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2023.03.10

日本におけるフットボールの厂史(5) 1935秋

お知らせ

◆ 1935(昭和10年) 秋 ◆

 

10月の中旬になると朝日新聞にシーズンの予想がのつた。これは加納克亮氏が書いたものであつたが大変に長文の予想記事であつた。“米式蹴球 慶法の新参加に爭覇戰開幕19日 慶立先づ戰ふ”と云う見出で、本文は

 

「聯盟創立第2周年を迎へた東京学生アメリカンフットボール聯盟は今春本社の招聘した全米学生選抜軍の来朝によつて現在米囗における最髙標準ともいふべきこの競技の精神並に技術を伝授され一躍長足の進歩を遂げた。又観衆の興味も次第に昂り新興のスポーツとしては予想外の速度で堅実な地歩を進めるに至つた。
今シーズンは新たに慶応、法政のリーグ参加あり。これに横浜外人クラブを加へて6チームの爭覇戰を展開する運びとなつたが、この聯盟が、現在日本の各スポーツが確然たるシーズンを有せず、各競技共殆ど一年中試合及び練習を続けている弊害を除去する目的で、各競技に率先して、シーズンを限定、練習は9月1日以降、シーズンは12月末日までとしこの外春季2週間の練習を許可することに決定したことは、日本のスポーツ界の将来に優れた指針を与へるものとして注目に値する」

 

と日本のスポーツ界に革新の風を吹き込んだシーズン制採用について大変ほめて書いている、そして続けて

 

「今シーズンの試合は10月19日から芝公園競技場に夜間照明を行ひ華々しく開幕することとなつた。

 

明大 このチームは殆どが米囗生れの選手である。昨年はこれ等米囗で多少の経験を有する選手達が各智能を集めて戰法を案出してゐたが今期はハワイ大学の選手であつた武田君をコーチャーに得て明大式戰法を案出、聯覇の意気物凄く早くも練習は完成期に達してゐる。ハワイ大学は昨シーズンの終り米本土から全米代表選手を招き、これを撃破した強チームで、このチームにあつて実際の練習に参加してゐた武田君をコーチャーに得、部員は約30余人この内には今春来朝した全米学生選抜軍との対戰で豊富な実戰の経験を有する選手も多数あり戰法の複雑多岐に亘ることでは断然他校の追従を許さぬ、が併しこのチームの苦衷はラインズメンの体重が軽すぎることで、精巧な技術もラインの破壊によつて遂行困難に陥る場合が多くないかといふ点である。

 

早大 昨年は明大と事実上の決戰を行ひ6対2といふ接戰の末長蛇を逸したが今シーズンは長身重量のラインズメンを揃へると同時に打倒明大の意気物凄く、特徴としてはラインズメンが平均17貫強といふところからライン突撃には自他共に許す強味あり、堅実な歩調でラインを衝き漸進又漸進するであらう。

 

立教 今シーズンはマーシヤル立大体育主事のコーチも漸く選手達の消化するところとなつた。その上ハワイ大学にあつて経験豊かな坂口君をバックフィールドに得、ライン突撃に一威力を加へることができた。好漢坂口君のダッシュは昨シーズンは何校にも見られなかつた本格的なダッシュで南加大のクレメンズ君を思はせる猛烈果敢なプレイ振りである。又優秀なキッカー中村君をハーフに据え、バックフィールドの陣容は早明に劣らぬ能力を備へ得たがラインに稍難色がある。

 

法政 今シーズンから初めてのリーグ戰参加であるが西原、梶谷君等全日本軍のメムバーとして全米軍との試合に出場した選手もあり、ハワイ大学出身の東君をコーチャーとして迎へることが出来たのでチームは基本的な訓練から始め漸次完成の域に進み、シーズン開幕の頃までには相当な纏りを見せるに至るであらう。

 

慶応 法政と共に新たに加盟し、今シーズン第1戰を立教と来る19日挙行することとなつてゐるが既に今春チーム編成間もなく立教と試合を行ひ快勝したといふ好スタートを切つたチームである、ここも明大と同じく全米軍を破つたハワイ大学のフォーメーションを採用してをり、ラインズメンの平均体重18貫といふリーグ中第一の重量ラインをもつてゐる。練習から見てもバックメンの走路開さくのためラインズメンは他校に比し、より猛烈なブロッキングを訓練してゐるから慶応のラインバックは相当他校の警戒を要するものであらう。又バックには武田、保木君等正確なパスの投げ手もあり、攻撃には特色ある重厚なプレイをみせる、慶応チームは新生チームとして予想以上優秀なものであつてダークホースとして斯界の注目の的となつてゐる」

 

と云う大変長くてくわしい予想記事であつた。

 

そして全ての準備はととのつた。各校ともヘルメットは春来日した全米軍のヘルメットをモデルにして早速玉沢で製作したし、又ユニフォームも各校各々その特長を出したものになつた。立教のユニフォームはヘルメットは新型でオレンジ色にし、ジャージーは昨年のオレンジのものを使用し、パンツは昨年のカーキ色のカンバス地のから変えて紺色で脚の背部に白線を入れたものを新しく作つた。

 

そしてリーグ戰開幕の前日、即ち10月18日の夜には各校から3名づつの代表を選んで新しく夜間照明の出来た芝公園のグラウンドで夜間照明に馴れる為の練習をした。練習と云つてもこれはデモンストレーションであつた。各新聞社の記者を招んで日本で初めての夜間照明下における試合の記事と写真を新聞に出してもらう為のものであつた。翌日の朝刊には各紙共その写真と記事を出して前景気をあおつた。

 

「照明下に開幕する米式蹴球リーグ戰
昨年初めて誕生した東京学生米式蹴球聯盟第2年目の今シーズンは明、早、立、慶、法5大学シリーズとなり、19日立教対慶応の試合をふた開けに夜間照明装置の出来上つた芝公園競技場で各試合とも午後7時から行ふが18日夜その照明の試験を兼ねて夜間練習を行つた。(写真は照明下のスクリメージ練習)」と書いたものや

 

「夜間競技場出現、19日から始まる東京学生米式蹴球のリーグ戰場所は芝公園運動場と決つたが、試合開始が午後7時といふので同運動場では夜間照明の電柱を5本新設した、18夜はこの照明テスト、既に各大学チームが溌剌とした練習をしたが15,500燭光下で米式蹴球の日土の試合日のみならず、毎夜照して各種陸上競技練習のスポーツマン達を喜ばせるといふ夜間練習場が出来たわけだ(写真は昨夜の練習)」

 

と云う記事もあつた。

 

夜間照明と云つてもおそまつなもので大きなスポットライト1個をつけた電柱が競技場の周囲に5本立つているだけのものでお卋辞にも明るいとは云えない。むしろうす暗いもので小さなボールの競技はとても出来るものではなかつた。そしてその柱も普通の電柱位のものであるので、照明燈の髙さも低くパスやパントの時には下手すると照明が邪魔することもあつた。更にグラウンドはそのフィールドは芝生でもなく、又普通の土でもなかつた。小さな砂利がしきつめられていた。丁度ザラメ砂糖のような小さな砂利であるので手の平やユニフォームから出ている所はすりむいてしかも皮膚の中にその砂利が入つてしまうようなグラウンドであつた。丁度サンドペーパーの上で試合をやるようなものであつた。

 

それでも正面には1,000人位入れるスタンドがあり、その反対側には土堤のスタンドがあつて両方で2,000人近く収容することは出来るグラウンドであるが、その他の所は金網が張つてあるだけであつた。10月18日は吾々も練習はフォーメーションの練習位に止め、道具を池袋の駅の近くの風呂屋に集めて試合の日を待つた。

 

当日は土曜日であるので夕刻池袋西口駅前の東京パンに集合。キャプテンから色々注意事項を受けた後夕食を攝つた。この時太田主将から食事は軽くパン食にしろとの注意があつたので一同パンで夕食をとつた。試合中腹がへつてブーブー云つていた者も居た。食事後池袋の風呂屋に行つてユニフォームと着換えて5人づつタクシーで芝公園に向つた。オレンジのジャージーに紺のパンツ、白のストッキングと仲々勇ましいスタイルであつた。芝公園は初日とあつて入場式があるので各校試合のない学校まで全員ユニフォーム姿で集つて来ていた。我々と慶応は試合があるので直ちに練習を開始した。ボールはエナメルで白く塗られて居た。グラウンドは暗いがそれ程不自由は感じなかつた。

 

型の通りパス、パント、フォーメーションと一通り汗をかいて7時一寸前練習を終つてグラウンドの外に出て入場式の体勢をとつた。各校校旗を先頭に昨年の優勝校明治を先頭に早稲田、立教、慶応、法政の順に一列で行進曲に合わせて入場し、正面に向つて一列横体に整列した。従つて立教は丁度メーンスタンドの中央に位置したのであつた。

 

聯盟のポール・ラッシュ理事長の開会の挨拶、東京市長代理伊藤教育局長の祝辞、松本明大主将の選手宣誓文の朗読等があつて入場式を終つた。東京市長の祝辞はこの芝公園競技場に夜間照明装置を設備してもらつたこと、それと芝公園を借用する意味で招待したものであつた。入場式を終つて立教と慶応は再び競技場に入つて軽いウォームアップをして7時30分から松本(主)、ファーラー(副)、川辺(線)、西原(計)の4人の審判で試合を開始した。慶応のキックオフでその結果は次の通りであつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
立 教 6 12 0 6 24
慶 応 0 0 0 0 0

 

立 教 慶 応
中 田 LE 桑 原
浅 賀 LT 上 村
LG 中 村
安 藤 C 今 村
RG 白 井
RT 加 藤
亀 井 RE 浜 田
太 田 QB 竹 村
菊 地 LH 武 田
中 村 RH 保 木
坂 口 FB 中 上
(交代)

立教:竹内、井上、田中、阿部、天田

慶応:稲葉、福田、藤堂、松井、斉藤、桂、竹村、疋田、岡野、光吉、根本

 

翌日の新聞には写真入りで次のような記事が出ていた。

 

「立教快勝す 対慶応米式蹴球
第2回東京学生米式蹴球リーグ戰立教対慶応の試合は19日午後7時半より芝公園競技場で挙行、明大松本主将は選手一同を代表して宣誓文を朗読。東京市長代理伊藤教育局長の祝辞あり、夜間競技の規則により白色に塗られたボールで試合を開始した。
立教はバックフィールドに俊足を揃へ、ラインズメンもよく頑張つて慶応のラインメンを漏らさずバックのエンドランやオフタックルを完全に行はしめた。慶応はバックに走力乏しく多くエンドランを試みたが抜き切れずに終つた。立教のバックでは坂口の直線的突破、中村のドッヂングによる好走が目立つた。
第4回目の立教のタッチダウンの如きは中村スクリメージの真背後から左サイドラインに投じた慶応のフォワードパスを巧みに見破り快走した。然し乍ら慶応も漸時試合に訓れてきたならば自己の持つ優秀な体格を使ひ切れるやうになり、ライン突破には見るべきものが生まれて来よう」

 

と云うものであつた。又他の新聞では

 

「24-0立教慶応を一蹴 米式蹴球リーグ開幕
東京学生米式蹴球リーグ戰劈頭の立教対慶応の試合は19日午後7時から芝公園競技場に於いて開会式を行つた後午後7時半から慶応キックオフで新設の照明下に挙行観衆5千余でスタンドは満員となり盛況だつた。

 

慶応はチームが新しいだけに2年目の立教とは相当の開きがあつた。立教は得意のオフタックルがよく成功し、ブロックも確りしていたので、バックのエース中村及び坂口らが盛んに突進し、第1クォーターで中村、第2クォーターでは坂口が2度第4クォーターでは慶応のパントをインターセプトして中村と四つのタッチダウンを挙げて快勝した。
併し後半に入つて幾分疲労が出た為かラインが前半に比して乱れ勝ちとなり時に慶応にラインを破られることがあつた」

 

と書いてあつた。

 

これによると観衆5千余となつているがこれは少々オーバーだと思えるが、とにかく正面スタンドから反対側の堤、それに両翼と満員の状況で4千人近くの観衆が入つて初日としては大変な盛況であつた。試合の方も最初からライン、バックとも終始立教が圧倒的に押しまくり、特にオフタックル、エンドラン、センタープランジ等がよく一方的な試合で最後の5分間では立教は全員出場するだけの余裕があつた。

 

マーシヤルコーチもベンチで煙草をすいながらなごやかにコーチをしていた。この人はどう云う訳か左手の中指と薬指の第2節から先がなく、タバコを吸うにもその短い指にはさんで吸つていた。練習中にパスを受けたときその短い指を突き指したと云つて亀井が笑つたことがある。第2の記事にあるパントを中村がインターセプトしたとあるのは当然慶応のフォワードパスをインターセプトしたことである。

 

とにかく我々は第1戰に勝つて大変気持をよくして又タクシーで池袋の風呂屋迄帰り風呂に入つた。夜であるので銭湯は大変混んで居たが一同大変容器に風呂の中で今日の試合の話をし乍ら入浴した。グラウンドが悪いのでスリ傷をした者が多く風呂の湯がしみて悲鳴を上げる者もいた。そして風呂から上つて池袋で軽い夜食を摂つて各自家路に帰つた。翌日の新聞には前に述べたように各紙共写真入りで試合の経過をのせていた。

 

又11月1日号のアサヒスポーツは一頁全部に入場式の写真と立教慶応戰の写真をのせて大きく報道していた。その号には又米囗オリンピックチームのヘッドコーチのローソン・ロバートソン氏が「恐るべき日本のスポーツ躍進よ」と云う題名でサタデーイヴニングポスト紙の記事が出ていた。その中でフットボールについて「最近太平洋岸のアメリカ蹴球の一流選手達が招かれて日本へ行つた。6万の観衆がベーブルース一行の野球の選手に万才を浴せたが野球場の傍の明治神宮競技場でも大観衆は雨にづぶぬれになつてカリフォルニアの蹴球チームと6カ月前に誕生したばかりの日本蹴球チームとの試合をじつと見守つた。日本チームは第1回戰は71対7で敗れたが第2回戰は46対0で喰ひ止めて進歩の跡を見せた。

 

南加大学出身のアメリカチームのマネージヤーアル・マロニー選手は日本選手がゲームの特徴であるスピードを早くも捕へたのに感心したらしく次の如く述べている。チームワークを完成しゲームの真髄を呑み込んだら日本選手は直ちにどんなチームとも対戰して得点することが出来るやうになるだらう。

 

日本選手は私が今迄に見た事のないやうな熱心な選手達で、そのスピードは素晴らしい。彼らは3度バックを動かしてエンドランして一度は吉岡に20ヤードもとられた。彼らは数種のシヨートパスを完成しラトラルパスの攻撃法に上達して行く力をを示した。これは彼等の試合の特徴になるだらうと私は思ふ。日本人の様な軽い体重であんな猛烈なタックルにあつたのは初めてだ。大体オハイオ州のシステムに則り、クォーターバックが立派にゲームを進めていく能力を示している彼らは忠実に規則を守る。

 

前オハイオ選手のジョージマーシヤルが彼らをコーチしたのだ。彼らはブロッキングが大変うまくなつたので我々も長駆することがあまり出来なくなつた。第2試合の時は最長が40ヤードだつた。大阪の試合でタッチダウンするのに疲れたのと比べてえらい違ひだ。我々は日本選手の体重等考慮なく押捲つた。日本選手は一時は芝生にノビて了ふがゼンマイのように又はね返つてくる。

 

最初は見物人はどこで声援したり拍手していいか判らない様だつたが、お終ひにはアメリカの見物人の眞似をしてすつかり急所を呑み込んでしまつた。日本チームがアメリカへやつて来たら(この計画は既に進められてゐるのだが)きつとアメリカの一流チームを驚すやうになるに違ひない。」

 

と云う記事が出ていた。

 

アメリカのオールスターズが来日したのはその年の3月である。それが9月か10月のアメリカの新聞に再び書かれたと云うことはアメリカで日本のスポーツに対して大変な関心をよせている証拠であらう。然しマロニー氏も隋分日本のフットボールを持ち上げたものと思はれるが、一方又アメリカの新聞に書く位であるからマロニー氏自身日本のフットボールの将来をそのように見たのであらう。しかし残念乍らフットボール歴史40年になるがマロニー氏の予想がいまだに外れていることは残念である。

 

10月20日(日曜日)は午後7時から芝公園競技場でジョージ(主)、ファーラー(副)、マーシヤル(線)の審判の下に法政のキックオフで明治対法政の試合が挙行された。結果は次の通りであつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
明 治 0 0 0 6 6
法 政 0 0 0 0 0

 

明 治 法 政
町 田 LE 藤 田
畑(稔) LT 鈴 鹿
黒 川 LG 梅 野
花 岡 C 持 田
山 田 RG 上 野
塚 平 RT 小 泉
椙 村 RE 中 野
畑(弘) QB
畑(進) LH 宮 尾
大 前 RH 梶 谷
松 本 FB 西 原
(交代)

明治:阿部、横山、胡子(エビス)、仁井、原田、富永、伴

法政:東、三枝、藍原、中島

 

この試合は明治が多くのフォーメーションを使用してライン攻撃、ラン攻撃、トリックプレー、パス等によつて法政を攻撃したが、法政はライン、バック共よく防禦して特点をゆるさず、逆に第3クォーターには明治陣10ヤード迄進んだが、攻撃にもう一歩欠けるものがあつて成功せず、第4クォーター明治は松本から町田への20ヤードのパスに成功し法政陣5ヤードから大前がラインを割つて唯一のタッチダウンを挙げて明治が勝った。法政の梶谷は良い選手であつたが第二次大戰中、二卋であつたが日本陸軍に入隊して南方で戰死したのは実に惜しいことであつた。

 

10月26日(土)は午後7時から芝公園でマーシヤル(主)ファウラー、(副)森井、(線)加藤(時)の審判の下、法政キックオフで早稲田対法政の試合が挙行された。結果は次の通りであつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
早稲田 6 0 0 6 12
法 政 0 0 0 0 0

 

早稲田 法 政
野 村 LE 藤 間
遠 藤 LT 鈴 鹿
風 間 LG 梅 野
C 持 田
有 賀 RG 上 野
井 上 RT 小 泉
下 田 RE 中 野
野 内 QB 宮 尾
福 田 LH 西 原
永 井 RH 梶 谷
中 田 FB
交代

(早大):後藤、山下、坂倉、中山、伊勢木、兼安、森村

(法政):浜本、東、中島、山田、相原、名護、宮武、陣野、大村

 

この試合は開始早々、早稲田調子よく法政を聯続的に押し、3分タッチダウンを挙げて気勢挙つたが、その後法政はよく頑張つて逆に第4クォーターの始めは早大陣の5ヤードに迫つたが、得点出来ず、逆に13分早大福田、永井のパス成功して早大はタッチダウンを挙げてからくも勝つた試合であつた。

 

10月27日(日)の試合は雨のため29日(火)午後7時から芝公園でマーシヤル(主)、若林(副)、西原(線)の審判で明治のキックオフで明治対慶応の試合が行はれた。結果は次の通りであつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
明 治 0 13 6 13 32
慶 応 0 0 0 0 0

 

明 治 慶 応
町 田 LE 桑 原
竹 下 LT 岡 野
黒 川 LG 中 村
安 部 C 今 村
富 永 RG 白 井
RT 加 藤
原 田 RE 柳 田
畑(弘) QB 武 田
松 本 LH 竹 村
畑(進) RH 中 上
胡 子 FB 田 村
交代

(明治):山田、椙村、大前、塚平、栗崎、畑(稔)、花岡、山田

(慶応):浜田、福田、斉藤、土井、松井、稲葉、光吉

 

この試合は第1クォーターはもたついていたが、第2クォーター以後明治は調子が出てパスにランにやることなすことことごとく図に当つて慶応を一方的に押しまくつて明治は楽勝した。

 

11月9日(土)は午後7時から芝公園で慶応対法政の試合が行はれた。その結果は次の通りである。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
法 政 6 0 6 0 12
慶 応 0 0 0 0 0

 

法 政 慶 応
名 護 LE 桑 原
梅 野 LT 上 村
中 島 LG 稲 葉
持 田 C 光 吉
上 野 RG 白 井
小 泉 RT 加 藤
浜 本 RE 浜 田
西 原 QB 竹 村
宮 尾 LH 田 村
梶 谷 RH 保 木
宮 武 FB 片 岡
交代

(法政):東、山田(政)、山田(美)、原、陣野、小池、鈴鹿

(慶応):松井、土井、今村、桂

 

この試合法政は梶谷、西原の両バックがよく活躍し慶応の重量ラインを突破して慶応を破つた。慶応は重量ラインを生かし切れずなすことなく敗れた。

 

11月10日(土)は午後7時から芝公園でブース(主)、ヒーシユ(副)、梶谷(計)、西原(線)の審判により早大キックオフで早稲田対立教の試合が行はれた。その結果は次の通りである。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
早稲田 0 0 0 7 7
立 教 0 0 0 0 0

 

早稲田 立 教
野 村 LE
坂 倉 LT
風 間 LG 細 田
C 安 藤
RG
有 賀 RT 亀 井
井 上 RE
野 内 QB 太 田
福 田 LH 中 村
永 井 RH 菊 地
下 田 FB 坂 口
交代

(早大):永田、山下、後藤、中山、角田、兼安

(立教):池上、中田、服部、井上、田中、杉山、竹内

 

この日は日曜日であるので4時に池袋東京パンに集合し軽い夕食を摂つてタクシーで芝公園近くの銭湯に行きそこでユニフォームに着換えて歩いて競技場に行つた。スタンドにはバックスタンドまで一杯観客が入つていた。型の通りのウォーミングアップを終つて試合開始のホイッスルを待つた。相手の早稲田は二卋揃いでしかも体格が大きい。然し当つてくだけろと許り一同張り切つていた。

 

夜間試合の照明が淡くグラウンドを照らして、プレーヤーのエナメルで塗つたヘルメットにその光線が当りピカピカと光つていた。11月に入ると夜間は大部寒くなつて来た。皆オーバーコートをはおつてベンチに座つていた。そして夜間はグラウンドにモヤが降りて来て遠くの方はカスンでしか見えなかつた。試合の経過を翌日の朝日新聞の記事は次のように報じている。

 

「第1クォーター5分立教自陣20ヤードの右スクリメージから坂口のフォワードパス成つて坂口5人の味方に護られ快走に移らんとして惜しくも機を逸すれば早大も短いフォワードパスで応酬、その後早大オフタックルで前進ダウンを重ねたが得点なし。

第2クォーター、3分立教早大のパントをタッチバックし20ヤード中央から坂口左オフタックルに出で40ヤードを独走。続いてパントで早大をタッチバックに封じ早大の失策でゴール前数ヤードに迫つたが早大のパントで25ヤードに迫る。13分立教中村坂口の短いフォワードパスで右隅10ヤードに入つたが早大懸命に防ぐ。

第3クォーター早大パントの形を構えてエンドランに出で、或は福田ライン突撃を試みてジリジリ進んだが依然得点に至らず。

第4クォーター早大は立教ラインの弱点を見出し盛んにライン突破を敢行ダウンを聯取すること3回右隅10ヤードに迫り12分福田中央8ヤードのスクリメージから左へエンドランし右へ切れ込んでタッチダウン成り其後のスクリメージからフォワードパス決り7点を挙ぐ」

 

と云うものであつた。

 

実際前半は立教が早大を押し気味に試合を進め、しばしば早大陣深く攻め込んでもう一歩で特点と云う所まで行つたが決め手に欠けて得点出来ず、逆に最終クォーターに早大に得点され、昨年の対早大戰と同じ様な結果で敗れた。試合を終つて芝公園近くの風呂屋でユニフォームを脱ぎ風呂に入つた。風呂は相当に混んでいた。プレーヤーは試合中方々をすりむいているので風呂の湯がしみた。竹内は頬をすりむいて風呂から上つてヨーチンをつけたら裸で尻をたたきながら脱衣場を飛び跳ねていた。小さな砂利が掌にめり込んで所々小さく黒くなつて居りそれにヨーチンを塗つてから砂利を取り出すのであるが、中にはそれでもカノーする者もいた。

 

11月16日は同じ競技場で午後7時からアンケニー(主)、ハンター(副)、梶谷(計)、西原(副)の審判で明治対立教の試合が行はれた。

その結果は次の通りである。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
明 治 6 0 0 0 6
立 教 6 0 0 0 6

 

明 治 立 教
町 田 LE 中 田
畑(稔) LT
富 永 LG 細 田
阿 部 C 安 藤
黒 川 RG
塚 平 RT 鈴 江
椙 村 RE
松 本 QB 太 田
畑(進) LH 菊 地
畑(弘) RH 中 村
胡 子 FB 坂 口
交代

(明大):山田、仁井、栗崎、伴、原田、花岡、阿部、大前

(立教):井上、杉山、服部、浅賀、亀井、村松、池上

 

この日も池袋に集合しタクシーで芝公園近くの風呂屋を利用した。11月中旬の夜間はもう隋分寒く、ゲームに出ている内は良いがベンチに戻ると汗が冷えてふるえる位寒かつた。この試合の経過は翌日の新聞によると

 

「明大の繊細な攻法に対し立教は玉砕的な攻撃法を取つた。明大は20ヤードに及ぶフォワードパスとライン突撃で右隅に得点を先取したが立教もキックオフを受けて直ちに蹴り返へす意表に出る攻撃で左隅10ヤードに進み、明大のキックのミスを押へて攻撃に移り坂口の猛烈な突進で明大陣を陥れ同点となつた。

第2クォーターは明大ラインを突いて漸進したが立教も好防して譲らず両軍得点なく第3クォーターに入り小雨降り出す。明大がエンドランに出れば立教のバックフィールド鮮やかなタックルを見せて止め、立教がラインを突けば明大のライン固く、タイムアップ近く立教坂口、中村のコンビネーションでフォワードパスを2回成功させ好調に攻めたが遂に得点の機なく引分けとなる」と書いている。

 

昨年大敗した明大に何とか勝たうと色々マーシヤルコーチが考へて中村のキック力を利用してリターンキック戰法を採ることに定めたのは試合の前日であつた。そしてその日の練習でもリターンキックの練習をやり秘密兵器としていたのである。しかしリターンキックをするには明大のキックオフの時しかないのであるが、この試合のスタートは立教のキックオフで始まつた。明治は試合開始5分位でフォワードパスによつてタッチダウンをした。その後立教はレシーブをチョイスし明大のキックオフのボールを中村が自陣10ヤードで捕球し少し前進して自陣20ヤード附近からリターンキックをした。明大は全員スタートをしたその留守を突いたキックドボールは無人のグラウンドを転々として明大陣左の10ヤードの所でアウトオヴバウンズに出た。

 

そこから明大の攻撃となり、明大は2回ラインを突いたが余り前進せず、第3ダウンでパントした。そのパントを立教のラインが飛び込んでパントブロックして明大5ヤードの地点で立教がリカバーし、立教のボールになつた。立教は3回ライン攻撃をして明大陣半ヤードに押し、最後のダウンでラインは低くチャージをしてその上をボールを持つた中村がダイヴィングをして飛び込みタッチダウンをしたものである。新聞には坂口のリターンキックで坂口がダイヴィングをしたと書いてあるが、それは中村であつた。新聞記事の誤りである。

 

立教はこの得点によつて気をよくして押したが矢張り決め手に欠けて遂に引分けとなつたのである。然し昨年の明大のトリックプレーに思ふように振り廻された立教と比較すれば格段の進歩をとげ、明大も大いにあわてたことであつたであろう。試合が終つて雨の中を風呂屋に戻り、風呂に入つて疲れをとつて池袋に引返へした。途中選手の顔は皆何か満足気な所があつたが、その反面又勝利を逃した寂しさもあつた。

 

11月17日は矢張り午後7時から同競技場でハンター(主)、ファーラー(副)、加藤(計)、河辺(線)、の審判により早大のキックオフで早稲田対慶応の試合が行われた。その結果は次の通りであつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
早稲田 6 13 6 6 31
慶 応 0 0 0 0 0

 

早稲田 慶 応
野 村 LE 藤 堂
板 倉 LT 上 村
山 下 LG 福 田
横 野 C 光 吉
RG 加 藤
RT 今 村
兼 安 RE 浜 田
末 武 QB 竹 村
永 井 LH 保 木
福 田 RH 松 井
大 林 FB 片 岡
交代

(早大):島、鈴木、吉沢、中山、遠藤、風間、井上、下田、角田

(慶応):桑原、白井、田村、柳田、稲葉、土井、中上、岡野

 

この試合早稲田は慶応組し易しと見てスターティングラインナップを第2軍で編成して出場した。それには次の週に行はれる明治との決勝戰に備えて2軍に試合経験を得させようと云う気持もあつたのであろう。然し果せるかな早大はキックオフから慶応を押しまくり、慶応を寄せつけず、一方的に快勝した。第3クォーターには末武が自陣40ヤードの地点から左エンドランを行い味方のインターフェアランスに守られて一気に60ヤードを快走してタッチダウンを挙げる等全く一方的な試合であつた。

 

11月23日(土)は午後7時から松本(主)、ファーラー(副)、川辺(計)、加藤(線)の審判により立教のキックオフで立教対法政の試合が行はれた。その結果は次の通りである。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
立 教 0 6 6 0 12
法 政 0 0 6 6 12

 

立 教 法 政
中 田 LE 藤 間
池 上 LT 鈴 鹿
細 田 LG 上 野
安 藤 C 山 田
RG 山田(政)
鈴 江 RT 小 泉
RE 浜 本
井 上 QB
菊 地 LH 梅 野
中 村 RH 陣 野
坂 口 FB 西 原
交代

(立教):服部、杉山、亀井

(法政):梶谷、東、中島、宮武、中野、大村

 

この試合は立教には負傷者が多く選手層も少なかつたが、それより法政をなめてかかつたのがまずかつた。法政は西原、梶谷の健斗でよく頑張つた。全般的には立教が押していたが第4クォーターには一寸した気のゆるみから梶谷から西原へのフォワードパスが成功して同点引分けとなつた。立教は全く残念な試合であつた。

 

11月24日午後7時からジョージ(主)、ブース(副)、マーシヤル(計)、ファーラー(線)の審判により明大のキックオフでこのシーズン最後の試合の優勝決定戰明治対早稲田の試合が行はれた。その結果は次の通りである。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
明 治 6 0 6 0 12
早稲田 0 0 0 0 0

 

明 治 早稲田
町 田 LE 野 村
畑(稔) LT 遠 藤
黒 川 LG 風 間
花 岡 C 横 野
山 田 RG 有 賀
塚 平 RT 井 上
椙 村 RE 下 田
松 本 QB 野 内
畑(弘) LH 福 田
畑(進) RH 永 井
大 前 FB 川 島
交代

(明大)栗崎、富永、阿部、原田、横山、伴、半田、胡子、仁井

(早大)板倉、末武、山下

 

この試合は両チーム共これに勝てば優勝と云うので大いに張り切つて居た。また観客も両スタンド共満席と云う盛況であつた。戰況は翌日の新聞によると

 

「明大は30ヤード左中間で早大の失球を押へライン突撃で漸進フォワードパスで右隅1ヤードに迫り10分S畑左へインサイドタックルに出てタッチダウン、其後早大鮮やかなフォワードパスを生かせば明大も複雑なフォーメーションで攻め、第2クォーターでは明大は自由の女神(スタチュアオヴリヴァティー)と称へられているプレイ―フルバックはセンターのスナップバックを受けて恰も前投を試みる球を持つて後方に構へて立つた瞬間横後方から走つて来た味方がその球をさらつてエンドランに出る戰法―などを用ひ快走したが早大好防して乱れず。第3クォーターに入つて明大自陣左タッチ34ヤードからH畑右へオフタックルに出で左へカットバックして左タッチに沿つて抜け60ヤードを独走左隅にタッチダウン12-0と離す。第4クォーターに入つて早大猛然ライン突撃を繰り返しダウンを重ねたが成らず明大3勝1引分けの成績で2年聯覇なる。
なお明大第2回目のタッチダウンは主審と計時審が同音のホイッスルを誤つて用いていたため計時審のオフサイドを報ずる笛を主審のゲーム停止の笛と誤認して早大側がプレイを中止したことによつて起こつたもので、ゲームの結果は変更なきも審判団は早大側の異議を認めるところあつた」

 

と報じ、又外の新聞では

 

「双方覇権を賭けた一戰として熾烈な迫撃を演じ優勝戰に相応しい好試合を演じたが明大はラインが強く個々の走力も早大を凌ぐものがあり、復雑な戰法をよく生かし、第3クォーターでは自陣34ヤードのスクリメージをオフタックルに出でH畑が見事に早陣を突破し66ヤードといふ今シーズン初めての記録的快走に一挙エンドゾーンを陥れて快勝した。早大は第4クォーターを除いては明大の鉄壁のラインを破り得ず、第2クォーターで中央線近くから一挙に明大の20ヤードを陥れるといふファインプレーがあつたのみだつた。米蹴第2年の学生シリーズはこれで終了したが各チームの進歩には著しいものがある(横尾)」とも報じている。

 

とにかくこの試合体力的に優れている早大が明大のラインを粉砕するのではないかと、予想では早大有利であつたが、明大のラインはよく頑張つて逆に強力な早大のラインを圧し、バックをよく走らせて優勝した。もつとも審判員の間違いで早大がゲームを中止したためにH畑にロングランをされてタッチダウンをされたのは気の毒であつた。

 

これで第2回目のリーグ戰は全部終了し、優勝明治(3勝1分)、2位早稲田(3勝1負)、3位立教(1勝1負2分)、4位法政(1勝2負1分)、5位慶応(4負)と順位が決定した。慶応は無得点に終つたシーズンであつた。

 

このシーズンは昨年と違つて各チーム共異状な進歩を見せた。特に立教はマーシヤルコーチの指導では昨年と見違へる位の進歩を見せて強豪明治、早稲田と対等の試合を行つたし、又新しく加盟した法政はダークホース振りを発揮して先輩の3チームに互してゆずらなかつた。ただ慶応は体力を持つてはいたがそれを充分に発揮出来なかつたのは経験の浅さからであつた。このシーズンでも経験のある二卋を多く持つているチームは矢張り強かつた。明治は渡辺、竹下を除くと全員二卋であり、早稲田も有賀、山下、鄭、大林、中山等を除いて二卋が大半であつた。又立教は坂口、中村、太田、杉山の4名の二卋を有し、法政は梶谷、西原の優秀な二卋がいた。慶応は今村、竹村が居たが振はなかつた。

 

又観客の数も芝公園競技場と場所も良く、しかも夜間試合と云う時間も良かつた故か各試合とも相当の観客を集めて大成功であつた。然し夜間試合は11月に入ると寒さが厳しくしかももやが降りて視界が悪くなり、決して條件としては良いものではなかつた。その上照明の数が少なく暗いのが難点であつた。又グラウンドは小さな砂利がしかれている為に選手はスリ傷をしその手当てに苦労し、終には手袋を使用する者も出た程であつた。各チーム共フィーメーションも前年に比較して多岐多様になつて繁雑なプレーをよくこなし得ていた。基本フォーメーションは初めTにセットし、クォーターバックのコールサインのワン、トゥ、スリーでバックはシフトしてシングルウイングバックフォーメーションになるもので、その他のラインをタックルを一方によせてアンバランスにするフォーメーション等も多く採用していた。

又ディフェンスラインは7名が多く時には6名と云うスタンダードなものが圧倒的であつた。攻防共このフォーメーションはアメリカ本国でもその当時はこれが圧倒的に多かつたのである。そして攻撃に際してはバックはスピンやリバースを多く使つた。この頃はクォーターバックはシグナルを出すのを第1任務としてボールを持つことは少なかつた。そしてコールは殆ど「レディー、ハイク、ワン、ツー、スリー、」でシフトし次の「ハイク、ワン、ツー、スリー」でボールがスナップバックされた。勿論2度目はワンで出したり、或はツーで出す場合もあつた。このシーズンは早稲田はよく「スタチュアオブリヴァティ」(自由の女神)を使つて新しいチームを戸迷はせていたが、最終戰で逆に明治にこれをやられたのは面白い現象であつた。

 

こうして第2回のリーグ戰は盛況裡に無事終了し、11月24日の早明戰終了後は各校出場して閉会式を行つた。そして優勝校明治には朝日新聞と毎日新聞からのトロフィーが贈られる予定であつたが製作が間に合はなくて目録書が贈られ、本物は次の明治対YCAC戰終了後に渡されることになつてリーグ戰は終了した。

 

11月28日アメリカ感謝祭には本年の優勝校明治と横浜外人(YCAC)戰が午後3時15分から明治神宮外苑競技場で挙行された。その前日の朝日新聞には朝日新聞寄贈トロフィーの写真と共に次のような記事が載つていた。

 

「去る10月19日から11月24日まで芝公園競技場に展開された東京学生米式蹴球の第2回リーグ戰は明大が3勝1引分で優勝し早大3勝1敗で第2位、立教1勝2引分1敗、法政1勝1引分2敗、慶応全敗の記録を残して終了したが、本社が先に彫塑界の重鎮日名子実三氏に依頼中であつた優勝トロフィーが出来上つたので明28日午後3時から神宮競技場に行はれる感謝祭当日明大対YCACの試合に際し入場式挙行後、明大チームはスタンド前に整列し徳川家達公の手より優勝の明大チームに授与されることになつている。
尚当日の横浜外人チーム中にはリーグの役員であるオハイオ大学の選手であつた現立教大学体育主事であり同大学チームのコーチャーであるマーシヤル氏、米囗陸軍士官学校の主将であつた現米大使館員ジョージ氏等も昨シーズンの惨敗を雪辱すべく敢然参加して第1線に活躍することとなつたので、明大の巧緻な戰法に対し重量とダッシュに優れた外人団との一戰は、日本のプレーヤーの将来とるべき方向を指示する上に重大な意義あるものとして大いに期待されている」

 

と書いている。

 

この日試合開始前に明大に授与された朝日新聞のトロフィーは幅50センチ髙さ50センチ位の大きさの楯形のものでその中の銅板にはオフタックルでランナーが開けられた穴を走り抜けている図が彫刻されて居りその最上部には羽の生えたヘルメットがついていた立派なものであつた。

又同時に授与された毎日新聞杯は髙さ50センチ位で4本の銀の柱が立つて居りその上に銀のボールが乗つているこれ又見事なトロフィーであつた。然し残念乍らこの両トロフィー共戰火に逢つたのか或は紛失したのか不明であるが戰爭終了時にはなくなつていた。

 

その明大対YCACの試合の結果は次の通りであつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
明 治 0 0 0 0 0
YCAC 0 0 0 0 0

 

明 治 YCAC
町 田 LE フロッカー
畑(稔) LT クラーク
黒 川 LG モァーリィ
富 永 C クック
山田(忠) RG ジョーン
塚 平 RT スワンソン
椙 村 RE ロード
松 本 QB デヴィン
畑(弘) LH ハリス
畑(進) RH マーシヤル
大 前 FB ズーバー
交代

(明治)伴、原田、山田、栗崎

(YCAC)ジョージ、クロマティー

 

YCACは昨年の雪辱とばかりにメンバーも揃へて善戰して引分けとなつた。もつとも明治はリーグ戰直後で手を抜いてはいたがそれでもYCACは健斗した。

 

リーグ戰が終了したら法政と慶応が関西遠征を行い関西大学を相手に何れも大勝して気をよくした。法政対関大戰は12月1日で

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
法 政 18 0 19 6 43
関 大 0 0 0 0 0

 

法 政 関 大
藤 間 LE 岡 本
鈴 鹿 LT 三 浦
山田(政) LG 中 川
山 田 C 秋 本
上 野 RG 小 田
小 原 RT 榎 本
浜 本 RE 三 宅
西 原 QB 佐 伯
LH 竹 原
梅 野 RH 岩 井
梶 谷 FB 難 波
交代

(法政):大村、小池、名護、中野、宮武、陣野

 

12月15日慶応対関大戰の結果は次の通りである。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
慶 応 7 7 0 9 23
関 大 0 0 0 0 0

何れも甲子園南運動場で挙行された。関西ではまだ関大しかチームが出来ておらず試合相手もない関大であるので、東京のリーグ戰でもまれたチームとは相手が出来なかつたのが本当で法政、特にリーグ戰最下位でリーグ戰全部を無得点に終つた慶応にさえも大敗したのは当然であつた。

 

12月の新聞記事に次のような面白い記事がのつていた。

 

「出卋した芝公園、競技場新たに公認
東京市が持つてゐる市民のための各種運動競技場はどこも賑やかに利用されてゐるが、ここで優秀な記録を出しても認められなかつたところ、今度芝公園陸上競技場が先ごろ米式フットボールの晴れの試合に用ひられたのがきつかけで日本陸上競技聯盟から公認されることになり、今後同競技場で出た新記録は堂々と全囗へ公表されることになつたので市公園課では来春はもつと拡張して50メートル延長し一層立派なものに仕上げることに決定した」

 

というものである。

 

元来芝公園競技場は陸上競技場であつたが一周300メートル位の小さなもので練習場としてしか使用されていなかつたのである。それをフットボールに使用したので陸上聯盟としてはこのままにしておくとフットボール専用のグラウンドとしてとられてしまうのではないかと思つてあわてて公認をして確保を計つたものであろう。このようにして第2年目は終つたのである。

 

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