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2023.03.10

日本におけるフットボールの厂史(10) 1938秋

お知らせ

◆ 1938(昭和13年)秋シーズン ◆

 

合宿が終わると学校も二学期が始まる。それと同時に毎日石神井公園の清水組のグラウンドで午後2時から練習を繰り返へした、9月29日には東京学生米式蹴球聯盟から昭和13年度リーグ戰の日程が発表された。それによると

 

10月10日(月):入場式 早稲田対法政
10月18日(火):明治対慶応
10月20日(水):立教対法政
11月 9日(水):早稲田対立教
11月16日(水):慶応対法政。これまでが明治神宮外苑競技場。
11月19日(日):明治対立教
11月23日(水):明治対法政
11月26日(土):早稲田対慶応
12月3日(土):立教対慶応
12月11日(日):早稲田対明治で後半の試合場は後楽園野球場と決まつた。

 

又東西対決は1月元旦に神宮外苑競技場か後楽園のどちらかにすることが発表された。前半の明治神宮外苑競技場の使用はウィークデイであるが、こらは当時東京には正式の競技場はこれ一つしかなく、ラグビー、サッカー、ホッケー、陸上競技と種々の団体が少ない土曜・日曜日を使用するので新興の団体のフットボールには使用されないウィークデイより他に使うことが出来なかつたのである。

 

後半の後楽園はプロ野球のシーズンが終わつた後にしか使用出来ないので11月の後半からと云うことになるのである。然し昨年からではあるが後楽園野球場を使用することは画期的な行為であり、他のスポーツ団体が予期もしなかつたことで、相当な効果を挙げたのである。只フィールドの中央にピッチャーマウンドが小髙く盛り上がつていて其所に来ると足がつかえて、つまづくような事はあつたが、その他については申し分のないグラウンドであつた。

 

リーグ戰開幕の前日には例に依つて朝日新聞に加納氏の展望が各チームの主将の写真と四つの攻撃フォーメーションの図解入で大きくのせられて居りそのフォーメーションの説明が永々と書かれて居た。

 

「東京学生米式蹴球聯盟の今期リーグ戰は10月10日の早法戰で開幕の運びとなつたが、この聯盟は創立以来シーズン制の確立統制を提唱し、練習はシーズンオフの春季に1ヶ月間、秋季シーズンは9月1日以降と限定して、その後12月中旬迄にリーグ戰を行つている。これは学生の本分を守る為にシーズンを厳格に統制したもので、ルーズになりがちの我国スポーツ界に好個の指針を与へている」という見出しで、引続き

 

「今年度の各大学チームの戰法展望すると、まず昨年の覇者早大は左或いは右の一方にバックメンを集中し、ラインもセンターを中心に一方へ人員を多く寄せる戰法を得意としているが今シーズンは早大を初め立、慶、法も殆どこのラインを一歩に片寄せるアンバランスドラインを採用している。早大と覇を爭うであろうと思われる明大も今シーズンはこのアンバランスドラインを併用しているが・・・」

 

と以降、左オフタックルの図解の説明をし

 

「明大は正確な送球者坂本君をセンターに持ちバックスには藤家、安田、浜崎君等の技術的なそして突進力豊かなプレイヤーを有しているので、ダブルウイングバックの戰法によつて絢爛たるプレーを展開するだろう。・・・」

 

とダブルウイングバックのフルバックスピンプレーを解説して居り、続いてフォワードパスを図解により説明し

 

「早大の福田、内藤対野村、福島君等のコンビネーション、明大の藤家、浜崎対町田、当山、保田君等の聯絡には30ヤードを越すフォワードパスが間断なく碧空を切つて投げられるものと予想される。

その他慶応にはパッサーとして藤堂、遠見君があり、捕球者としてバックに田村、桑原、エンドに緒方、山片君等がいる。

 

法政にはパッサーに中上、小野君、捕球者として六井、中田君のエンドがあり、立教にはパッサーに坂口、島居、捕球者には山田、上田君等のエンドが居るが、以上慶法立のチームは早明の如く長距離のフォワードパスよりも短距離のパスに巧緻さをみせるだろう。又立教のフルバック坂口君のキックは正確であり、そのタックルの凄烈勇壮なことはリーグ随一であつて、同君2年振りのカムバックは、他チームの一大脅威であると云えよう」

 

と予想を書いている。

 

確かに立教の坂口君のカムバックは他チームとしては大変恐れられた。一時のような馬力は無くなつてはいたが、それでも彼のタックルは骨身にこたえるようなはげしさがあつた。

 

さて昭和13年度のシーズン入りは、10月10日午後3時から明治神宮外苑競技場で挙行されたが、この試合に先立つて東京学生米式蹴球聯盟の参加校5大学は各校旗を先頭に入場式を行い会長浅野良三氏、理事長ポール・ラッシュ氏の挨拶があつて、引き続き早法戰が開始された。審判はファーラー(主)、ラズベリー(副)、坂口(線)、保田(計)、の4人であつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
早稲田 6 7 0 6 19
法 政 0 0 0 0 0
早稲田 法 政
野 村 LE 谷田貝
中 橋 LT 小 林
北 村 LG 深 江
中 山 C 笹 沼
藤 岡 RG
島 村 RT 西 川
福 島 RE 河 原
野 口 QB 中 上
西 岡 LH 六 井
岡 本 RH 小 野
内 藤 FB
交代

(早稲田):福田、山田、笹井、松田、神宮、崔、張、尾根、宮本、野呂、渡辺

(法政):竹中、中野、佐々木

この試合は劣勢の法政が良く健闘して早稲田を押さえたが、交代人員も少なく早稲田のラインに負けたようなものであつた。

 

第2試合は10月18日午後3時から明治神宮外苑競技場でラズベリー(主)、ファーラー(副)、梶谷(線)、内藤(計)の審判の下に明治対慶応戰が明治のキックオフで開始された。この日の朝日新聞スポーツ欄には例によつて加納氏が長文の予想記事を書いて居た。試合の結果は

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
明 治 0 13 7 7 27
慶 応 0 0 0 0 0
明 治 慶 応
町 田 LE 緒 方
渡 辺 LT 福 田
黒 川 LG 油 士
坂 本 C 光 吉
花 岡 RG 根 本
大 浜 RT 浮 土
当 山 RE 山 片
保 田 QB 桑 原
吉 本 LH 藤 堂
浜 崎 RH 遠 見
藤 家 FB 田 村
交代

(明治):福島、北村、江隅、福永、井上、和田、布田、中村、一見、木村、広川

(慶応):吉田、富田、平田、降矢、田沢、竹村、渡辺、吉田

この試合は慶応は明大のパス攻撃に弱点をバクロして負けた。

 

立教対法政の試合は10月26日午後3時から明治神宮外苑競技場で坂本(主)、福田(副)、保田(線)、藤堂(計)の審判で挙行された。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
法 政 6 6 0 0 12
立 教 0 0 0 0 0
法 政 立 教
谷田貝 LE 上 田
小 林 LT 鈴 江
深 江 LG 池 上
笹 沼 C 服 部
RG
西 川 RT 小 黒
河 原 RE
中 上 QB 鈴 木
小 野 LH 山 田
中 田 RH 栗 林
六 井 FB 細 田
交代

(法政):中里、佐々木

(立教):島、坂口、金子

この試合は立教としては最初の試合でしかも山田、栗林と比較的新しいバックを入れたこともあり、全体的にコンビネーションが悪く更にセンターのスナップバックのコントロールが悪くバックとのタイミングが合わず惨敗した。

 

この頃の読売新聞のスポーツ欄に「米蹴球界に初の邦人シ大の田代君」と云う見出しでシンシナティー発の記事が次の様に掲載された。

 

「野球に代わつて秋の全米シーズンを賑はす大学蹴球界に一際めだつて活躍する日本人がある。これはこの秋からシンシナティ大学チームのハーフバックとなつた田代清君で168封度のウェートある巨躯をもち、特にパスを受けてのエンドランを得意とし同大学活躍の中心を承つてゐる、日本人として米国蹴球選手となつたのは同君をもつて最初とするが、同君はアメリカ生れで父君四郎氏は同大学の生物化学教授として令名がある。

 

米国では今春水上界に躍り出た広瀬、仲間の両選手があり、これ等の二卋があつぱれ米囗スポーツ界の中心に活躍し来たつたことは注目に値ひする」

 

と云うものであつた。

 

日本人及びその二卋の大学フットボール選手は前にも何人かは居たと思われるが、然し非常に数が少なく珍しいことである。それで日本人として最初と見たのかも知れないが太平洋岸にはまだ居たはずである。この記事の中でパスを受けてエンドランが得意とあるが、これは記事の間違いか或いはパスはフォワードパスではなくセンターからのスナップバックパスのことではなかろうか。然し何れにしても、フットボールの記事が多く出るようになつて来た。

 

立教対早稲田の試合は11月9日明治神宮外苑競技場で挙行された。例によつて朝日新聞には加納氏の予想が大きく出た。

「早大多彩の攻撃、立教後陣に威力を蔵す」と云う見出しで次の様に書いている。

 

「二聯覇を狙う早大と、リーグ随一のタックラー坂口君のカムバックで光彩を加えた立教との米式蹴球戰は9日午後3時から神宮競技場で挙行される。早大はリーグ第1戰に法政を3タッチダウンで降ろし持ち前の豪放なプレイを発揮したが、この試合では練習さえしつかりやつてゐたならば犯すこともなかつたらうと思われる反則でチャンスを失ふことしばしばであつた。併し乍らこの対立教戰迄には3週間余を経てゐるので、此等の点は悉く改良されてゐることと思われる。早大が得意とする戰法は強靭なラインを利用して凡ゆる角度にライン突破を企てることであるが、見た目に最も鮮やかな印象を与へる長距離のフォワードパスも早大流の豪胆さで、しばしば30ヤードを超える長投を放つパッサーとしては福田、野口君あり、捕球者としてはエンドの野村、福島、笹井君等があり、フォワードパス完成後ラグビーのパスの如きラトラルパスに移して攻撃を続行して行く巧みさも亦今シーズン早大チームの得意とする奥の手の一つだ。

 

これに対して立教には如何なる武器があるであらうか。立教はバックメンに鈴木、細田、島君の勇敢なライン強襲者を持つてゐる。これ等のバックメンは走力もありタイミングも良く他のチームに少しも劣るところがないのだが、去る対法政戰ではこれを守つて敵の第2戰の防禦、つまりライン突破後に来る敵のバックメンを防禦する為に球を運ぶ者に先行してラインを抜け敵の第2防陣をつぶさなければならぬ援護走者のタイミングが悪かつた。それで折角ボールキャリアーが快走出来るチャンスもこの援護走者が先を塞いでゐるので味方同士の追突が起るなど不手際を生じてゐた。

 

又折角数回ダウンを更新してゴール線へ10ヤード程の所へ迫り乍ら暗号の聴き違いからセンターがバックメンの出て来ぬ所へスナップバックして対手に球を取られたりしてたけれども、此等の欠陥は対法政戰の経験で充分補強改良されてゐることであろうから、この対早大戰ではアメリカンフットボールによつて初めてみられる全員の協同動作、球が競技に移されるや否や一斉に各プレイヤーが各自分担の攻撃体型に展開する協同動作の美しさを遺憾なく示すことだろう。

 

何はさて、立教の立場としては勝敗に捉はれず玉砕的に打突かつて行けるだけ思ひ切つたプレイが出来る訳であるから好天でさえあれば素晴らしいオープンゲームが展開されよう」

 

と云うもので、前人気をあおる書き方であつた。

 

早稲田対立教の試合は11月9日午後3時から明治神宮外苑競技場で山田(主)、浜崎(副)、名護(線)、福田(計)の審判で挙行された。結果は

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
早稲田 6 13 14 0 33
立 教 0 0 6 0 6
早稲田 立 教
野 村 LE 立 川
中 楯 LT 鈴 江
北 村 LG 池 上
中 山 C 服 部
藤 岡 RG
島 村 RT 小 黒
福 島 RE
野 口 QB 鈴 木
西 岡 LH
国 本 RH 栗 林
内 藤 FB 細 田
交代

(早稲田):張、崔、屋根田、梶、野呂、渡辺、笹井、山田、梅田、神宮、宮本

(立教):金子、広沢、小池、山田、鄭、坂口、竹内、永井、松田

この試合ラインに圧倒的強味を持つ早大は、立教ラインを押しまくり優勢に試合を進め、立教のフォワードパスをインターセプトして3回タッチダウンする等一方的であつたが、立教も第3クォーターには鈴木から岸への20ヤードのフォワードパスに成功し、早大陣に迫り島の中央突破でタッチダウンを挙げ一矢をむくいた。早大の重量ラインは交代者も多く入れ代わり立代りして戰力を温存して常に平均的な力量を保つたが立教のラインは軽量の上に交代も少なく疲労し惨敗した。

 

11月13日の日曜日には明治が横浜根岸のYCACでYCACと試合を行つた。

明治 6- 0 YCAC

 

11月16日には慶応対法政戰が挙行されたが、又例によつて朝日新聞には加納氏の長文の予想記事が出た。

 

「突撃戰の展開慶法米式蹴球予想」と云う見出しで

 

「慶応が余り技巧を弄せずにバックの走力に依つて前進を計るのに対して法政は慶応に劣らぬバックの突進力に加えてアメリカンフットボールの大きな魅力の一つである複雑なダブルリバースと呼ばれる戰法を鮮やかに使ひこなして一挙に20ヤードもの大幅な前進を行ふ。この複雑な交錯したパスが3秒間程の間に行はれるので、見事に行はれた時は見物席から注意してゐても果たして最後に誰が球を持つて走つたのやら眩惑されてしまふ程である。

 

慶応は何れかといふと、この種、法政が行ふやうなプレイは得意とせず田村、藤堂両君の優秀な走力によつて複雑なプレイを避け早明に比適する強力なラインメンの開けた突撃路を直進したり、或は大きく左右を迂回するエンドランを得意としてゐる。両軍共にバックメンには異なつた特徴があり、従つて法政も全く別な動きを見せるが、まず同等の力量とみることが出来るだろう。

 

併し乍らラインに重量もあり試合経験の深い慶応にやや勝味があると思はれる。そこで法政の戰法としては慶応のラインメンを如何に捌くかと云ふことがゲームを左右する重大なポイントとなる訳であるが、バックメンがラインの突撃を縦として、主力をオープンの走力戰、つまり法政が最も得意とするエンドランに注いだならば慶応作戰の裏をかいて予想外の結果を挙げることが出来るのではないかと思われる。いずれにしろいま上昇の意気軒昂たる両軍の顔合わせは猛烈極りないと突撃戰の応酬に火花を散らすことであろう」

 

と云ふ内容的には一寸解せない点はあるが、例に従つて前景気をあおる様な文章であつた。そして初めて加納氏は「米蹴」という言葉を使つていた。

 

この慶応対法政戰は11月16日午後3時から明治神宮外苑競技場で福田(主)、坂口(副)、ファウラー(線)、野村(計)の審判の下に慶応のキックオフで挙行された、その結果は次の通りであつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
慶 応 14 6 7 6 33
法 政 6 7 0 0 13
慶 応 法 政
富 田 LE 谷田貝
福 田 LT 小 林
平 田 LG 深 江
吉 田 C 笹 沼
根 本 RG
浄 土 RT 西 川
山 片 RE 河 原
田 沢 QB 中 上
藤 堂 LH 藤 田
竹 村 RH 中 田
田 村 FB 六 井
交代

(慶応):桑原、光吉、遠見、緒方、松尾、渡辺、谷藤

(法政):畑、竹中、小野、山田、佐々木、南

この試合は強力なラインを持つ慶応がオフタックル、エンドランのランニングプレイを駆使し、法政はフォワードパスで対抗したが、後半法政は重量のある慶応のラインに押されラインが疲労し敗退した。

 

11月19日からは試合場が明治神宮外苑競技場から後楽園野球場に移され、しかも土曜、日曜と云う有利な条件の下で行はれた。神宮外苑の場合はグラウンドが一杯で土曜、日曜の使用ができずウィークデイで試合を行つた為、観集も少なく試合にも気が乗らないようであつた。後楽園の第1戰は明治対立教戰から始り、しかも日本で初めてのラジオによる試合中継放送が行はれた。

 

その当時であるから民間放送は無く現在のNHK、すなはち当時のJOAKがスタンドにマイクを置いて中継したのである。この明立戰とリーグ最終戰の早明戰の二試合を中継放送した。何れにせよ今迄は全々中継されたことがなく、本当に日本で初めてのラジオによる中継放送であり、他の競技でも野球、陸上、水泳、角力、ラグビーを除いては放送されたことはなかつたと思う。フットボールとしても最も記念すべき日で、フットボールが今後日本で大いに飛躍すべき基礎ともなる日と云うことも出来るであろう。

 

この明立戰の日は11月19日で、この日の朝日新聞には例によつて次の様な予想記事が加納氏の執筆で掲載された。

 

「明の突進防ぐ立、興味集るOB対外人戰」と云う見出しで

「五大学米式蹴球リーグ戰も、いよいよ後半戰に入つて19日には明大対立大の試合が後楽園で行われるが続いて20日の日曜日には午後1時から横浜外人クラブ対東京オールドボーイズクラブの試合が学生リーグ戰とは別個に挙行される。

 

明大対立大:このゲームでは明大の旺盛な攻撃力が観衆の目を奪うであろうが、一方立大は短躯乍らスタートダッシュのよい島、細田、鈴木君等の精悍なライン突撃、坂口君の巧妙なフォワードパスで応酬しようが、ラインメンが攻撃にあたつて明大ラインメンの侵入を如何に防圧するかが立大の得点機を左右する重大の分岐点として興味をもつて見られる。

 

外人対OB横浜:外人チームは昭和8年(これは9年の誤りである)学生聯盟の創立と同時にチームを組織して日本に於ける第一回の公開ゲームをその年の11月29日神宮競技場で学生聯合軍との間に行つた先駆者である。メムバーは巨漢揃いで、ラインは平均19貫半、この内北海道で成長し中学時代スキー選手をやり、早大に来てからはハンマー投げ、レスリングもやつてゐた万能選手のボロビョフ君がタックルに頑張つてゐる。

 

バックではロス主将以下聖林のハイスクールで鳴らしたハムシャー君、最近来朝したばかりのラズベリー君。ラグビーでは全関東OB対全在住外人戰にハーフとして出場したハリス君等優秀なプレイヤーを第一線に揃えてゐる。戰法としてはラインの重量を利してライン突撃を最も得意としてゐるが、6尺豊かなラズベリー君等前へ倒れただけで優に2ヤードは前進すると云ふ重宝さだ。特色ある戰法としてはシャベルパスと云はれているフォワードパスを行ふ。

 

東京オールドボーイズ軍の顔ぶれからすると、前5大学リーグのそうそうたるプレイヤーを網羅してゐるが、ラグビーOB界からも有名なプレイヤーが参加してゐる。OB軍はすでに1ヵ月余に亘る夜間練習を芝公園で行ひ、コンディションは正に好調の絶頂にある。OB軍に云わせると、外人は重量があつて多少やり難いが、日本人と違つて下半身に粘りがないから低く体当たりすれば対手の重量を逆に利用して倒すことが出来ると非常な張り切りかたであつた。全然毛色の変わつた準国際的なこのゲーム、果たしていずれに軍配が上がるか全く待遠しいゲームの一つである」

 

と云う物であつた。

 

明大対立教の試合は11月19日午後3時から後楽園野球場で川島(主)、内藤(副)、藤堂(線)、福田(計)の審判で立教のキックオフで試合が挙行された。結果は次の通りであつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
明 治 2 0 12 0 14
立 教 0 0 0 0 0
明 治 立 教
町 田 LE 上 田
髙 本 LT 鈴 江
北 村 LG
坂 本 C
花 岡 RG
渡 辺 RT 小 黒
富 山 RE 池 上
広 川 QB 鈴 木
浜 崎 LH 細 田
吉 本 RH 栗 林
井 上 FB 山 田
交代

(明治):黒川、和田、伴、江隅、保田

(立教):永井、坂口、松田、服部、小池、広沢

この試合、立教は第1クォーター自陣30ヤードからのパントをブロックされ、そのボールがエンドゾーンから外に出てセイフティーを取られたが、第2クォーターでは鈴木から上田への30ヤードのロングパスが成功し明治ゴールライン前2ヤードまで迫つたが、後援続かずタッチダウンを挙げることが出来なかつた。

 

第3クォーターでは明治の駿足ランナーの吉本に60ヤードのロングランをされて初めてのタッチダウンを許し、続いて自陣5ヤードのスクリメージのボールをハンブルしエンドゾーン内で明治のタックル渡辺に押さえられて決定的なタッチダウンを取られて惜敗した。

第4クォーターは駿足の吉本をよくマークして走らせないで終了したが、強力なラインと駿足の明治バックの和田、吉本を押さえて善戰したのであつた。

 

翌11月20日、日曜日は同後楽園野球場で東京学生OBと横浜外人倶楽部(YCAC)の試合が午後1時30分からファウラー(主)、福田(副)、坂本(線)、桑原(計)の審判の下に挙行された。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
YCAC 0 0 6 0 6
東京OB 0 0 0 0 0
YCAC 東京OB
ホルトン LE 千 輪
ウォーデン LT 三 輪
ヒンメン LG 網 蔵
チャイルド C 唐 木
クック RG 名 護
ボロヴィヨフ RT 井 上
Hソルター RE 佐 伯
ラズベリー QB 松 本
ロス LH
ハリス RH 笠 原
ハムシャー FB 大 林
交代

(YCAC):A.ソルター、スミス、ボーイ、ヴォイヴォーデン

(東京OB):亀井(立教)、仁井(明治)、米須(明治)、大村(法政)、川島(早稲田)、平林、奈古、梶谷(法政)

YCACも東京OBも色々の人間が集つて居て面白いチームであつた。ボロヴィヨフは日本生れのロシア人で体格は非常に大きく、北海道生れで野球の巨人軍に居たスタルヒン投手の後輩の旭川中学を卒業した。旭川中学当時はスキーの選手をやり、早稲田に入学してからは陸上のハンマー投、レスリング等の選手をしたスポーツマンでYCACに参加していたのである。

 

又ハリスはYCACの主要なメンバーで体格は小さいがガッチリとして居り、日本生れの為に日本語はベラベラで、YCACでラグビー、ホッケー、レスリング等何にでも顔を出して居た。第二次卋界大戰頃からJOAKに入り対米放送をやつたり、又終戰後もしばらくNHKに居て音楽番組を担当したこともある人で、ライスボウルの前の日刊スポーツの座談会に出席してもらつたこともある。

 

又ロスはYCACの古い選手で第一回東西対抗にも出場している。一方東京OBにはラグビーOBの明治の笠原、立教の網倉等も参加した。試合の結果はYCACが体力に物を云わせてOB軍を押し第3クォーターにロスからハムシャーへのパスが成功してタッチダウンを挙げて快勝した。

 

後楽園にグラウンドを移してから土曜、日曜と有利な条件もととのつた為か観集の入りも良く、両日共三塁側スタンドはほぼ一杯になる位の入りがあつた。毎回3千人位の観衆を集めることが出来た。一般にもそれだけフットボールへの関心が髙まつて来たのである。

 

これは昭和9年11月日本にフットボールが移入されてから以来、公式戰の場合には必ず試合場には日本医科大学の整形外科の医師が臨席して居て、怪我人が出るとその処置に当たつていた。そしてその医師の判断で急を要する場合には救急車を呼んで日本医科大学に運んだ。後楽園の野球場の中にも時には白い救急車がサイレンを鳴らして入つてきて観衆を驚かすこともあつた。

 

又練習等で怪我をした場合でも日本医科大学に行つて治療してもらつていた。病院の整形外科かと云う所は色々の患者が来て居り、特に子供が多く、股間接脱臼等の患者と一緒にマッサージを受けたものである。日本医科大学の整形外科部長の斉藤博士は当時日本におけるスポーツ医学の大家で体育協会の医事部長もやつて居たので日本医大に行く者は単にフットボールだけでなく、水泳や体操、ラグビー、サッカー等あらゆるスポーツのプレイヤーが治療に通つて居た。

 

斉藤博士の弟子で桜井医師が吾々の担当であつたので、試合の場合には、大抵、桜井医師がグラウンドに来て居た。そして処置料は無料であつた。これはスポーツ医学の研究材料となつていたのである。その代わり治療は仲々手洗いもので、足の捻挫などはバンソウコー1枚で治すと云うようなものであつたが、怪我の多いフットボールとしては大変助かつたのである。

 

11月5日には明治が関西遠征をして関大と甲子園南運動場で試合をした。

明治32-0関大

 

11月27日の日曜日には早慶戰と明法戰の2試合が行われた。例によつて朝日新聞の加納氏の予想記事は次の通りである。

 

「早慶より力量勝る。明法戰と併せて玩味、あす米式蹴球部」と云う見出しで

 

「アメリカンフットボールの早慶戰は27日午後2時半から後楽園球場で挙行されるが、早大は残る明大をも一蹴して2年聯覇の意気に燃え、この対慶大戰にもいささかの油断もなく陣容を整備して居る。慶応も亦今季は期待に反かぬ躍進を続け明大には敗れたが、前衛の堅実味とバックの優秀な走力は早大といへども警戒の目を離せぬところだ。

 

早大はこの対慶大戰にも大まかなプレイを行ふことであらうが、早大が一挙に30数ヤードにも及ぶ前投を狙ひ、又ラインの片翼を援護に前駆させるエンドランを敢行するかと云うと、早大はその堅固さにおいて5大学随一の前衛を持つてゐるので、4ダウンの内、初めの一回の攻撃でラインを突き、5ヤードの前進を得たとすると、その後の3回の攻撃でラインをつけば1回に1ヤード弱の僅かな前身でダウンを改め続いて新しい攻撃権が得られる。

 

そこで1回のライン突撃で或る程度の前進を得ると早大は俄然長投、長駆を狙つて大胆なしかも非常にアメリカンフットボール特有の魅力を持つプレイを行ひ出す。これは何時でもラインをつけば予定の前進は可能だからと云ふより所をもつ早大にして初めて十分威力を発揮し得る所だ。

 

慶大は早大と異なりラインは5大学中早大に次ぐ強さを持ち、バックの藤堂、田村両君の走力も100メートル11秒台の実力は持つてゐるが、まだフットボーラーとしての走法が完璧の域までまだ達してゐないので、十分自己の走力を生かす道を掴み出してゐない恨みがあるが、これを熟知する慶大チームは自ら早大チームと異なつた行き方を持ち、ライン突破に当つては片翼強化を行つて突撃路の完全切開を行ひ、確実な数ヤードの前進を反復していく。

 

前衛翼の迂回突進には後塵で技巧を弄せず対手の前衛の防禦力が真正面に向けられて味方の前衛と交錯してゐる間にこの危険地帯を突破して行こうと云う即戰即決戰法を採つてゐる。

 

両チームの力量を比較すると早大に6分の強みを認めぬ訳にはいかないが、何れの競技にしろ早慶の名の下に行はれる試合はまた独得の意義、雰囲気をかもし出し、意外の番狂はせを演じないとも知れない。殊に今期の慶大チームは従来と異なり唯漫然と早大には勝味なしと自ら云うのでなく、慶大として早大の攻撃中警戒してゐるのはフルバック内藤君の好走と福田、野村の聯絡で行はれる長巨離の前投のみだ、と云つてゐるからその意気の程も察せられ、或いは思わぬ番狂わせを実現さすかも知れぬ。

 

尚早慶戰に先立つて零時半から明大対法大の試合が行はれるが、この試合で恐らく早大と優勝戰に顔を合わすこととなるのではないかと思はれる明大の巧緻な戰法を見、続いて早大のプレイをも併せて観戰出来ると云うことは、両チームを比較研究する上に絶好のチャンスと云うことが出来よう」

 

と云うものであつた。

 

11月27日午後零時半から後楽園野球場で坂口(主)、島(副)、小里(線)、細田(計)の審判で明治対法政の試合が行はれた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
明 治 28 20 19 7 74
法 政 0 0 0 0 0
明 治 法 政
町 田 LE 谷田貝
髙 本 LT 小 川
黒 川 LG 深 江
坂 本 C 笹 沼
花 岡 RG
渡 辺 RT 西 川
富 山 RE 河 原
保 田 QB 中 上
和 田 LH 中 田
吉 本 RH 藤 田
大 熊 FB 六 井
交代

(明治):北村、浜崎、井上、布田、一見、江隅、松平、松本、原山、福永

(法政):小野、南、畑、竹中、大塚、山田

この日は早慶戰もあるのでスタンドは満員の観衆で一杯になつたが、試合の方は明治の一方的な試合で法政は成す術もなく大敗を喫してしまつた。

 

早稲田対慶応の試合は引続き午後2時40分から坂本(主)、坂口(副)、保田(線)、島(計)の審判で行はれた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
早稲田 7 13 13 0 33
慶 応 0 0 7 0 7
早稲田 慶 応
野 村 LE 富 田
島 村 LT 福 田
宮 本 LG 渡 辺
中 山 C 光 吉
藤 岡 RG 根 本
中 楯 RT 浄 土
福 島 RE 山 片
野 口 QB 桑 原
西 岡 LH 藤 堂
梅 田 RH 竹 村
内 藤 FB 田 村
交代

(早稲田):梶、張、笹井、崔、神宮、野呂、山田、北村、屋根田、土井

(慶応):田沢、谷藤、吉田、福田

この試合は慶応は大いに健闘し、このシーズン早稲田が対手に許したタッチダウンは立教に次いで二度目のものであつた。翌日の朝日新聞には加納氏が「慶大近来の快闘、早大に玉砕」と云う見出しで戰評をのせているが“慶大近来の健闘”とは愉快である。

 

この数日前十一月二十四日のアメリカ感謝祭の日に横浜根岸のYCACのグラウンドで立教対YCACの試合が行はれた。結果は次の通りである。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
YCAC 13 0 6 7 26
立 教 0 6 0 0 6

十二月五日の各新聞の朝刊のスポーツ欄の一隅に次のような記事が小さく出ていた。その内朝日新聞のを記して見ると次のようなものであつた。

 

「米式蹴球の安藤君」と黒の縦線が引かれた見出しで

「立教大学アメリカンフットボール部の昨年度の主将であつた安藤眉男君は黄疸のため帝大病院に入院加療中のところ、四日午前十一時死去した。同君は昨春米国へ遠征した代表軍のセンターに選ばれ、又今春は東西対抗戰に関東代表軍のガードに選ばれた名手であつた。葬儀は六日午後一時より佛式により行はれるが告別式は同日一時半から二時迄、淀橋区下落合四ノ一六六七の自宅で営まれる」

と云う記事であつた。

 

即ち立教の前主将の安藤眉男氏が黄疸の為に死亡したのである。同氏はその年の春卒業と同時に日立製作所に就職勤務していたのであるが十一月初旬より黄疸にかかり帝大病院に入院中であつたのであるが薬石効なく死亡したのである。同氏は現役時代にも一度黄疸を患つた事があるが、それの再発と云えないこともないであろう。黄疸は回を重ねる程重くなるものだそうである。

 

安藤氏の死亡の通知が吾々の処に入つて来たのは、四日の夕刻の練習の終了後であつた。丁度12月3日に行はれる予定であつた立教対慶応の試合がグラウンドの都合で出来なくなり後楽園で行うとすれば12月中旬になつてしまうのでそうなると色々都合が悪くなるので12月6日に慶応の日吉のグラウンドで行うことになり、この試合には是否勝たなければならないと猛練習をしている最中であつた。そしてその試合を明後日にひかえた4日夕刻に安藤氏の訃報が入つて来たのである。それで直ちに幹部は練習の帰りに安藤家に行きおくやみを申し上げ、翌5日には平常通り練習を行つて、その帰り一同揃つてお通夜に参加した。翌日の葬儀の日は対慶応戰があるので葬儀には参加出来ないので、部員全員がお通夜に参加したのである。翌12月6日の立教チームは安藤先輩の葬儀には参加できないので全員ユニフォームの胸に黒色のリボンの喪章を着けて日吉の慶応のグラウンドに臨んだのである。

 

12月6日立教対慶応戰は午後2時から日吉の慶応のグラウンドで主審松本、副審六井、線審伴、計審楠木の審判の下に挙行された。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
慶 応 7 12 6 7 32
立 教 0 0 0 0 0
慶 応 立 教
緒 方 LE 上 田
福 田 LT 鈴 江
谷 藤 LG 池 上
吉田(辰) C 服 部
吉田(明) RG
浄 土 RT 小 黒
山 片 RE
田 沢 QB 鈴 木
竹 村 LH
藤 堂 RH 山 田
田 村 FB 栗 林
交代

(慶応):光吉、桑原、渡辺、遠見、松尾、富田、平田

(立教):小池、細田、永井、松田、金子

立教は初めて慶応に大敗してしまつた、安藤先輩には誠に申し訳がない結果に終つたが、選手全員は大変に疲労して居て元気がなかつた。

 

十二月十日の読売新聞のスポーツ欄には例によつて宇野氏の筆になる早稲田対明治の試合の予想記事が掲載された。

 

「ラインに強味持つ、早の聯覇濃厚、明大との米蹴王座爭ひ」と云う見出しで

「東京学生米式蹴球リーグ戰は愈よ十一日後楽園で行はれる早明戰をもつて全部終了するがこの一戰は今秋の聯覇爭ひでもあり興味も頗る多い、早大が優勝すれば二年聯続で明治とタイとなるが今秋はその可能性が多い。

 

まづ早大の強味のうちで第一にあげられるのは強化されたラインである。

平均一八貫を超える重量ラインは十七貫前後の明治よりも優勢であり、殊に島村、中楯の両タックルは一頭他を抜いている。かうしてラインに一日の長を持つ早大としてはライン突破に次ぐライン突破を繰り返して明治のラインを疲労させるのは当然の作戰であり、これに対して明治がどう出るかは観物だ。

 

軽量の明治が眞つ向からラインを爭ふことの損なことは分り切つてゐるから恐らく極力早大のライン突破を警戒して保田、和田、浜崎、および町田、当山等のフォワード・パスで逃げを打つものと思われる。また吉本のエンドランや大前の中央突破も早大がマークする強味であり、また明治の弱点とされるラインも今迄負傷で欠場してゐた福島、石橋、大浜が加はると一段と強化されるから早大も案外手古摺るかも分からない。さうなるとバックの攻撃に主力を置く明治に有利となるが早大にはライン以外に福田、野口のロングパス、野村、福島、内藤のキャッチングも鮮やかで殊に内藤のオフタックルおよびオフガードのライン突破は明治にとつて脅威的である。

 

かく見ると両軍のバックは殆ど相似た技と突進力をもつてをり、従つて力量も匹敵しているので結局勝敗の分岐点はラインの強弱にあるといふことになる。明治のラインが杞憂を一掃する頑張りを見せればライン突破を主戰武器とする早大の戰法も蹉跌を来すことになつて勝敗的な興味は依然髙潮に達するが、若し逆の場合-つまり早大のラインが猛威を揮ふとすれば明治のラインは防戰に疲れ果ててブロッキングが出来なくなるから優秀なバックの攻撃を生かすことが不能となつて得点的にも可成り開く率が多い。そのほか昨年のごとく早大は多分この試合にとつて置きのトリックプレーを行ふと思はれるから順調なれば早大の聯勝に終るのではなかろうか。

 

両軍のフォーメーションがアンバランスとシングルウイングの同じものだけにやり難くそれだけに興味も多いわけである」

 

と云う長文をのせている。

 

又同日付の朝日新聞には加納氏が長文の予想を次のように書いている。

「聯覇目指す早大、雪辱期す明大、力と業の正面衝突」と云う見出しで

 

「五大学アメリカンフットボールの爭覇戰明大対早大の試合は11日午後二時半から後楽園球場で行はれる。

 

明大はこのところ二ヶ年早大に聯続敗れてゐるので今シーズンこそ覇権を早大の手から奪還しなくてはと、対早大戰に備へて合宿練習を行ひ熾烈な斗志の涵養に努めてゐる。

昨年も一昨年も明大は実に鮮やかな聯絡をもつて各種の複雑なプレイを行ふバックメンを持つてゐたが、前衛陣は強力な早大の前衛に試合が進むにつれて蹂りんされバックに複雑な戰法を運用する時間を与へることが出来ず策戰に粗相を来たして後半力の早大に乗り切られてしまつた。

 

今シーズンもこの状態には相違なく力の早大、業の明大が覇権を賭けてシーズン最後の熱戰を展開することになつたのだつたが、ラグビーの早明が丁度これと反対で力の明大、業の早大の間に爭覇戰が行はれたのも甚だ面白い対照である。

 

早大は西岡、内藤、野口の諸君が強力な前衛に護られて一歩一歩力の籠つた突進力を行ひ、又福田、野村間に行はれる三十数ヤードに及ぶ長前投球等を主要武器としてゐるが、最も明大側に恐れられてゐるのはラインを片翼に集中強化してこのサイドを攻めるにあたつて、一般には味方の前衛は対手の前衛を圧へるのであるが、早大は強化したサイドの対手前衛を自由に味方の後陣に誘ひ入れる。そして後陣に入つて来た対手の前衛は味方の後陣で防ぎながら素速く球を運ぶプレーヤーをスクラム・ラインの外線にまで進出させ、その後に来たる対手の防禦をスクラム・ラインに待機してゐた前衛軍の強力な体当たりで排除して、ボールキャリヤーを一挙に敵陣深く突入させようといふ逆手である。

 

明大は、これ等数々の早大強襲法を警戒すると同時に前衛の耐久力を猛烈な闘志によつて補ひ、早大の絶大な防禦力をいづれかのサイドに引付け、其の逆を衝く戰法に據ることとならうが、明大が複雑なバックの幻惑戰術によつて早大の防禦をいなすことが出来るかどうか、ここに明大の成否の鍵が秘められてゐると云へよう。

 

この試合に先立つて午後零時半からは横浜外人対東京オールドボーイズ軍の試合が行はれるが、去る十一月二十日外人軍は東京OB軍と第一回戰を行ひ、第三クォーターに長身を利して前投球戰法を聯続敢行し、遂にラズベリー、ハムシャー君間の前投球をエンドゾーンに極めて一タッチダウンを得て快勝した。

 

OB軍も最後のクォーターに入つてから盛んに前投球を投げ出したが、タイムアップの切迫と共に一挙に敵陣を陥れようと長距離の前投球を狙つたため長身の外人軍に横取りされることが多く、失敗に終わつてしまつた。併しOB軍もこの第一回戰の経験で外人軍に対する戰法を新たに案出し復讐を期して猛練習を行つてゐるので早明の決戰とは又別な興味を呼んでゐる。

 

二十貫前後の巨漢揃ひの外人軍に対して、稍小型ではあるが五大学時代の名選手とラグビー畑から往年の名フルバック明大の笠原君も参加してゐるOB軍が、外人軍の重量を逆に利用して低い体当たりで転倒させラインに突撃路を開く壮烈さは、試合が国際的な試合であるだけ観衆には力の入る場面の聯続であろう。殊に笠原君は球を持てばラグビーと同じ様なこの競技で、ヘルメットも被らずラグビーで鍛へた巧妙な走法で外人軍の防禦網へ突入して行く様はなかなかの壮観である。」

 

と云うような早・明両チームの写真入の長文の予想記事を載せている。

 

この文の中で加納氏は“前衛陣”とか“長前投球”とか新しい言葉を作り出しているのが面白い。“前衛陣”と云うのは当然ラインのことであり、“長前投球”とはロング・フォワードパスのことであり、“前投玉”とはフォワードパスのことである。加納氏は時々新語を作り出す名人であつた。ラグビーの記事を書く時も、“ドロップゴール”を“落球快蹴”と云う漢字を作り出したこともあった。横文字即ち英語を日本語即ち漢字になおして記事をかくのもこの時代の卋相を表はしているのでる。

 

又明治のラグビーのOBで名FBとして有名な笠原恒彦氏のことをくわしく書いているが、当時明治のラグビーは黄金時代でその中でも笠原氏の名FB振りは有名であつた。彼は明治卒業と同時にそのハンサム振りから日活映画に入社しラグビーの映画に出演したりしたので、アマチュア規程にふれラグビーの試合には出場出来なくなり、よくフットボールの試合に出ていたのである。彼は後に日大にフットボール部を創立するのに功献し又一時日大のフットボールのコーチもしたことのある人である。

 

さて十二月十一日は昭和十三年度リーグ戰の最終日であると同時にこのシーズンの優勝決定戰の早稲田対明治の決戰の日である。

 

この早明戰の前に東京OB対横浜外人戰が午後零時半から後楽園野球場で主審坂口、副審国島、線審ファーラー、計審トードの下に行はれた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
横浜外人 6 13 0 6 25
東京OB 0 0 6 7 13
横浜外人 東京OB
ワートン LE 千 輪
オルトン LT 三 輪
ヒンネン LG 網 倉
チャイルズ C 米 須
ボロディン RG 唐 木
ボロヴィヨフ RT 井 上
ソルター RE 佐 伯
ロス QB 松 本
ハムシャー LH
ハリス RH 笠 原
ハック FB 大 林
交代

(外人):ソルター、ラズベリー

(OB):藤家、本田、平沢、仁井、名護、梶谷

引続いて昭和十三年度リーグ戰の最終戰の優勝決定戰である早稲田対明治戰が同後楽園野球場で午後二時半から挙行された。当日は優勝決定戰とあつて三塁側スタンドと左翼スタンドは観衆が満員となり二階席迄一杯の入りで一万以上の大観衆がつめかけると同時にJOAK即ち現在のNHKラジオによる実況中継放送を行つてこれを全国に中継放送した。先日の明立戰に続いて日本のフットボールとしては第二回目のラジオ中継であつた。とにかくあらゆる面から見てリーグ戰の最終を飾る決勝戰にふさわしい雰囲気であつた。

 

さて試合の方は主審ファーラー、副審坂口、線審国島、計審藤堂で午後二時半早稲田のキックオフで開始された。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
明 治 7 7 12 0 26
早稲田 0 0 0 0 0
明 治 早稲田
町 田 LE 野 村
渡 辺 LT 島 村
福 島 LG 宮 本
坂 本 C 中 山
花 岡 RG 藤 岡
大 浜 RT 中 楯
当 山 RE 福 島
保 田 QB 野 口
浜 崎 LH 福 田
吉 本 RH 国 本
大 前 FB 内 藤
交替

(明治):黒川、一見、広川、髙木、松平、伴、宮本、井上、布田

(早稲田):西岡、張、三島、北村、木村

この試合は弱勢を予想されていた明治のラインが強力な早稲田のラインを圧倒して好走者の多い明治のバックをよく早稲田に走らせて圧勝した。

 

これで昭和十三年のリーグ戰は無事終了したのである。その成績は
優勝:明 治  四勝零敗
二位:早稲田  三勝一敗
三位:慶 応  二勝二敗
四位:法 政  一勝三敗
五位:立 教  零勝四敗

と終わつたのである。立教はこの年初めて最下位と云う不名誉な成績を残してしまつた。

 

十二月十五日には東京学生米式蹴球聯盟審判委員長ファーラー氏が例によつてベストチームを次の通り発表して各新聞はそれを掲載した。

第1軍 第2軍
町 田(明) LE 福 島(早)
島 村(早) LT 福 島(明)
藤 岡(早) LG 大 浜(明)
坂 本(明) C 中 山(早)
花 岡(明) RG 北 村(早)
小 黒(立) RT 福 田(慶)
当 山(明) RE 野 村(早)
福 田(早) QB 保 田(明)
和 田(明) LH 中 上(法)
吉 本(明) RH 藤 堂(慶)
内 藤(早) FB 大 前(明)

 

この年からファーラー氏は第二軍まで選出するサーヴィスをした。丁度この頃日本の新聞にフットボールに関する面白い記事が出ているのでその二三を写してみよう。

“女子のレスリングに断、加州競技委員会で禁止決議”という見出しで、

 

“最近のアメリカ女性が米式蹴球にまで領域を伸ばしてヤンキー娘のお転婆ぶりを発揮してゐる折柄、これは又逆に男性スポーツから女性を追出す禁止令が出て注目されてゐる。それは最近女性仲間にレスリングが流行し出したので、アメリカ加州の競技委員会はレスリングが女性にとつて不適当であり野卑なものであるといふ理由で、今後女子レスリング試合は罷りならぬことを決議した。この動議は議長ギースラー氏により提案され満場一致で可決されたものである。”

 

と云うものである。

 

このレスリングとはプロレスリングのことではなかろうか。それにしてもアメリカの女性が米式蹴球にまで領域を伸ばして来ているとはほんの一部のものであろうが如何にアメリカではフットボールが盛んであるかがうかがえるのである。

 

次のものは“米国の選抜米蹴団、今冬佛蘭西に遠征”と云う見出しで、

 

“ニューヨーク発共同
欧州へアメリカンフットボール普及のため今冬米国本場の蹴球団が佛蘭西に遠征することとなつた。一行はコロンビア、ハーバード、エール、プリンストン、ダートマス、フォドハム等の各大学からピックアップされた精鋭二十二名から成り佛蘭西各地で模範試合を行ふ筈”

 

と云うものである。

 

このチームが本当にフランスに遠征したかどうかはその後の報道がないので不明であるが、もし行つたとすればアイヴィ・リーグのメンバーを集めた大変豪華なチームであり、先年日本に来日した南加大学を中心にしたオールスターズ・チームに勝るとも劣らぬチームになつたことであろう。その先年来日した西海岸地区のチームに刺激されて今度は東海岸のチームを編成してフランスに遠征したのではなかろうか。

 

その当時吾々もヨーロッパではフランスの大学の一部がフットボールをやつていると云うことを聞いたことがあるが或はそんな関係でフランス遠征を試みたのかも知れない。然し又一方においてはこれは計画だけであつて実際には行はれなかつたのではないかとも思はれる。それはそれ以降フランスにおいてフットボールが盛んになつたと云うことも、或は又フランスの大学でフットボールを行つていると云うことも聞かないからである。

 

その後第二次卋界大戰が起りアメリカの兵士が多くフランスはもとより英国、イタリー、ドイツ等ヨーロッパ各地に駐留していたのである。アメリカ軍が駐留している処には必ず彼等はフットボールのチームを作り部隊対抗の試合を盛んに行つた筈である。日本においても盛んに行い、ついには一月元旦に本国と同様にライスボウルと名称をつけたボウルゲームを極東地区の軍の間で行つていたので、当然ヨーロッパにおいても彼等は極東地区におけると同様にフットボールの試合を行つたと思はれるが、それが現在ではヨーロッパの各地においてアメリカ駐留軍以外に現地人の間でフットボールの試合が行はれていると云う話は聞いたことがない。

 

依然としてヨーロッパに古くから伝つたサッカーやラグビーのことは盛んになつて来たと云うことは聞くけれど、フットボールはヨーロッパのスポーツ報道には全然顔を出さない。もしこの時、東海岸の選抜チームが実際にフランスに遠征し少しでもフランスに普及して来たならば、第二次卋界大戰以後もう少しフランスを含むヨーロッパ各地でフットボールが行はれていると云うニュースを聞くことがあると思はれるのだが・・・。

 

又第二次卋界大戰後のヨーロッパ各地に駐留していた米軍の関係もあつてヨーロッパでも少しはフットボールが現地人の間にも普及しそうなものであるが、それが一向に行われないで伝統の古いサッカーとかラグビーが益々盛んになつていると云うことは、日本に駐留していた米軍と同じように彼等は彼等だけでプレーを楽しみそれを現地に普及すると云うことを忘れていたのであろう。普及することを忘れていたと云うよりはそんなことは全然念頭になくむしろグラウンドを専用に接収したりして彼等の施設は充実させて現地人のプレイを妨害するようなこともあつた為、ヨーロッパにおいては逆に普及しなかつたのではなかろうか。

 

この点については英国人とアメリカ人の気持の全く異つたところである。この点については前にも書いたのでこの位で止めておこう。

 

然し日本においては観衆の数も益々盛んになつて行く様子が現はれて来て新聞にも折々色々とフットボールの記事がのるようになつた。この年の十一月末日の新聞に次のような記事が出ている。“十万大観衆の激戰将軍に凱歌・・・米囗の陸軍海軍米蹴”と云う大見出しでフィラデルフィア特電としてアーミー、ネーヴィー戰を報じている。

 

全米フアンの血を湧き沸らせる陸海軍対抗米式蹴球の第三十九回定期戰は去る十一月二十六日フィラデルフィア市営球技場に十万二千二百十人という今年度最大の観衆を集めて戰はれた。この大観衆の中には陸海軍の将軍や名士髙官の顔も見られ、それぞれの贔屓チームに声を限りの声援を送つたが、未来の将軍チームは戰前の予想通り十四対七で未来の提督チームを轟沈して聯勝を遂げ、これで陸軍二十二勝、海軍十四勝三分けの成績となつた。

Team 1Q 2Q 3Q 4Q TB TB Total
陸 軍 7 0 7 0 14
海 軍 0 7 0 0 7

この日空は快く晴れ渡つていたが冷い南西の風が競技場を横切り、フィールドは朝来数百名の人夫を動員して除雪作業を行つて綺麗にされていたが、ラインの外にはカチカチに凍てついた雪が雄髙く積み上げられてゐた。

 

試合の最初は芝生が滑るのと両軍敵状偵察戰に出たため、華々しい場面は見られなかつたが、最初のタッチダウンは突如として陸軍のロング選手の快走によつて挙げられた。即ち自陣二十二碼辺で海軍側のパントを捕つたロングは、軌拗なタックルを降り切り押し掃の長駆七十五碼という痛快無比な疾走に一気に海軍根振袖を陥れ、自らのキックにコンヴァートして七―零とリードしたのであつた。

 

第二節を迎えた提督側は必死の追撃を開始し将軍側の防備の整はぬ隙にラインを利して遮二無二突撃し、陸軍は盛んにパントして逃れんとしたが遂にクークの二十二碼のロングパスを受けたビート・パウエルは脱兎の如き疾走を示して、陸軍ゴール前一碼に突進した。併し陸軍も好防して僅のところで辛くも食い止めたが海軍はこのスクラメージをクークの右オフ・タックルに実を結ばしめてタッチ・ダウンを返し、ウッドのキックで七対七と盛り返した。

 

第三節は中盤の一進一退を繰り返して相方相譲らず或は引き分けに終わるかと思はれたが時間一杯のところで陸軍はロングとサミエルのフォワード・パス、フロンチャックとサミエルのリヴァース・パス、更にフロンチャックの中央突破等で海軍の三碼線に突入し最後にウィルソンの左オフタックルで遂に敵堅塁を占拠し、フロンチャックのキック成功して決勝点を奪取した。

 

第四節の陸軍側は海軍側のロング・パスによる追撃を退けリードを死守し、粉雪、宵闇の競技場に凱歌を奏したのであつた。”

と云う仲々詳細に試合経過を記した記事であつた。

 

これは当然陸軍士官学校と海軍兵学校の対抗戰で、アーミー対ネーヴィー戰と云はれ、1890年に第一回の試合を挙行したアメリカでも最も伝統を持つ大試合で、毎年十一月最後の土曜日にフィラデルフィアの競技場で行はれている。

 

これは後日談になるが、第二次卋界大戰後日本に駐留していたマッカーサー将軍が朝鮮戰爭の終結について時の大統領トルーマンと太平洋の孤島ウェーキ島で会談したことがあるが、この日が丁度このアーミー対ネーヴィー戰の当日であり、方や米本土から飛行機で来たトルーマンも一方日本からウェーキ島に飛行機で到着したマッカーサーもウェーキ島に到着するや異口同音にアーミー対ネーヴィー戰の結果がどうなつたか、をウェーキ島守備隊長に先ず第一に聞いたと云うことがその当時の新聞に出ていた。それ程の大試合であるから昭和十三年の日本の新聞にもその結果が大きく報道されたのも不思議ではないかも知れないが、それには日本でフットボールが予想以上に発展して来た為にこのような記事をのせなければならないような状態であつたと云う方が確実であろう。

 

それにしてもこの記事の中で将軍側とか提督側と云う言葉を使用しているのは面白い。将軍側とは当然アーミー即ち陸軍のことであり、提督側とはネーヴィー即ち海軍兵学校のことであり、陸軍士官学校と云うのは将軍の卵を育てる学校であつて、一方海軍兵学校は提督の卵を養成する所からこのように呼んだのである。

 

このようにして昭和十三年の日本におけるスケヂュールは終了したと云うよりは関東学生米式蹴球聯盟のリーグ戰は明治大学の優勝で無事終了したのである。残つたのは昨年の第一回は日程の都合で三月に行つた日本米式蹴球協会主催の第二回東西選抜対抗戰を一月元旦に行うだけとなつた。リーグ戰が終了した後朝日新聞に加納氏がリーグ戰の総評を長文で書いた。

 

“試合を左右した鞏固な団結力 慶大台頭し活気溢れる五大学米蹴総評“と云う見出しで次のようなものであつた。

 

“五大学アメリカンフットボールリーグ戰も去る十一日の早明決勝で今季の幕を閉ぢたが、今シーズンは慶大の異常な発展によつて活気は横溢しアメリカンフットボールの魅力を遺憾なく発揮する期待をかけられてゐた。早明戰以外に早慶、慶明と慶大の台頭により最髙峰を行く試合の数を増し、年と共に倍加する愛好者に多大の満足を与えることの出来たのはこの競技の普及によつて青年の身体精神知能を鍛錬するという主旨と、時局下青少年に対する期待と完全な一致を見せ喜ばしい発展の跡を示している。

 

アメリカンフットボールは就れの団体競技にもましてチームワークが絶対的に必要である。

一チーム十一名の競技者は球を運ぶ一名の味方を前進させるためプレイの開始と共に各自が予め分担された相手を防圧して球を運ぶ者に走路を開拓してやらなくてはならない。

決断力、機智も勿論個人の要素として欠くべからざるものではあるが、プレイの主体が予め定められた戰法によつて全員の行動分担が決定されてゐるだけ「完全なチームワーク」の遂行が最も要求されるのである。これには気合の合致ということが必須条件でこの気合の合致、団結心の強度が試合の結果を左右した例は実に少くない。

 

リーグの第一戰であつた早法戰では、法大が強大な早大に対し勝敗を度外視した玉砕的な戰いを挑んだ結果、法政の団結は意識の範囲を超えて旺盛極りないものとなり、前衛は早大前衛の突破を完封してバックメンに複雑なパスによる一挙十数ヤードの前進を容易ならしめて早大の心胆を寒からしめたことがしばしばあつた。又慶大が明大に対して行つたラインの強襲の如き、また早明のリーグ決勝戰において六分の強味を予想されていた早大を無得点に雲破した明大の快斗の如き総ては、輩固な団結がもたらした輝かしい勝利であつた。

 

技術的に見ると早大はリーグ中最強の前衛を有しているので、ライン突破を最後の極め手として残し余裕のある豪放なプレイを行い内藤、西岡、野口君等が全試合を通じてみると最も目覚しい突進を遂げてゐた。

 

これに次ぐものとして慶大は早大に匹敵する重量のある経験を積んだ前衛を有しバックでは藤堂、田村君の水際立つた進歩によつてラインの強襲に長足の躍進を遂げこの極め手を持つという強味がチーム全体に思い切りのよいプレイを決行させる基となつて慶大に第三位を確保させたのであつた。

 

優勝した明大は初の対慶大戰には斗志も低調であつたし、従つてチームワークも悪く、ただ個人的の感のよさで慶大の前投球をインターセプトしたり、自己の長距離前投球をものにして得点を稼いだのみだつた。その後も対立大戰では、寧ろバラバラといえる明大今期最拙劣なプレイを演じて、傲令早大と決勝に顔を合せるとしても早大の一方的試合に終わるのではないかと懸念させられた。

 

併し乍ら明大は第一線プレイヤーである福島、大浜、和田君等の負傷恢復と大前君の参加で陣容は強化され、早大に対する雪辱の意気に駆り立てられ志は純化され白熱点に達したチームを早大に叩きつけることが出来て、遂に早大を完封することが出来たのだつた“

 

と云う長文の記事でチームワークの重要さを強調した文章であつた。

 

少し前の事になるがこの年の十一月十九日にはエールにおいて行われたエール大学対ハーヴァード大学の試合の結果が日本の新聞に出ていた。

 

ハーヴァード大学 7-0 エール大学

 

この年には日本の新聞にもアーミー対ネーヴィー戰とエール大学対ハーヴァード大学戰の記録が出たと云う事は日本においてもフットボールが益々盛んになつて来た影響によるものが多いと思われるがその当時アメリカにおいてもエール・ハーヴァード戰及びアーミー・ネーヴィー戰は最も伝統のある大試合であつたことを証明するものである。現在のようにアメリカの各大学のフットボールがプロ化し、プロの養成所になつて各大学のチームは爭つてハイスクールの優秀なプレイヤーを奨学資金で入学させ強力なチーム作りに力を入れているのとは異り、フットボールは学生のビッグスポーツであり、フットボール・コードに基くアマチュア精神を重要視した頃であるので学生の伝統試合にフアンが集まる時代であつたのである。

 

東京学生米式蹴球聯盟のリーグ戰が終了すると翌年一月一日に行はれる東西選抜対抗戰の準備にかかり十二月二十二日日本米式蹴球協会からその陣容が発表された。

 

先づ関東代表チームはLE山片(慶)、町田(明)、LT福島(明)、島村(早)、LG黒川(明)、ボロビヨフ(横浜外人)、C島(立)、坂本(明)、RG花岡(明)、深江(法)、RT小黒(立)、福田(慶)、RE河原(法)、福田(早)、QB鈴木(立)、中上(法)、LHロス(横浜外人)、ハリス(横浜外人)、RH保田(明)、藤堂(慶)、FB千輪(文理大)、大林(早出)、田村(慶)

 

関西代表チームLE小林(関大)、難波(関大出)、ミルスタイン(神戸外人)、LT今村(慶出)、河野(関大)、LG清水(明出)、楠部(関大)、C桶谷(関大)、吉岡(関大)、RG浜本(関大)、ゾロタレフ(神戸外人)、RT岡本(関大)、本山(関大)、RE李(関大)、藤本(関大)、QB畑(明出)、岩井(関大出)、LH山内(関大)、奥野(関大)、RH藤井(関大)、山上(関大)、FB坪井(関大)、ター(神戸外人)

 

以上が第二回東西対抗戰出場者として発表された。

 

又後援の朝日新聞には次のような社告を出した。

 

「昭和十四年度努頭の盛会が予想される、元日神宮球技場で挙行の日本米式蹴球協会主催、本社後援のアメリカン・フットボール第二回東西選抜対抗戰の入場前売は、銀座プレイガイド本店、銀座三越、上野松坂屋、東横デパート、神田三省堂、銀座地下鉄駅前の各プレイガイド及び神田美津濃運動具店の各所と本社受付で二十三日から取り扱ひを開始した。
入場券は一円(指定席)、五十銭(一般席)、三十銭(軍人学生)の三種類である。」

 

と云うもので軍人、学生は特別に三十銭とあるが学生の三十銭はわかるが軍人も学生並みに三十銭と割引しているのは当時の時代を反映していて面白い。

 

又別の社告には

 

「東西対抗米蹴大会」と云う見出しで「本社後援の東西対抗米式蹴球大会は今春三月東京に於て第一回大会を行ひこの競技の最髙峰として成果を収めたが明年度より東京、大阪両朝日新聞社後援の下に東西隔年交互に行ふ事になり第二回の大会は明年一月元旦を期して明治神宮外苑球技場で行はれる事になつた。両軍の陣容は東西選抜委員会によつて近く発表される。
於 :明治神宮外苑球技場
主催:日本米式蹴球協会
後援:朝日新聞社

 

と云う社告であつた。昭和十四年は一月元旦に恒例として行はれる慶応対京大のラグビー戰が関西の花園で行はれる年で東京の明治神宮外苑球技場は使用されないのでフットボールの東西対抗戰を行い、翌昭和十五年の元旦はラグビーが東京で、そしてフットボールが関西にと交互に行うように計画され、その東京においても関西においても東京、大阪朝日新聞の後援で行はれることも決定した。

 

この東西対抗も経費、宣伝その他において朝日新聞に一切負担をかけるのではあるが、日本協会はあくまでも主催権を持ち、卋話になる朝日新聞に主催権もしくは共催権を与えず、後援者の位置しか与えない日本米式蹴球協会の確固たる決断は立派なものであると同時に、日本協会の決意を諒として後援者の立場にあまんじて居る朝日新聞の態度も又立派であると云うべきではなかろうか。

 

又この日のスポーツ欄にはアメリカ発電で「米囗本年度のNo,1集」と云う記事が出ていた。それによれば

 

「本年も愈々押迫つて来たが近着のインターナショナル・ニュース写真によると1938年度米国スポーツ界のナンバー・ワンとして左の人々が挙げられている。筆頭はデ杯庭球戰を始めとしてウィンブルドン、全米シングルス選手権と主なる試合に全部優勝した庭球界の王者ドナルド・ハッヂ君で、これに対し女子庭球界では1936年に全米女子シングルス選手権を獲得し今年再び返り咲いて優勝したアリス・マーブル嬢が第一位、漕艇界ではアナポリス兵学校のネーヴィー・クルーがプーキープシー競漕に優勝した功で全米第一と認められ、水泳では我が国にも来朝してお馴染みのキャサリン・ロール嬢が今年は一哩自由型、八百ヤード自由型、三百米混泳の三種目に全米女子選手権を得、水の王者に選ばれている。

 

黒人の鉄腕選手ヘンリー・アームストロングはフェザー、ウエルター、ライトの三級の覇権を制して挙斗界の第一人者となり、陸上競技ではカンサスの雄グレン・カニンガムが問題の一哩に未公認ながら4分4秒10の卋界新記録を出してNO.1。又、米国学生スポーツの華アメリカンフットボールではテキサス・クリスチャン・カレッヂのデーヴィー・オブライエン君が全米随一の花形選手に選ばれ、野球ではニューユーク・ヤンキースがワールド・シリーズに三度制覇の輝く記録と共に最強チームとして挙げられている。競馬界では今年度最優秀馬としてシービスケット号が人間なみに顔を出し、アマチュアゴルフではオーク・モント大会の覇者ニューユークのウイリー・ターネサ君が出てゐる。」

 

と云うもので、この当時はフットボールではまだまだプロ選手の名前は出て来ないで大学のフットボールの選手が選ばれる例が多かつたと云うのもまだプロフットボールの人気が余りなく、野球はプロ、フットボールは学生のものと云う気風がアメリカにも多かつたためであろう。学生フットボールの選手は卒業後はプロフットボールよりプロレスに行く方が多かつた時代であつた。現代のプロ・フットボールの隆盛と比較して見ると隔卋の観がある。

 

又この日のスポーツ欄の囲み記事の「制覇の苦心を語る」と云う読み物には米式蹴球の巻で明治の松本瀧蔵部長と黒川主将の談話が大きく出ていた。その中で松本部長は次のように云つている。

「技術的なことは黒川主将が語らせうが明大が若し早大に負ることがあるとすれば技術ではない。アメリカンフットボールの実力には三つの要素がある。第一に意気、第二にも意気、第三は団結である。この要素の欠如以外には我がチームが早大に劣るところはない。諸君に愛校心はあるか、あるなら行つて勝つて来い。とまァ試合前に元気をつけたんです。後で聞いたことですがこれが非常にチームの斗志を旺盛にしたと云ふことですが・・・。(中略)

 

これは米国の話ですが、米国のアナポリス海軍兵学校にはペルリが尊き方から賜つて日本から持ち帰つたといはれる釣鐘がある。丁度陸軍士官学校との対抗戰の折がカレッヂ・スピリットも最髙潮に達する時で、海軍が勝つと得点の数だけ正選手から順々にこの名誉の釣鐘を一つづつ打鳴らす栄誉に沿することが出来るのです。それで得点が少い時には全員にこの光栄の一打が廻つて来ないので皆は精魂を盡して一点でも得点の多からんことを希つて奪斗するのです。

 

この行動は海軍兵学校最大の感激であつて、我が国の釣鐘が計らずも米国海軍上官の士気を鼓舞する老徴となつているのであります。我々明大にもこのやうな若人の意気を象徴することの出来る何かが欲しいと思つて居ります。」

 

と前にも書いた日本の釣鐘の話をのべている。

 

さて一月元旦の東西対抗戰に備えて東軍は芝公園球技場で、西軍は関大のグラウンドで各々合同練習を開始した。同時に朝日新聞では新聞紙上で「米式蹴球の見方」を聯載したり、或は合同練習の状況、予想等を聯日掲載して前人気をあおつていた。

 

この試合の両軍のコーチは東軍は立教の坂口哲夫、西軍は明治OBの畑弘が担当し、特に関西はリーグ戰がない為十一月中旬よりこの試合に備えて合同練習を続けていた。そして西軍は十二月三十一日大晦日に全員揃つて上京し外苑の日本青年館に宿舎をとつた。

 

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