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2023.03.10

戦前の活動の記録(服部慎吾氏全記録)

お知らせ

我が国における戦前のアメリカンフットボール活動の記録 服部慎吾

この記録は、戦前の日本のアメリカンフットボールについて、故服部慎吾氏(1913~95)がまとめられたものです。1975年頃に執筆されたと推定され、本ページに掲載したもの以降も記録は続いていると思われますが、現在までその部分の原稿は見つかっておりません。

 

謝 辞:本稿のご執筆、ご提供に関し、服部慎吾氏および服部家の皆様に厚く御礼申し上げます。また本稿の公開作業にご協力いただいた皆様に感謝申し上げます。

2020年12月

公益社団法人日本アメリカンフットボール協会

この記録を執筆された服部慎吾氏は、立教予科から1935年立教大学に入学。ラインマンとして活躍、卒業後、協会の運営活動に当たられ、戦後、日本アメリカンフットボール協会の理事長を務めらました。永年の功績により、2004年1月、第Ⅰ期の殿堂顕彰者となられました。以下は、その殿堂顕彰プレートに刻まれている紹介文です。

 

服部 慎吾 氏(はっとり しんご) 1913~1995

立教大学予科よりフットボールを始め、センターとして活躍。1939年立教大学卒業後、1940年応召、札幌の歩兵部隊に従軍。終戦後、関東地区のフットボールの復興に戦前の仲間とともに貢献。チームの再興、グラウンドの手配、防具の準備など、戦後再来日したポール・ラッシュ氏とともに運営の中心となる。1948年、日本フットボール協会の再建に努力し、戦後初代の理事長に就任。以降、理事長として5年間、フットボールの復興に貢献。戦前、戦後の日本のアメリカンフットボールの記録を整理。

服部慎吾氏
原稿 第1頁

■この記録に記載されている主な出来事(編者作成)

季・月 記載内容
1934年(昭和9年)頃 アメリカンフットボールが日本に来る前の國内の状況
米国映画におけるアメリカンフットボール
米国フットボール活動状況・マスコミによる報道
当時の日本のスポーツの状況
米国フットボールの誕生、歴史、リーグ、ボウルゲーム
日本のフットボールの歴史、競技活動開始を妨げている要因
ハワイからの日本への移民の状況
1934年

(昭和9年)

連盟発足の動き、競技活動の準備
9月 最初の公式戦(対YC&AC)の開催決定、試合の準備
10月 日本で最初の試合(練習試合)開催
11月 日本で最初の公式試合開催
12月 東京學生米式蹴球聯盟設立、秋季リーグ戦
1935年

(昭和10年)

3月 全米学生来日
各校の活動状況
9月 立教大夏合宿
秋季リーグ戦準備とリーグ戦開催
1936年

(昭和11年)

1月 全米フットボールの状況
各校の活動状況
秋季リーグ戦
12月 米国遠征発表、準備と米国遠征
1937年
(昭和12年)
1月 関西(甲子園南運動場)で開催の関大-立教、慶応-早稲田
立教大の活動
秋季リーグ戦
1938年

(昭和13年)

1月 関西(甲子園南運動場)開催の立教-関大
1月 日本協会設立、第1回東西選抜対抗戦(明治神宮外苑競技場)
各校の活動状況
秋季リーグ戦
米国の状況
1939年

(昭和14年)

1月 第2回東西選抜対抗戦(明治神宮外苑球技場)
5月 東京学生米式蹴球聯盟の役員会、早稲田・慶応 朝鮮遠征
秋季リーグ戦
1940年

(昭和15年)

1月 第3回東西選抜対抗戦(花園運動場)
秋季リーグ戦、「米式蹴球」から「鎧球」へ、服部慎吾氏入隊
1941年

(昭和16年)

1月 第4回東西選抜対抗戦(明治神宮外苑競技場)
6月 6人制フットボール大会の開催
1942年

(昭和17年)

1月 関西の状況、明治-関大、慶応-関学  (甲子園球場)
2月 ポール・ラッシュ氏、米国へ
4月 春季試合中の空襲
1943年

(昭和18年)

3月 「戰時下学徒体育訓練実施要綱」と海軍闘球への転向

 

【以下、服部慎吾氏の記録】

※服部慎吾氏の記録には、現代では差別的と見なされる表現やコンプライアンス上不適切な内容が含まれていることがありますが、時代背景を尊重して極力原文のまま掲載します。また、本文中、年号等が「赤字」で記入されている箇所は、編者が原稿に追加したものです