第1回世界選手権 イタリア大会 〔延長第5Qの死闘を制して初代王者の栄冠〕 |
第1回アメリカンフットボール・ワールドカップは、1999年6月24日から7月4日まで、イタリアシシリー島にあるパレルモ市で開催された。当時渦中にあったコソボ紛争を理由に米国が出場辞退、日本も一時は出場を見合わせたが、外務省などの調査機関を通じて安全確認を行い、出場へこぎつけた。
大会には、アジアから日本、ヨーロッパからは開催国イタリアとスウェーデン、オセアニア地区からオーストラリア、そして北米代表としてメキシコの6カ国が参加。6チームをグループA・Bの3チームずつに分けて総当たりのリーグ戦を行い、グループ優勝チーム同士で優勝決定戦が行われた。
日本は予選グループB。対戦相手はスウェーデンとオーストラリアであった。
初戦、体格の差を活かしてプレッシャーをかけてくるスウェーデンに対し、前半14-0とリード。楽勝と思われたが、後半はコースの高いパスアタックで追い上げられ、辛くも前半の貯金で、24-14と逃げ切った。
第2戦のオーストラリアは、体格差が最もあるチームであったが、相手のエースQBが故障し攻撃力が半減していたこともあり、日本は主力を温存しながら、54-0で快勝した。
2連勝でグループ予選を1位で通過し、グループA1位のメキシコとの決勝戦。
メキシコは、気力、体力、スキルとも非常に高く、特に個人能力が抜群のチーム。予選グループAではフィンランドに89-0、地元イタリアにも54-0と、完璧な成績で決勝進出を果たした。メキシコのフットボールの歴史は日本よりも長く100年以上あり、今回の出場選手達もNFL入団を目指しているアスリート揃いであった。
攻撃力のメキシコ対バランスの日本という対戦の構図となったが、日本のディフェンス陣がよく踏ん張り、ゲームは4Qを終えて、0-0。延長タイブレークへと突入した。
先攻の日本は、QB須永恭通からTE安部奈知への5ヤードTDパスが決まる。TFPは失敗したものの、6-0で先制に成功する。後攻のメキシコのプレーはパス。レシーバーがはじいたボールを、DB市川敏伸ががっちりとインターセプト。その瞬間、日本の初優勝が決定。2時間49分の死闘であった。