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INFORMATION ニュース

1986.01.01

1986年(昭和61年) 活動53年目

お知らせ

地区対抗学生王座決定戦開催。早大学院、悲願の高校日本一。京大、2度目の日本一

日 付 主な出来事
社  会 1月28日 米スペースシャトル・チャレンジャー号打上げ時爆発事故
2月 ソ連・ゴルバチョフ書記長「ペレストロイカ」を提唱
3月6日 G5、初の協調利下げで合意
4月26日 チェルノブイリ原子力発電所で大規模な爆発事故
5月4~6日 第12回G7サミット、東京で開催
5月7日 日本体育協会、プロ登録・賞金大会を含む「新しいスポーツ憲章」承認
フットボール 第1回グラジュエーションボウル、九州学生選抜-九州社会人選抜(春日公園球技場)
4月 西日本大会、学生と社会人を分離、それぞれ「第32回西日本学生選手権大会」および「第32回西日本社会人選手権(後のグリーンボウル)」として開催
11月2日 平和台ボウルが第1回南日本学生王座決定戦へ
11月16日 第1回東日本学生王座決定戦、東北大-北大(大井球技場)
11月23日 第1回地区対抗学生王座決定戦。東北大が福岡大を下し初代王座に(横浜スタジアム)
11月30日 ミラージュボウルがコカコーラボウルとなり開催、スタンフォード大-アリゾナ大(国立競技場)
12月21日 第1回金鯱ボウル、湖北ファイニーズ-東海社会人選抜(名古屋鶴舞陸上競技場)
翌年1月3日 第40回ライスボウル、京大がレナウンを下し2回目の優勝
女子フットボールチーム、大阪興銀ワイルドキャッツ創部

甲子園ボウルへの道が開かれていない北海道、東北、中四国、九州の各地区優勝チームによる地区対抗学生王座決定戦が開始された。4地区によるトーナメントとして、北海道と東北の各地区優勝チームによる東日本王座決定戦と、中四国と九州の各地区優勝チームによる西日本王座決定戦を開催し、その勝者が決勝として地区対抗学生王座を争う形とした。

[1]主な出来事

●4月3日、東京・霞ヶ関ビルの東海大学校友会ホールで、前年発足した日本アメリカンフットボール・コーチ協会(篠竹幹夫会長)主催の安全対策クリニックが開催された。中島寛之氏(東大教授、日本体育協会スポーツ科学委員)による以下の内容の講演が行われた。

 

・メディカル・アプローチの意識改革について
・フットボールにおける主な負傷部とその頻度
・神経系が集中する首
・膝の靱帯と損傷について
・足首の外傷について
・メディカル・チェックの3つのポイント

 

●大阪に本拠地を持つ信用組合大阪興銀(豊田菊代主将)に、わが国初の女性フットボールチーム、「ワイルドキャッツ」が誕生し、日本社会人協会の特別会員として加盟した。女子フットボールチームはこの1チームのみであり、当面はチーム内の紅白戦を「興銀ボウル」として長居球技場で開催した。設立時は40人の部員だったが、やがて同行女子行員の20%、70人が参加する規模になった。

●日本協会加盟の大学チーム数は次の通り。

地 区 北海道 東 北 関 東 東 海 北 陸 関 西 中四国 九 州 合 計
チーム数 14 8 77 15 5 43 9 15 186

[2]競技施設・装具・公式規則

◆競技施設

●関東地区では従来、有料会場が駒沢第二球技場、駒沢補助球技場、大井陸上競技場のみであったが、この年からリーグ戦で駒沢陸上競技場、大井球技場も使用することとなった。試合会場が増えたことから、有料会場でのリーグ戦は原則としてこれまでの1会場3試合開催から、2試合開催となった。1試合の時間的余裕ができたことから、従来1試合の試合時間はランニングタイム(経過時間計時)と正式計時の両方式併用で、ラスト2分のみを正式計時としていたが、これを試合全体の正式計時運用とした。

また、この年から駒沢第二球技場と駒沢補助球技場は雨天でも使用可能となった。大井のグラウンドは雨天の場合は引き続き使用できず、試合当日、または翌日の大学グラウンドへの移動が必要だった。

そして、駒沢と大井の競技場に、待望のフィールドクロックを設置した。

●従来、グラウンドの白いラインは主として消石灰が使用され、雨や汗の水分に触れるとその中の生石灰の化学反応で皮膚にやけどが起きる恐れがあった。しかし、この頃から消石灰に代えて人畜無害の石こうを素材とする白線剤が市場に提供され、試合で使われ始めた。ラインが多く、選手同士の接触などによる転倒が多いフットボール競技の安全性が高まった。

 

◆公式規則変更

●チームエリアが両30ヤードライン間から25ヤードライン間へ拡大された。

 

[3]春季試合

◆春季試合(学生)

●東の日大、西の関学大と名門校復活の気配が濃厚だった。

春季は関東の日大、関西の関学大の両名門校を中心に動いた。前年関東優勝の明大は、甲子園ボウルの再戦となった関学大との定期戦で負傷者が相次ぎ、また主軸の主将RB吉村祐二(四年)を欠場させる異例のチーム体制となり、13-25で苦杯を喫した。ただ、前年学生王者の関学大は、これに先立つ日大との定期戦で後半の失策を突かれて23-28で敗れていた。春季、1部リーグの全勝チームは日大だけで、秋は、東はベストで臨んでくるであろう明大と日大の競り合いが、西では関学大の独走が予想された。

 

◆春のボウルゲーム

●第32回西日本選手権

関西では1955年春に大学、OBチーム、クラブチームが参加する春季トーナメント戦として「西日本選手権大会」を創設し、開催してきたが、この年から学生と社会人を分離し、学生主体の大会を「西日本学生選手権大会」、社会人主体の大会を「西日本社会人選手権大会」とした。

「第32回西日本学生選手権大会」(回数は継続)は関西と中四国の20チームが参加してトーナメントを開催。準決勝で神戸大を42-7で下した関学大と、同じく同志社大を35-14で下した近大が決勝で対戦し、関学大が56-0の大差で勝って優勝した。

「第32回西日本社会人選手権大会」(回数は継続)は14チームが参加してトーナメントで開催。準決勝でNACLを35-6で下したブラックイーグルスと、サイクロンズを19-0で下した湖北ファイニーズが決勝で対戦し、ブラックイーグルスが10-0で勝って社会人の春の最初の王者となった。

●第32回西宮ボウル

「第32回西宮ボウル」は6月25日、西宮球場に14,000人の観客を集めて開催された。前半無得点の守備戦から後半は一転、全関東のQB佐藤智弘(日大三年)が2TDを挙げて全関東が先行。ラインのC三井良彦(日大三年)、DE楢崎五郎(日大三年)の健闘で、追い上げる全関西を1TDに抑え、全関東が24-6で勝利した。これで、全関東は「西宮ボウル」が学生選抜戦となってから4連勝。それ以前のOB、社会人を含めたチーム編成での対戦からは11連勝となり、対戦成績を19勝12敗1分とした。

●第11回パールボウル

「第11回パールボウル」は6月13日、後楽園球場に35,200人の観客を集め、前年と同一カードのレナウンと日産の対戦で開催。常に先手を取ったレナウンを日産が追う形で進み、日産が一時3点差まで迫ったが、レナウンがQB松岡秀樹の2つのTDラン、R加藤浩志の80ヤードのパントリターンなどで突き放して45-24で快勝し、パールボウル2連覇を果たした。

 

[4]秋季試合

■関東(学生)

●関東大学1部リーグは、駒沢陸上競技場、駒沢第二球技場、駒沢補助競技場、大井陸上競技場、大井球技場を使用して開催。この年から1部を2校増やし、14校(2ブロック制)とした。

Aブロックは予想通り、全勝同士の日大と明大が最終戦で対戦。駒沢陸上競技場にリーグ戦史上最多の12,000人の観客を集めて行われた。

一進一退の攻防で、TDの奪い合いに。明大はQB渡辺弘幸(三年)が投・走に奮闘したが、ボールコントロールに徹した日大がQB佐藤知浩(三年)、主将RB相沢健一(四年)の気迫あふれるプレーで27-20と逃げ切った。

Bブロックでは波乱が起きた。春の雨中戦で関学大を21-14で破ってカムバックを狙う日体大が、専大に3-14で敗北。専大が大型で本格派のLB渋谷治男(四年、主将)が率いた守備力でブロック初優勝に輝いた。専大は序盤の雨中の桜美林大戦で0-0の引き分けた後の開き直りが効を奏し、前年のBブロック覇者の東海大をも17-12で破り、悲願を果たした。

●第17回関東大学選手権

「第17回関東大学選手権・パルサーボウル」は日大と専大が対戦。立ち上がりこそ看板の守備が健闘した専大だったが、1Q終了間際からは防戦一方となった。日大は自陣8ヤードからの3回目の攻撃のシリーズで丁寧にプレーを重ね、11プレー目にQB佐藤知浩(三年)からWR本田学(四年)への18ヤードのTDパスで先制。日大はその後も着々と得点を重ね、56-0で大勝して2年ぶり25回目の優勝を飾り、甲子園ボウルへと駒を進めた。パルサーボウル史上初の零封試合だった。

 

■関西(学生)

●関西学生リーグは西宮球技場を主会場に西京極球技場、神戸中央球技場などを幅広く使用して開催した。関東と同様、関西でも序盤から大波乱がおきた。春季2勝4敗とどん底状態にあった京大が、卒業生による穴を埋め、負傷者を完全復帰させ、開幕から爆発的な力を発揮した。

関学大は戦力が不安定な状態が続き、連勝しながらも圧倒的な勝利が少ない展開。夏は南オレゴン大との合同合宿を本場で行い、交流戦でも好ゲームを演じて帰国したが、その効果が試合結果につながらず、京大の快進撃に「関学大危うし」の声が聞かれた。

秋の関西学生リーグで優勝を決める関京戦は、長居陸上競技場に27,000人を観客を集めて開催。関学大はラン守備に不安が、京大にはパス守備に課題があり、点の取り合いになるとの予想だった。先制したのは京大。最初の攻撃でQB東海辰弥(三年)を中心にドライブし、最後はTB西田温信(四年)が締めくくりのTD。80ヤードを14プレーで進んでの得点だった。さらに京大は自陣12ヤードで関学大のファンブルをリカバーすると、88ヤードを10プレーかけ、最後は西田のこの日二つ目のTDで1Qに14-0とリード。その後も着実な試合運びで、35-7で関学大を破った。京大の関西リーグ制覇は3年ぶり4回目(同率優勝1回を含む)で、関学大戦の最多得点差となる勝利で甲子園ボウル出場権を獲得した。

 

■各地区(学生)

【北海道】 1、2部各6チームで開催。1部は北大が札幌大と得点の取り合いとなり62-43で勝利。北大は他の4試合は圧倒的な得点で勝利し、リーグ優勝を決めた。
【東北】 6チームで開催し、東北大と東北学院大が6-6で引き分け。両校が4勝1分けとなったが、全体の得失点差で東北大が「東日本学生王座決定戦」に出場することになった。
【東海】 1部6チーム、2部は4チームずつの2ブロックで開催。1部は中京大が5戦全勝で優勝した。
【北陸】 1部5チームで開催。金沢大が不戦勝1を含む4戦全勝で優勝した。
【中四国】 1部5チーム、2部4チームで開催。1部は山口大が鳥取大に6-8で敗れたが、広島大に20-14で勝利。山口大と広島大が1敗で並んだが、直接対決の結果で山口大が西日本学生王座決定戦に出場した。
【九州】 1部6チーム、2部Aブロックが5チーム、同Bブロックが4チームで開催。1部は福岡大が全勝優勝し、「第1回平和台ボウル」に進んだ。

 

●「地区対抗学生王座決定戦」の出場権を懸けた東日本の代表決定戦は、東北大が北大を30-6で破り、西日本の「第1回平和台ボウル」は福岡大が山口大を20-0で破り、それぞれ「地区対抗学生王座決定戦」に進んだ。

●東北大と福岡大が対戦する「第1回地区対抗学生王座決定戦」は11月23日、横浜スタジアムで「関東大学選手権・パルサーボウル」の前に招待試合として行われた。福岡大のウィッシュボーン攻撃が威力を見せ、1Q3分にQB浦上徹(四年)が7ヤード走ってTD。さらに相手のミスから得た攻撃からパスでTDし、13-0とリードした。しかし、東北大もそこから反撃し、QB伊藤昌彦(四年)からRB曽根康憲(三年)へのTDパスが決まると、その後もFG、TDを加えて22-13で勝利。初代の地区王座に就いた。

東海地区と北陸地区は、それぞれが関西の近畿リーグ(2部相当)に所属し、甲子園ボウルへの道が開かれていることから、その道がない4地区(北海道、東北、中四国、九州)がこの地区対抗王座決定戦に参加した。

 

◆秋季試合(社会人)

●社会人は駒沢競技場を主会場に各企業のグラウンド、米軍基地のグラウンドで、関西は長居球技場、神戸ユニバー記念競技場、西宮球技場で開催。関東では所属リーグ内の対戦とは別に、横須賀、厚木、横田の各米軍との試合が各基地のグラウンドで多く行われた。

 

■秋季試合 関東(社会人)

●日本社会人協会は2年目のシーズンを迎えた。終盤に入って実力伯仲の上位陣の対戦が続いた日本社会人リーグ1部は、負傷者続出で懸念されていたレナウンがその不安を吹き飛ばす勢いで、オンワード、日産を連破。5勝全勝で優勝し、万全の構えで4年連続のライスボウル出場を決めた。

2位は加盟3年目にしてAクラス入りを果たした三和銀行。中盤まで1勝1敗1分の5分の成績ながら、日産に逆転勝ちを収め、関西での松下電工との最終戦も乱戦の末に44-32で勝利。3勝1敗1分で、念願の2位へ浮上した。2敗を喫した日産が3位に転落。3連勝から三和銀行とレナウンに連敗して大きく後退した。オンワードは三和銀行と引き分けたのが響き、2勝2敗1分で4位。3年ぶりのBクラスだった。松下電工は1勝4敗で5位。2部リークではAブロックで日本電気、Bブロックで富士通とともに新鋭が古豪チームを抑えて優勝した。

関東社会人リーグはシルバーオックスがシルバースターを抑えて連覇を果たし、関西社会人リーグでは湖北ファイニーズが初優勝した。この両チームによる神戸ボウルは、シルバーオックスが前年の雪辱を果たし、念願の初優勝を遂げた。

 

[5]秋季試合(ボウルゲーム)

◆第41回甲子園ボウル

●「第41回甲子園ボウル」は12月14日、小雨の甲子園球場に36,000人の観客を集め、京大と日大の対戦で開催された。史上最多18回目の優勝を狙う日大と、近年すっかり関西の強豪チームとなった京大。両者の甲子園対決はこれまで1勝1敗だった。

1Q3分、日大がQB佐藤知弘(三年)からWR岡武士(四年)への21ヤードTDパスで先制すると、京大はすぐさま4分にQB東海辰弥(三年)からWR若林正敏(三年)への16ヤードTDパスで追い付いた。その後も互いにTDを奪い合い、3Q7分過ぎで28-28と同点の息詰まる展開となった。

京大は3Q終了近く、CB平井和彦(三年)が日大のパスをインターセプト。ここから流れが京大となり、4Qに突入。第1プレーで京大のTB西田温信(四年)が1ヤードのTDラン、さらに2分には西田のこの日3つ目となるTDラン、7分にはQB東海の2ヤードTDランで21点を挙げ、日大を突き放した。日大守備陣は、京大のC屋敷利紀(三年)らのパワフルな攻勢を抑え切れず、また京大はDT森下浩志(二年)、平井ら守備陣の健闘もあって49-28で勝利。3年ぶり2度目の大学日本一となった。ミルズ杯は東海が受賞した。

 

◆第40回ライスボウル

●「第40回ライスボウル」は翌1987年1月3日、国立競技場に30,000人の観客を集め、2回目出場の京大(水野彌一監督)と4年連続出場のレナウン(谷口輝雄監督)の対戦で行われた。初の日本選手権となった3年前の第37回大会と同じ顔合わせとなったが、前回同様、最後まで勝負が分からない好試合を展開した。

レナウンは1Q5分、主将のQB鈴木隆之からこの試合QB/RBの両ポジションをこなす松岡秀樹に21ヤードのTDパスを決めて先制。さらに7分、R加藤浩志の70ヤードのパントリターンTDで14点を先行した。京大はランとパスを織り交ぜて反撃。その後は逆転に次ぐ逆転で、4Q6分、レナウンが6回目の逆転となる松岡から加藤へのTDパスで34-28とリードを奪った。

しかし、京大は4Q11分、RB西田温信(四年)が5ヤードのTDランで7回目の逆転。試合終了直前のレナウンの逆転の望みをかけたFGは惜しくも外れ、京大が35-34で粘るレナウンを振り切った。京大は2度目の全国制覇。

レナウンは第37回大会でも京大に28-29で敗れており、京大には2戦2敗。ともに1点差の惜敗となった。MVPのポール・ラッシュ杯は京大のQB東海辰弥(三年)が受賞した。この試合のハーフタイムショーには、1983年に開業した東京ディズニーランドのキャラクターやキャスト総勢750人が出演。それに加えて500人の関東の高校フットボーラーが7色、計20万個の風船を空に放ち、大きな話題となった。

 

◆その他のボウルゲーム

●12月21日に開催された「第4回カレッジボウル」で関東が関西に勝利し、4連勝とした。これで関東は大学オールスター戦で、1977年5月の「第23回西宮ボウル」から関西に対して20連勝となった。

 

[6]高校フットボールの活動

◆春季大会(高校)

●「春季第12回関東高校選手権大会」は、各地区の予選を経て8校でトーナメントを開催。準決勝で日大三高(東京1位)を36-14で破った佼成学園高(東京4位)と、立教高(埼玉1位)を20-16で破った慶応高(神奈川1位)が決勝で対戦し、慶応高が60-12で快勝し、優勝した。

●「春季第16回関西高校選手権大会」は各府県代表の9チームが参加。準決勝で市立西宮高(兵庫2位)を28-0で下した関学高(兵庫1位)と、平安高(京都1位)を14-12で破った県立虎姫高(滋賀1位)が決勝で対戦し、関学高が84-0で大勝して13連覇を遂げた。

 

◆秋季大会(高校)

■関東地区 (高校)

●「全国高校選手権関東地区」決勝は11月16日、駒沢第二球技場で早大学院と日大三高が対戦。早大学院が先行し、日大三高が追う展開となった。4Q、早大学院が1TDのリードをした後、日大三高が追撃のTDで1点差に迫ったが、TFPのキックがブロックされ、早大学院が20-19で勝利し、10年ぶりに全国大会決勝に進んだ。

 

■関西地区 (高校)

●「全国高校選手権関西地区」決勝は、地区大会で関西大倉高と平安高を下した関学高と、同じく県立星陵高、県立長浜を下した関大一高が対戦し、関学高が47-6で勝利。11年連続で全国大会決勝進出を決めた。

 

◆第17回全国高校選手権

●「第17回全国高校選手権」決勝は12月28日、駒沢第二球技場で関学高と10年ぶり出場の早大学院が対戦。前夜の雪が土のグラウンドに残る最悪のコンディションだった。

そのため、両チーム思い通りのゲーム展開ができず、パントの応酬となった。2Q9分、早大学院は第4ダウンのギャンブルからRB斉藤幸一(三年)が50ヤードの独走TD。これが唯一の得点となり、早大学院が6-0で創部38年目で初の全国大会優勝を遂げた。関学高は5連覇を阻まれるとともに、1982年から続けていた公式戦連勝記録が57でストップした。

●全国的に見ると、高校フットボール界は名門チームに対抗する新興勢力の活躍が目立ち、同時に低迷が続いていた古豪チームの復活もあり、過渡期といえた。加盟チームの増加は足踏み状態が続いたが、競技レベルの向上は上昇の一途をたどった。

 

[7]海外・国際関連の活動

◆外国チーム間の試合(日本国内開催)

●これまでの「ミラージュボウル」が第10回から「コカコーラボウル」と名称を変え、11月30日に開催された(回数はこれまでの同大会を継続)。PAC10カンファレンスに所属するスタンフォード大とアリゾナ大の対戦となり、スタンフォード大が28-24で勝利した。

●「第12回ジャパンボウル」は好天に恵まれ、翌1987年1月11日に横浜スタジアムで開催された。西軍が4Qに逆転し24-17で勝利した。ヘッドコーチは東軍がジミー・ジョンソン(マイアミ大を11戦全勝で全米一に導く)、西軍がジム・スウィーニー(フレズノ州立大)で、東軍はハイズマン賞に輝いた196センチのQBビニー・テスタバーディ(マイアミ大)が参加した。西軍DBのK.C.クラーク(サンノゼ州立大)が3インターセプトの活躍。ソングガールとしてUSCのチームが来日した。

このジャパンボウルのコーチ陣よるクリニックが1月6日、東京・霞ヶ関ビル内東海大学学友会ホールで開催された。日本コーチ協会(篠竹幹夫会長)とタッチダウン株式会社の共催で、講師陣はマイアミ大のジミー・ジョンソン監督、フレズノ州立大のジム・スウィーニー監督はじめ来日した5人のコーチが全員参加。日本の参加者約70人に2時間ほどの講演や質疑応答を行った。