記事一覧へ

INFORMATION ニュース

1988.01.01

1988年(昭和63年) 活動55年目

お知らせ

東京スーパーボウル誕生。アイビーボウルで日米交流戦が復活

日 付 主な出来事
社 会 1月1日 ソ連、ペレストロイカ開始
3月6日 グリーンスタジアム神戸開場 3月18日:日本初のドーム球場、東京ドーム開場
10月22~23日 第1回ポール・ラッシュ祭開催(山梨県清里・清泉寮)
フットボール 5月15日 第34回西日本学生選手権の決勝を「フラッシュボウル」の名称に
6月10日 東京ドーム初使用、第13回パールボウル、日本電気-レナウン
9月3日 高校日米交流戦、関西高校選抜-アシュランド高(長居球技場)
10月1日 等々力陸上競技場、関東大学リーグで使用開始
10月2日 第1回ラッシュボウル、日本電気-日産(山梨・韮崎中央公園陸上競技場)
10月2日 少年フットボールチェスナットリーグ、第1回秋のリーグ戦開始(長居球技場他)
10月12日 日本協会医事委員会発足
12月14日 第2回社会人選手権が「東京スーパーボウル」の名称に
第1回オイスターボウル(第2次)、オール広島-ミキハウス(広島県営陸上競技場)
翌年1月3日 第42回ライスボウル、日大、レナウンを下し2回目の優勝
翌年1月9日 第1回アイビーボウル、ウィリアム&メアリ大-日本学生選抜(横浜スタジアム)

徐々に興隆してきた社会人チームの日本一を決める「東京スーパーボウル」が誕生し、社会人のフットボール活動が一つ前に進んだ。またそれぞれの団体、チームで対応してきた競技活動の安全性の向上と対応範囲を拡大することを目指し、日本協会に医事委員会が発足し、活動を始めた。数年前の国内の経済状況の好況で計画された競技施設の新設や改築などが各地で進み、立派な競技施設で開催する試合が増え始めた。

[1]主な出来事

●10月2日、「日本アメリカンフットボールの父」ポール・ラッシュ博士を偲んで、同博士とゆかりの深い山梨県で新たに「ラッシュボウル」が開催された。山梨県の韮崎市中央公園陸上競技場で社会人の日産-日本電気が行われ、日産が17-3で勝利した。このラッシュボウルは、その後も開催が続いた。

●10月12日、長年設立が望まれてきたアメリカンフットボール競技の安全性を向上のための「日本アメリカンフットボール医事委員会」が発足した。メンバーは医師が中島寛之氏(東大教養学部)はじめ12人、トレーナーは鹿倉二郎氏はじめ3人で構成された。メンバーは以下の通り。(敬称略)

【医師】中嶋寛之、川原貴、黒沢尚、下條仁士、平沼憲治、斎藤明義、竹村夫美子、阿部均、毛利昌史、友利洋三、大槻博、蛇原有男

【トレーナー】鹿倉二郎、都井伸治、長尾淳彦

●1948年の法大・神谷博選手のわが国初の死亡事故からこの年まで何人かの尊い犠牲者が生じており、医事委員会は今後の普及や拡大に対して、より安全な競技活動を目指し、専門家の知見をまとめ、推進することとなった。この活動を受けて90年頃から各チーム内で、医療体制やチームドクター、メディカルスタッフの整備、安全性の観点からのトレーニング環境の充実が図られ始めた。さらにこの後、2000年代になるとパソコンでの個人データの管理やスマートフォンを用いてのデータ管理や分析を活用した管理の進展がなされた。

 

[2]競技施設・装具・公式規則

◆競技施設

●3月17日、これまでの後楽園競輪場、後楽園球場の跡地に全天候型多目的スペースの東京ドームが開場した。一部スタンドの移動や照明の各イベント対応の制御が可能で、野球のマウンドは自動昇降式、防災設備も充実した仕様だった。フットボールでは6月10日の「第13回パールボウル」で初めて使用した。

●3月、川崎市の等々力陸上競技場が改築され、関東大学リーグでの使用が始まった。

●西宮球技場が整備され、経年による補修工事とともにこれまで4,000人だった観客席が15,000人となった。また3月にグリーンスタジアム神戸が神戸総合運動公園内に開場。35,000席で外野部分は天然芝、フットボール用の計時が組み込まれたスコアボードを設置した。初使用は11月3日の関西学生リーグの関学大-近大だった。

 

◆公式規則

●これまで日本の競技規則は、審判員からなる日本協会の競技規則委員会(笹田英次委員長)が公式規則を制定し、公式規則書を発行してきたが、この年から競技規則委員会に競技団体とチーム関係者の代表も参加する形態となった。

また、従来は公式規則変更(ルール・チェンジ)は、決定された内容が毎年6月に公表されていたが、公式規則変更の概要を競技団体やチームに早めに通知することが必要だとし、この年から3月末に公式規則変更の概要・予定のお知らせの「公式規則変更予定報」と、6月に確定した公式規則変更の通知の「公式規則変更決定報」を発行することとした。

【この年の日本の主な規則変更】

●同一チームが連続したタイムアウトを取得できるようになった。
●トライ時のファンブルは、Aチームのプレーヤーはファンブルしたプレーヤーのみ、Bチームのプレーヤーは全員、持って走れるようになった。従来は全プレーヤーが持って走れた。第4ダウンでのAチームの故意のファンブルを防止する変更だった。
●攻撃側、守備側のプレーヤーの手の使用形態の違反は、5ヤードの罰則から10ヤードになった。

 

[3]春季試合

◆春季試合(学生)

●東西学生1部リーグでは、前年日本一の京大、関東優勝の日大を含めて各校ともメンバーの異動が大きく、春先から波乱含みの展開となった。まず西日本選手権で京大と関学大が相次いで敗れ、決勝は大体大-近大となり、大体大が7-0で勝利。関東ではショットガンからT体型に変えた日大が専大、桜美林大などに苦戦したものの、ヨコハマボウルでは関学大を終了直前の劇的な逆転で破った。このヨコハマボウルでは、OBも含めるこの頃には珍しい試合形態の全京大-全明大も行われ、全明大が勝利した。

 

◆春季試合(社会人)

●日本社会人リーグが新編成で臨んだ2年目のシーズン。東西で4チームが新たに加盟し、合計46チームとなり、わずか5年でチーム数が倍増した。これに伴ってチーム力の差も徐々に縮まり、社会人戦国時代の様相を呈し始めた。このことは、社会人チームとの対戦では実に5年間無敗の38連勝を誇っていた王者レナウンに土が付いたことにも表われた。前年、1部昇格1年目にして2位に躍進した日本電気が、新人選手を加えた若々しい布陣で破竹の快進撃。落成後初のフットボール試合となった東京ドームにおける「第13回パールボウル」でレナウンを破り、初出場で優勝を飾った。

 

◆春のボウルゲーム

●第34回西日本学生選手権

2年前から学生だけのトーナメントとなった「第34回西日本学生アメリカンフットボール選手権決勝」を「フラッシュボウル」と名付けた。準決勝で関学大が近大に10-28で、前年日本一の京大が大体大に6-34でともに完敗して決勝に進めず、決勝は大体大-近大となった。

決勝は5月15日、小雨降る長居球技場で開催。大体大が2Q早々、RB大島成晃(三年)が10ヤードを走り込み先制のTDを挙げ、K中尾晋作(四年)がTFPのキックを決めた。近大は2Q残り35秒、QB田中章博(二年)がエンドゾーン左隅に走りこんだWR沢田靖明(四年)に18ヤードのTDパスを決めたが、TFPのキックが失敗。そのまま7-6で、大体大が初優勝を飾った。

●第34回西日本社会人選手権

「西日本社会人選手権」決勝は5月29日、西宮球技場で西日本唯一の実業団チームの松下電工と、クラブチームの雄のサンスターが対戦。前半、14-14の互角の戦いから後半に入り、松下電工が相手ターンオーバーからの攻撃でRB伊佐真治郎がTDランを挙げ、さらにSE上田能敬へのTDパスが決まり、27-14でサンスターを破って優勝した。

●第34回西宮ボウル

春のフィナーレを飾る「第34回西宮ボウル」は6月25日、18,000人の観客を集めて開催された。

1Q、全関東はQB山田喜弘(日大四年)の38ヤードと90ヤードのTDランで14-0とリード。全関西は3Q、TE入道修(大体大四年)の3ヤードTDランで逆転し、競った試合に。全関東はその3分後、山田がRB池上隆裕(専大四年)に11ヤードTDパスを決めて逆転。これが決勝点となり、全関東が38-21で勝利した。

●第2回ヨコハマボウル

2回目となる「ヨコハマボウル」は5月29日、前日の豪雨がやんで晴れ上がった横浜スタジアムで全京大-全明大、日大-関学大が開催された。

・第1試合は全明大が23-13で全京大を下した。全明大はOB2年目のRB吉村祐二がこの試合の主将を務め、自ら21回のランで107ヤード、1TDを挙げる活躍で現役時代を彷彿とさせた。MVPは、3Qに自らの25ヤードTDランで全京大を突き放した明大OB1年目のQB渡辺弘幸が受賞した。

・第2試合の日大-関学大は1Q、日大がRB山口敏彦(一年)の9ヤードTDランで先制すると、2Qに関学大がHB橋本昌浩(四年)の3ヤードTDランで同点に。以降はシーソーゲームを展開し、最後は日大がQB山田喜弘(四年)の3つのTDなどで34-21で勝利した。MVPは計4TDを挙げた山田が受賞した。

●第13回パールボウル

「第13回パールボウル」は6月10日、落成後初の東京ドームでのフットボールの試合として日本電気とレナウンが対戦。創部5年目の新鋭・日本電気が23-17で勝利し、初優勝した。両チームは息詰まる接戦を展開し、4Q10分にレナウンがFGで17-16と逆転したが、その後日本電気は司令塔QB河野厚也のボールコントロールで3分32秒をかけて8プレー目でRB大川春信がTDランを挙げ、劇的な勝利を収めた。

 

[4]秋季試合

■関東(学生)

●関東大学リーグ1部は駒沢陸上競技場、駒沢第二球技場、駒沢補助競技場、大井陸上競技場、大井球技場を使用し、新たに等々力陸上競技場(川崎市)を使用した。1部以外のリーグはこれらの競技場を使用することもあったが、各大学のグラウンドでの試合が多かった。

リーグ戦は9月10日に開幕。Aブロックは日大、立大、東海大、早大の上位4校がいずれも3連勝で序盤を支配した。春からほぼT体型で通した日大は、第4戦の早大戦でショットガンを登場させて完勝し、その後も東海大を大差で破り、最終戦を待たずにブロック優勝を決めた。立大は劣勢を予想された東海大戦に引き分け、早大に敗れたものの、最終戦で日大を土壇場まで追い詰め、10-14と健闘した。1敗1分の東海大が2位、2敗の早大が3位で立大は4位。2勝で5位の横国大に敗れた法大が、全敗の明学大とともにこの度から行われた入れ替え戦に回った(前年までは自動降格)。

Bブロックでは専大が波乱の口火を切った。第1戦で日体大を破ると、続く筑波大、明大も連破して一躍トップに躍り出た。有力な優勝候補と見られていた慶大は、初戦で桜美林大と引き分けたものの、中盤から本領を発揮し、山場の専大戦に快勝して乗り切った。専大に敗れた明大もその後持ち直し、慶大との最終戦に望みをつないだ。11月3日、改装された駒沢陸上競技場で行われた慶明戦は、慶大の二年生QB岩田聰がはつらつとしたプレーを見せ、42-21で快勝。慶大は初のブロック優勝で、パルサーボウル出場を決めた。2位は専大、3位は明大、1部で初めて勝ち越した桜美林大が4位、日体大は5位。筑波大、一橋大の国立大学勢はともに入れ替え戦に敗れて降格した。

●第19回関東大学選手権

「第19回関東大学選手権・パルサーボウル」は日大と初出場の慶大の対戦。間断なく降り続く冷たい雨の中、横浜スタジアムで23,000人の観客を集めて開催。日大はエースQB山田喜弘(四年)をRBとして起用し、QBはパスに定評のある宇田川健治(三年)が今季初先発。ときにはこの2人を2QBとして並べる攻撃体型を採用した。日大は前半で21-0とリードし、後半もそのまま優位を保って41-20で関東3連覇を遂げた。

 

■関西(学生)

●関西学生リーグは西宮球技場、長居球技場、万博記念競技場で開催した。

混戦が予想された関西学生リーグだったが、2年連続日本一の京大が開幕節で1部に復帰した神戸大に14-26で敗れる波乱のスタート。同大、近大、大体大などの中堅校同士の対戦もし烈を極め、さらに攻撃力では京大、関学大に引けを取らない甲南大や神戸大も力を付けてリーグ戦に臨み、開幕から最終節まで息もつかせぬ大激戦が展開した。

その中で、甲南大と神戸大を順当に破った関学大がまず一歩リード。期待された立命大は関学大と京大に敗れて優勝争いから外れた。前半戦で唯一全勝を守った関学大は、中盤から負傷者が続出し、同大に20-21で敗北。ここで京大、関学大、同大が1敗で並んだ。除々に力を増してきた京大は同大を難なく破り、関学大も近大を寄せ付けず、優勝の行方はこの年もリーグ最終戦の関京戦へと持ち越された。

1敗同士の京大、関学大の対決は、万博記念競技場に24,000人の観客を集めて行われ、2Qに関学大のQB埜下雅基(三年)が自らのランと見せかけてRB橋本昌浩(四年)に走らせ、先制のTDを挙げる。さらに3Q、埜下が自らエンドゾーンにダイブしてTDを挙げるなど、関学大は17-12で勝利し、3年ぶり36回目のリーグ優勝を遂げた。2位は5勝2敗で京大、立命大、同大が並び、混戦のシーズンを終えた。

2勝の大体大、近大、神戸大が同率で5位。プレーオフの結果、大体大が8位の甲南大とともに入れ替え戦に回った。入れ替え戦では甲南大が関大を下して残留を決めたのに対し、大体大は京産大に惜敗。春の覇者であり、関学大と京大にともに4点差という死闘を演じた大体大の降格は、リーグ戦の激しさを物語るものだった。

 

■各地区(学生)

【北海道】 1、2部が各6チームで開催。1部は円山競技場で、最終戦で全勝同士の北大と札幌大が対戦した。1Q10分、北大が先制TDを挙げると、以降も順当に得点を重ねて34-14で勝利し、優勝を決めた。
【東北】 7チームで開催。東北大がDE中川健也(四年)、DT大寄敦(三年)、LB水野信広(四年、主将)、叶邦彦(四年)らの守備陣で全5試合を完封勝ちで6回目の優勝を遂げた。
【東海】 1部6チーム、2部は5チームと6チームの2ブロックで開催。優勝候補と見られていた中京大が、第3週で名古屋工大に予想外の敗戦。最終週でこの中京大がそれまで全勝の名古屋大と対戦した。攻撃力に勝る中京大が28-0で快勝し、逆転で4連覇を遂げた。
【北陸】 5チームで開催。前年2位の金沢大が全4試合で40~70点台の得点を挙げて完封と、圧倒的な優勝を飾った。
【中四国】 1部5チーム、2部4チームで開催。予想通り広島大と山口大の全勝対決となり、広島大が13-0で勝利した。
【九州】 1部6チーム、2部は5チームと4チームの2ブロックで開催。初戦で優勝候補の九大と福岡大がともに敗れる波乱。前年優勝の九大は全敗で入れ替え戦に回った。優勝は全勝の西南学院大で、夏に関学大と合同合宿をした経験を生かした。

 

●この年、各地区から学生王座決定戦に名乗りを上げたのは北大、東北大、広島大、西南学院大の4校。3年連続の対戦となった北大-東北大の「東日本学生王座決定戦」は11月12日に東京・大井球技場で開催。14-14の引き分けの末、東北大が抽選で地区対抗王座決定戦の出場権を得た。

●11月6日に開催された「西日本学生王座決定戦・平和台ボウル」、広島大-西南学院大は西南学院大が4Q残り2分で逆転して19-15で勝ち、九州代表として3年連続の地区対抗王座決定戦出場を決めた。

●11月20日、横浜スタジアムで行われた「第3回地区対抗学生王座決定戦」は平田満男監督率いる東北大が西南学院大を72-9の大差で下し、2年ぶり2度目の優勝を飾った。東北大は1Q4分、QB小笠原令欧(四年)からWR桑崎聡(二年)へのTDパスで難なく先制すると、6分過ぎには西南学院大のスナップミスからセーフティーを奪い、直後の攻撃シリーズではRB独走TDで追加点。以降も得点を重ね、LB水野信広(四年、主将)、叶邦彦(四年)を中心とする守備陣が相手の攻撃を封じた。

 

◆秋季試合(社会人)

●日本社会人リーグは、関東地区の実業団1部と東日本がこの年初めてリーグ戦で東京ドームを使用(平日に6回)し、ほかに平塚競技場、駒沢第二球技場、福岡・平和台球場を使用したが、各企業のグラウンドでの開催も多かった。関西地区は西日本1部が長居球技場、神戸ユニバー記念競技場などを使用した。

 

■秋季試合 関東(社会人)

3カンファレンス同時に開幕。実業団ではリーグ5連覇中のレナウンが順当に勝利を重ねた。実力的に同等と評判のオンワードがレナウンに敗れ、日本電気が日産に不覚を取った時点でレナウンの独走となり、そのまま全勝で6連覇を飾った。2~5位は星のつぶし合いとなったが、日本電気が2位、オンワードが3位、日産が4位、三和銀行が5位、富士通が6位となった。

東日本は、ライスボウル出場へ執念を燃やすシルバースターの独壇場。他のチームとは大きな実力差があり、まったく寄せ付けなかった。2位にはシルバーオックスを破った横浜ハーバースが躍進。シルバースターはこの年からアサヒビールの支援を受け、アサヒビールクラブ・シルバースターとなった。

●実業団2部では、Aブロックを制した三菱銀行が1部昇格を決め、同率優勝の警視庁は入れ替え戦で再び富士通に敗れた。Bブロック優勝のリクルートは、Cブロック優勝の清水建設を下し、1部昇格を決めた。西日本2部はAブロックをイワタニが、Bブロックを名古屋がそれぞれ全勝で制した。

 

■秋季試合 関西(社会人)

●クラブチーム中心に発展してきた西日本カンファレンスは、企業チームの松下電工が積極的な補強策を行い、またクラブチームはそれぞれ有力なスポンサーの支援を得て、いよいよ群雄割拠の年となった。秋は松下電工が終始優位を保ち、全勝でリーグ戦を制したが、関西クラブチームの両雄、サンスターとブラックイーグルスがともに松下電工に1TD差まで詰め寄った。新たなスポンサーの支援を受けたミキハウス(シルバータイガース)、千趣会(フューチャーズ)はそれぞれ4、5位に終わった。

 

■プレーオフ(社会人)

●「東京スーパーボウル」と名称が付いた「第2回日本社会人選手権」の出場を懸けた「神戸ボウル」は、松下電工がベテランQB西村英男の活躍でアサヒビールを20-0で破り、出場権を得た。

松下電工は1Q、アサヒビールのパントを自陣30ヤードキャッチした新人S田附喜水宏が相手3、4人のタックルをかわして敵陣30ヤードまでリターン。そこからの攻撃でQB西村英男からTE森宏へのTDパスで先制、守備陣のRG池田敬久、DT兼古大介らが4回のQBサック、田附、DB柚冬泰司の各2回のパスインターセプトの活躍で、アサヒビールを無得点に抑えた。

 

[5]秋季試合(ボウルゲーム)

◆第43回甲子園ボウル

●「第43回甲子園ボウル」は12月11日、甲子園球場に史上最多となる40,000人の観客を集め、優勝17回で並ぶ日大と関学大が対戦した。

日大は通常のショットガン体型からさらにQBを2、3ヤード下げ、その中間に2人のHBを配置。この3人のどこにでもスナップされるという新たな攻撃を展開した。

先制したのは関学大。1Q11分、QB埜下雅基(三年)が2ヤードのTDランを挙げた。その後、日大、日大、関学大の順でTDを挙げ、前半は14-14で折り返した。3Q、日大はQB山田喜弘(四年)、RB山口敏彦(一年)が、ショットガン体型からT関孝英(四年、主将)、G鈴木実(四年)の強力ラインが開けた中央近辺の道をじわじわと攻め、それぞれTDして28-14と差を広げた。

4Qに関学大も反撃し、RB橋本昌浩(四年)の60ヤードTDランで追う大熱戦となったが、日大は相手守備陣の中央を攻める攻撃陣と、守備にも活躍するT関孝英、G鈴木実のライン、DB土谷公宏(三年)の踏ん張りで、関学大の猛反撃を抑えて35-28で逃げ切り、4年ぶり18回目の優勝を遂げた。単独優勝は6年ぶり。関学大の学長を務めながら12年ぶりにフィールドに立った武田建総監督は学生王座に届かなかった。ミルズ杯は42回のランで178ヤード、4TDを挙げた日大QB山田喜弘が受賞した。

 

◆第2回日本社会人選手権・東京スーパーボウル

●社会人のNO.1を決める「日本社会人選手権」は、この第2回大会から「東京スーパーボウル」の名称となった。12月12日、新設の東京ドームでレナウンと松下電工が激戦を展開した。松下電工は1Q5分、2Q2分とQB西村英男からTE森宏への2つのTDパスなどで3Q半ばまでで20-7と大きくリードした。しかし、レナウンはその後、RB相沢健一の2つのTDラン、QB鈴木隆之の5ヤードTDランなどで逆転し、28-20で勝利。6年連続のライスボウル出場を果たした。レナウンのベテラン鈴木がエースQB松岡秀樹の穴を埋めた勝利だった。

 

◆第42回ライスボウル

●日本選手権となって6年目の「第42回ライスボウル」は翌1989年1月3日、国立競技場で45,000人の観客の下、日大と6回連続出場のレナウンが対戦した。1Q10分、ショットガン体型の日大がQB山田喜弘(四年)の2ヤードTDランで先制。しかし、1Q終了直前、日大のパントをレナウンDB平山裕二がブロックし、それをエンドゾーンでR木村正士が押さえてTDし、同点とした。

日大は直後の2Q、開始5秒でQB宇田川健治(三年)からWR梶山龍誠(二年)への28ヤードTDパスが決まると、以降ラン、パス、FGで加点。守ってはレナウンの攻撃を主将DT関孝英(四年)、副将G/DE鈴木実(四年)を中心に速いタックルで止め、守備でのTDを許さずに47-7で勝利し、4年ぶり2度目の日本一に輝いた。MVPのポール・ラッシュ杯は日大G/DE鈴木実がラインマンで初めて受賞した。敗れはしたが、レナウンの6年連続ライスボウル出場は、38回開催された学生-社会人のライスボウルの歴史で、最長連続出場記録となった。

 

◆その他のボウルゲーム

●ポストシーズン・ゲームとして定着した「カレッジ東ソーボウル」は翌1989年1月14日に行われた。学生として初の東京ドームでの試合で、西軍が東軍を圧倒。K村上淳一(関学大四年)らの活躍で20-16で大会初勝利を挙げた。

 

[6]高校フットボールの活動

◆春季大会(高校)

「春季第14回関東高校選手権大会」は各都県の大会を経て8校でトーナメントを開催。1回戦4試合で4校出場の東京勢が敗退し、準決勝は神奈川と埼玉代表の争いとなった。準決勝で立教高(埼玉1位)を10-0で破った法政二高(神奈川1位)と、日大高(神奈川3位)を9-6で破った慶応高(神奈川2位)が決勝で対戦し、法政二高が16-10で勝って優勝した。

「春季第18回関西高校選手権大会」は各府県代表の8チームが参加。準決勝で清風高(大阪2位)を34-7で破った関学高(兵庫1位)と、岐阜第一高(東海地区1位)を62-7で下した府立豊中高(大阪1位)が決勝で対戦し、府立豊中高が14-0で関学高の15連覇を阻止し、初優勝を飾った。

この春、高校フットボールで開催した3つの定期戦の結果は次の通り。

日 付 スコア 会 場 備 考
5月3日 第35回定期戦 慶応 12-7 関学 長居球技場 慶応が7年ぶり、遠征先では初の勝利
6月26日 第41回定期戦 府立池田 23-14 府立豊中 西宮球技場 高校最古の定期戦
6月26日 第3回定期戦 大産大付 13-12 日大三 西宮球技場 大産大付が初勝利

◆秋季大会(高校)

●前年の第18回全国高校選手権で対戦した日大鶴ヶ丘高と大産大付高が、ともに早々に敗れる波乱があった。前年高校日本一の日大鶴ヶ丘高は東京都大会準々決勝で都立西高と8-8の同点となり、抽選負けで準決勝に進めなかった。大産大付高は大阪府大会1回戦で府立豊中高に18-22で敗れ、姿を消した。このシーズンは天候に恵まれず、特に東京都大会は半数以上の試合が雨天での開催だった。

 

■関東地区(高校)

「全国高校選手権関東地区」決勝は11月20日、駒沢第二球技場で法政二高(神奈川3位)と日大高(神奈川1位)が対戦。法政二高は2Q8分、28ヤードのTDパスで先制し、4Qには4TDを挙げるなど日大高を圧倒し、41-0で勝利した。法政二高は14年ぶり2度目の全国決勝に進んだ。

 

■関西地区(高校)

「全国高校選手権関西地区」決勝は11月23日、万博記念競技場で開催。準決勝で県立星陵高を破った関西大倉高(大阪1位)と、関学高を破った平安高(京都1位)が決勝で対戦。関西大倉高が42-7で勝って9年ぶり2度目の全国決勝に進んだ。両校は公式戦初対戦。関西大倉高は2Q早々に6ヤードTDランで先制すると、以降も順調に得点を重ねた。

 

◆第19回全国高校選手権

●「第19回全国高校選手権」決勝は12月25日、横浜スタジアムで法政二高と関西大倉高が対戦。ラインとバックス、攻撃と守備の連係が取れた法政二高が38-7で勝って16度目の全国大会出場、2度目の決勝戦で初優勝を果たした。

1Q2分、関西大倉高がTDパスで先制したが、7分に法政二高が49ヤードTDランで追い付き、その後も法政二高が4TD、1FGで加点した。神奈川地区の関東大会への出場枠は3枠。法政二高は神奈川の準決勝で横浜商工に敗れ、3位決定戦で辛くも関東大会の出場を得て、そこからの全国大会優勝だった。

 

[7]フットボール・ファミリーの活動

◆小・中学生フットボール

●関西地区の小学生(後年、中学生チームも誕生)を対象とした7チームからなる「チェスナットリーグ」(久保田薫代表、池野邦彦運営委員長)が結成された。加盟は以下の8チーム。

 

京都リトルベアーズ、京都出水小学校レッドスターズ、大阪波除小学校モンキーズ、池田小学校ワイルドボアーズ、大阪タイニンベンガルズ、大原野小学校不尽クラブ、住吉川小学校モンキーズ、大阪日吉小学校

 

フィールドの大きさは大学や社会人と同様だが、ボールが小さめで、スカウティングやスポッターの使用は禁止、TFPはラン・パスの成功が1点でキックが2点など、若干独自のルールを採用した。

9月17日、長居球技場での波除モンキーズ-池田ワイルドボアーズで開幕。出水レッドスターズが優勝した。関係者の努力で安全面の問題もなく、無事に最初のシーズンが終わった。以降、参加チームが増加し、リーグ卒業後に高校、大学、社会人で活躍する選手が育っていった。

 

[8]海外・国際関連の活動

◆日本チームの活動(国内開催)

●日本国内での日米の大学戦が、1977年12月のBYUと東西の全日本の対戦から12年ぶりに開催された。その「第1回アイビーボウル」は、昭和天皇崩御の翌日、1989年1月8日に米国からウイリアム&メアリ大(W&M大)を迎えて関東学生選抜が対戦した。W&M大はハーバード大に次ぎ米国で2番目に設立された東部の名門校で、この年米国フットボール523校の全米ランクで96位の強豪校だった。対する日本は東北、北海道、中国、九州のチームからの参加も含む関東大学中心の選手で編成された。

試合5日前の1月3日に日本選手権となって6回目の「第42回ライスボウル」でレナウンと戦った日大の選手も合流し、準備して臨んだ関東学生選抜だったが、1Qこそ3-7で善戦したものの、以降は試合終了までW&M大が手を緩めることはなく、結局3-73の大差で敗れた。1月3日に来日し、試合翌日の9日に離日のW&M大チームは滞在中、日常の生活を含めて紳士的な行動で、その礼儀正しさを多くの関係者が感じた(これは以降のアイビーボウルでも同様)。12年ぶりの日本学生選抜チームの挑戦だったが、米強豪校の壁は相変わらず厚かった。

●関西の高校の選抜チーム(以降の大会では年によっては対象を広げて「関西」から「西日本」の高校へ)が、米オレゴン州のアシュランド高校と定期戦を開始した。きっかけは、南オレゴン州立大と関学大が対戦した際のオレゴン訪問時に、アシュランド高との交流が決定したものだった。第1回の対戦は9月。アシュランド高が来日し、9月3日に長居球技場で関西高校選抜と対戦した。試合は接戦で、アシュランド高が13-0で勝利した。アシュランド高の選手は日本に滞在中、日本の高校選手の自宅にホームステイし、日常生活でも交流した。

このアシュランド高との対戦は、「パシフィク・リムボウル」と名付けられ、現在に至るまで通常は隔年で実施。日本とオレゴン交互で開催されており、ホームステイも継続されている。フットボールを通しての交流や親交は、出場した高校生はもとより、家族や社会を含めて効果を挙げている。

 

◆外国チーム間の試合(日本国内開催)

●12月4日、これまでの国立競技場から会場を東京ドームに移した「コカコーラボウル」は、オクラホマ州立大が接戦の末、テキサス工科大を45-42で破った。来日中にオクラホマ州立大のRBバリー・サンダースのハイズマン賞受賞が決定し、話題を呼んだ。

●「第14回ジャパンボウル」は翌1989年1月16日、晴天の横浜スタジアムで行われ、東軍が30-7で西軍に勝利した。1Qに先制点を挙げた東軍が以降も順調に得点した。QBトロイ・エイクマン(UCLA、後にNFLダラス・カウボーイズで1993年第27回スーパーボウルのMVPに)はじめオールアメリカンは15人だった。

 

◆国際試合・その他

●1970年代に盛んに開催された日本チームの国際試合。1980年代は米大学四年生の「東西オールスター戦・ジャパンボウル」(76~93)、米国カレッジの公式戦「ミラージュボウル、コカコーラボウル」(77~93)の本場同士の試合が多くなり、日米の対戦は減少した(NFLのプレシーズンマッチ、「アメリカンボウル」の開催は89~2005)。

この時期、日本チームは1970年代の米大学戦との経験から、米国への関係者の留学や米国コーチの招へいによるクリニックの開催など、チーム力を充実、向上させた時代であった。70年代のチーム力強化を基に80年代末から、また日本チームの国際試合が盛んに開催されるようになった。そのトップが第1回大会を89年1月に開催した「アイビーボウル」である。開催目的は第一に日米の文化交流を挙げ、8年間の開催で多くの日米の若者が貴重な体験をしたボウルゲームだった。

●現地時間1989年1月22日開催のNFL第23回スーパーボウル(サンフランシスコ・フォーティナイナーズ20-16シンシナティ・ベンガルズ)で、スーパーボウルが初めて日本のテレビで生中継された。