行することになり、2部から独協大、拓大、横国大が昇格し、中大が2部に降格することになった。
●第16回関東大学選手権
「第16回関東大学選手権決勝・パルサーボウル」は9年ぶり7度目の出場の明大と2度目出場の東海大が、11月23日に横浜スタジアムで対戦した。明大が1Q、8プレー目にオールラウンドQB渡辺弘幸(二年)が11ヤードの先制TD。その後も関東のリーディングラッシャーRB吉村祐二(三年)が右ピッチアウトから一度はタックルされながらも持ち前の粘り強さで80ヤードのTDランとして13-0とリード。その後、東海大はQB河野厚也(四年)がミドルパスでつないでエースRB吉田雅宗(三年)の37ヤードTDで追いすがるが、以降は明大が力強い攻撃で57-14と大勝し、5度目の甲子園ボウル出場を決めた。
■関西(学生)
●関西学生リーグは、西宮球技場を主会場として開催。中京大の関西学生リーグ昇格もあり、名古屋市の瑞穂ラグビー場も使用した。
関西学生リーグは、開幕してみれば京大は守備が不安定。第5戦ではそのパス守備のもろさをつかれ、不調の近大に30-32と逆転負け。後のない形で第6戦の関学大戦を迎えた。
一方、攻守ともにラインが弱体化したと言われた関学大は、本番の秋には変貌を遂げ、負傷者が続出したにもかかわらず、第5戦で大体大に苦戦した以外は危なげなく勝利を重ね、全勝で京大戦を迎えた。
両雄の対決は、京大の守備が奮起して好試合となった。京大は2Q5分、QB東海辰弥(二年)の2ヤードのTDランで先制、前半を京大が7-0とリードして折り返した。3Q6分、関学大はQB芝川龍平(三年)が自らのランでチャンスをつかみ、最後は芝川からWR下村真三(三年)へTDパスを成功させ同点にすると、以降もバランスよい攻撃を展開。その後2つのTDで4Q7分には20-10と京大を引き離した。京大は4Q9分、RB西田温信(三年)が右オプションプレーからピッチを受け28ヤードのTDランと2点TFPを成功させ、2点差に。しかし、京大はその後のオンサイドキックが不成功で攻撃権を得られず、関学大が20-18で激戦を制し、リーグ優勝を遂げた。
関西で活躍が目立ったのは立命大。DT須河徹(四年)、DE逓若雄一(四年)を中心とした強力な守備が威力を発揮し、関学大、京大に敗れた2敗をキープして5勝を挙げ、前年の6位から京大と並ぶ2位へと急浮上した。以下大体大、近大、神戸大が3勝4敗で並び、同大、中京大が1勝6敗で7位。東海地方から関西リーグに初参加し、試合ごとに遠征した中京大は同大に22-8で勝利する健闘で、協会から敢闘賞が贈られた。しかし、入れ替え戦では、近畿学生リーグの阪大に7-17で敗れ、中京大の関西学生リーグでの戦いはこの1年で終わった。
■各地区(学生)
【北海道】 1部6校のリーグ戦は、札幌大が旭川大とは39-28とやや接戦での勝利だったが、他の4試合は大差で勝利し、優勝を飾った。2位は北大で、旭川大は3位だった。
【東北】 東北大と東北学院大が引き分け、ともに他のチームには勝利して4勝1分となったが、規定により東北学院大が1位となった。
【東海】 中京大が関西リーグ昇格で不在の東海学生リーグは名古屋大、南山大、愛知学院大の争いかと思われたが、朝日大(旧岐阜歯科大)が1部(関西学生リーグ2部相当)で全勝で初優勝した。
【北陸】 5チームでリーグ戦を開催。金沢大が大量の卒業生を出しながらも全勝で2連覇を遂げた。金沢大は関西学生リーグの入れ替え戦代表決定トーナメントに出場し、大阪教育大と対戦したが、7-13で惜しくも敗れた。
【中四国】 1部リーグ5チームで開催。2位以下は混戦となったが、広島大が全試合危なげなく勝利し、優勝した。
【九州】 1部リーグ6チームで開催。混戦となり、九大は九産大に6-24で敗れたものの、他の4試合に接戦で勝利し1位。九産大は西南学院大と福岡大に敗れて3位となった。2位は福岡大。
◆秋季試合(社会人)
●社会人チームにとっては積極的な改革への努力が、日本選手権初優勝に結実する記念すべき年となった。8月、社会人の全日本組織である「日本社会人アメリカンフットボール協会」が発足。これまで関東・関西と分かれていた組織が一本化され、秋には実業団が参加する「社会人日本リーグ」がスタートした。社会人日本リーグは駒沢第二球技場、西宮球技場ほか各企業グラウンドで開催した。
■秋季試合 関東(社会人)
●初の日本社会人リーグ戦は、前年春にQB松岡秀樹、C尾寺忠ら全日本級の選手が入社して”史上最強”と評されたレナウンが、優勝を懸けた日産戦に苦戦した以外は完勝し、順当に全勝でリーグ初制覇。3年連続で日本選手権出場を決めた。
社会人クラブチームの関東では、シルバーオックスとシルバースターが最終戦で神戸ボウル出場を懸けて対戦。シルバースターが草野光広の84ヤードのパントリターンTDで先制したが、シルバーオックスはRB宮本克己、RB柳沢正明のTDで21-7で勝利し、念願の初優勝を遂げた。シルバースターは12年間守ってきた王座を明け渡した。関東社会人リーグの年間MVPには、シルバーオックスのT岩田英治が選ばれた。
●前年に続き、「’85善光寺ボウル」が10月13日に長野市陸上競技場で開催。レナウン-オンワードの対戦に先立つ第1試合として、前年の善光寺ボウル後に機運が高まって結成された地元社会人チーム、慶大OBの土屋磯司監督率いる長野ブルーバーズが東海社会人リーグの中堅・名古屋ホワイト・ベアーズと対戦し、初試合で10-0の勝利を飾った。
■秋季試合 関西(社会人)
●関西ではリーグ戦でともに4勝1敗のNACLと湖北ファイニーズが、神戸ボウル出場を懸けて11月17日に長居陸上競技場で対戦。1Q互いに1TDを挙げると、2QにNACLがQB柴田善信からRB林明良へのフラットパスでTD。後半は互いの守備陣が得点を許さず、NACLが12-6で勝利した。
[5]秋季試合(ボウルゲーム)
◆第40回甲子園ボウル
●明大(野﨑和夫監督:選手38人)と関学大(木谷直行監督:選手95人)の9年ぶり4度目の顔合せとなった「第40回甲子園ボウル」は12月8日、甲子園球場に満員の35,000人の観客を集めて熱戦を展開した。
気力充実の明大は、QB渡辺弘幸(二年)の好采配とRB吉村祐二(三年)の好走で2TDを先行。関学大はC高橋健(四年、主将)らのラインに守られ、ショットガン体型からQB芝川龍平(三年)がWR堀古英司(二年)、SE牧野信昭(三年)、TE前田克彦(四年)へパスを投げ分けて逆転。途中9回もリードするチームが変わる大接戦の末、終了32秒前の芝川のランTDが決勝点となり、関学大が48-46で2年連続17回目の優勝を遂げた。関学大はMG阪本豊(四年)、DB田原尚登(四年)らの守備陣も健闘。明大は終了6秒前に敵陣3ヤードまで攻め込んだが、逆転を狙ったFGが失敗となり、涙を飲んだ。この試合は、長い甲子園ボウルの歴史の中で、後に語り継がれる試合の一つとなった。
前年の甲子園ボウルは日大と両者優勝だったため、関学大の単独優勝は8年ぶり。ミルズ杯にはランで237ヤード、5TDを挙げた明大のRB吉村が、甲子園ボウル最優秀選手にはパスで675ヤードを獲得した関学大のQB芝川がそれぞれ選ばれた。
この試合で関学大がパスで獲得した675ヤード、攻撃で獲得した769ヤード、明大がランで獲得した476ヤードは、いずれも現在まで甲子園ボウル記録となっている。
この年から、甲子園ボウルのテレビ中継が20数年続いたNHKから毎日放送系列に移った。しかし、中継が試合途中で終了し、抗議や試合結果の問い合わせが放送局などに多数寄せられた。
◆第39回ライスボウル
●「第39回ライスボウル」は翌1986年1月3日、国立競技場に28,000人の観客を集め、レナウンと関学大の対戦で行われた。
レナウンは1Q7分にRB平野雅義の5ヤードTDラン、2Q2分にDB平山裕二のインターセプトリターンTDで先行し、3Q半ばで45-7と大きくリード。試合の大勢は決したかと思われたが、そこから関学大の猛反撃が始まった。QB芝川龍平(三年)のラン、芝川からRB三浦智(四年)、WR堀古英司(二年)へのパスなどで連続5TDを挙げ、42-45と3点差まで急迫。しかし、残り6秒で大逆転を狙った関学大のパスをレナウンSF黒田祐介がインターセプトして試合終了。3年連続出場のレナウンが3点差を守り切り、社会人として初優勝を遂げた。
チーム力が充実した創部16年目のレナウンの勝利で、社会人と大学が対等の立場で日本のフットボール界をリードする新時代が到来した。MVPのポール・ラッシュ杯はレナウンQB松岡秀樹が日大四年だった前年に続き、2年連続で受賞した。
◆その他のボウルゲーム
●観客の投票を折り込んだ選考で話題を呼んだ12月15日の「第3回カレッジ・シックボウル」は横浜スタジアムで開催。全関東が45-34の接戦で全関西を下して3連勝。オールスター戦は関東が通算18連勝となった。
●12月1日、神戸市王子陸上競技場行われた「第1回全日本社会人選手権(第35回神戸ボウル)」で、関東社会人で初優勝したシルバーオックスと、関西優勝のNACLが対戦。NACLは2QにRB古田晃隆がスプリントドローから15ヤードを走って挙げたTDを守備陣の健闘で守り、7-0の僅差でNACLが初優勝した。
[6]高校フットボールの活動
◆春季大会(高校)
●「春季第11回関東高校選手権大会」は8校でトーナメントを開催。準決勝で県立鎌倉高(神奈川2位)を56-0で下した日大櫻丘高(東京1位)と、立教高(埼玉1位)を20-12で破った早大学院(東京3位)が決勝で対戦し、日大櫻丘高が21-8で勝ち、優勝した。
●「春季第15回関西高校選手権大会」は各府県代表の9チームが参加。準決勝で平安高(京都)を70-12で下した関学高(兵庫1位)と、府立箕面高(大阪2位)を34-13で破った大産大付高(大阪1位)が決勝で対戦し、関学高が55-6で勝って12連覇を遂げた。
◆秋季大会(高校)
■関東地区(高校)
●「高校選手権関東地区」決勝は11月17日、駒沢第二球技場で開催。春季大会と同様、日大櫻丘高と日大三高の対戦となった。立ち上がり、ショットガン体型の日大櫻丘高が2つのTDを挙げリードし、2QにもTDとFGで加点し23-0で折り返す。3Qは互いにパントの応酬となったが、4Qに日大櫻丘高が2TDを追加し、37-7で勝利した。
■関西地区(高校)
●「高校選手権関西地区」決勝は11月23日、西宮球技場でこちらも春季大会と同じく関学高と大産大付高が対戦。これまで大産大付高は圧倒的に勝ち進んできたため、「関学高危うし」の前評判だったが、関学高が1Qに2TDで先行すると、そのまま優位に展開して43-7で7連覇を達成した。
◆第16回全国高校選手権
●「第16回全国高校選手権」決勝は12月22日、神戸総合運動公園陸上競技場で開催。関学高と日大櫻丘高の12年ぶりの対戦となった。
両チーム互角の接戦となり、4Q終了まで約2分を残して関学高が24-20でリード。日大櫻丘高の敵陣43ヤードからのラン攻撃が、関学高MLB渡辺肇(三年)のタックルを受けて痛恨のファンブル。これを関学高がリカバーし、そのまま試合終了となった。関学高は全国大会4連覇(両校優勝を含む)。前回大会に続き、この試合も朝日放送でテレビ中継された。
[7]海外・国際関連の活動
◆日本チームの活動(国内開催)
●1970年代は全日本チーム(あるいは関東代表、関西代表)の選抜チームの対戦が多かったが、80年代後半から90年代にかけて、日本の大学の単独チームの北米チームへの挑戦が多くなってきた。
単独チームの対戦はそれまで、1981年の日体大-グアム大があったが、米本土のチームとの対戦は関学大が85年12月に南オレゴン州立大と神戸総合陸上競技場で対戦したのが始まりだった。この試合は、かつてユタ州立大、ウェイクフォレスト大を率いて日本チームと対戦したチャック・ミルズ監督の3回目の日米戦だった。
関学大と南オレゴン州立大という米本土の大学チームとの対戦は、日本にとっても8年ぶりであり、また戦後初の単独校同士の対戦だった。試合は、関学大がこれまでの日米戦(対米軍戦を除く)で最多の3TD、1FGを挙げたが、24-49で敗れた。
この試合はその後も継続的に行われ、1986年1月の南オレゴン州立大スタジアムでの試合は17-21の接戦で関学大が敗北。88年1月の長居球技場での試合は関学大が27-9で勝利した。
◆外国チーム間の試合(日本国内開催)
●「第9回ミラージュボウル」は当時、日本で最も知名度が高いUSCが来日。11月30日にオレゴン大と対戦し、USCが20-6で勝利した。
ハーフタイムショーにはUSCトロ―ジャン・バンドと、グランブリング大タイガーマーチングバンドが出演した。この試合に合わせ、戦前の1935年3月に来日したアメリカン・オールスター蹴球団35人のうち主将のA.L.マローニ、バディ・ボイヤー、ホワード・クラーク、ケネス・ブライト、アレックス・イーグル、ゲラルド・オストリング、ウッドロー・ウーリンの7氏が観戦で来日し、話題を集めた。日本協会では51年前の来日選手の歓迎会を開催し、当時の来日と日本フットボールへの支援に感謝を伝えた。
●第11回ジャパンボウルは翌1986年1月12日、好天の横浜スタジアムで開催され、この年のミス日本の西尾かおるさんがコイントスを務めた。東軍が31-14で7年ぶりの勝利を挙げた。ハイズマン賞のRBボー・ジャクソン(オーバーン大)が3TD。韓国人キッカーのジョン・リー(UCLA、4年間通算79FG)ら全米オールスター(AP、UPIなどのいずれか)12人が参加し、話題を集めた。